第2話 - 前 - 1 『As if she sang, as if she sank』

 私、真白の朝は、ベル式の目覚まし時計と共に始まる。


 何年か前に、従弟のとの約束に寝坊した事があり、その後にされた物なだけあって、とにかく大音量だ。それこそ、鼓膜がやられそうなレベルで。


 布団に包まる私を寝坊助ねぼすけと笑うかのように騒ぎ立てる目覚ましの頭を平手打ちしてから、フラフラと台所に向かう。

 食パンをトースターに突っ込み、電気ケトルに水を入れてスイッチを入れ、寝間着の上にコートを羽織っただけで玄関を出た。


……寒っ。


 肌を突き刺すような寒さに震えながら、新聞受けに突き刺さった新聞と何通かの手紙、それに広告の束を引っこ抜く。


──家の中から取り出せるような位置にあれば良いのに。


 昨日も言ったような愚痴を並べながら、家の中に入る。

 台所に戻ると、焼きあがったパンがポップアップトースター口から飛び出している。その奥で、電気ケトルはまだゴトゴトと大きな音を立てながら揺れていた。

 その隙に、ポットに紅茶の茶葉を入れて待つ。


……カチッ。


 電気ケトルが可愛い音をたてて止まった。

 湧いたばかりの、文字通り出来立てホヤホヤなお湯をポット注いで、パンを平皿に並べる。それらと一緒に、バターナイフとマーガリン、それにティーカップをお盆に乗せて、リビングへ。


 椅子にウサギのぬいぐるみを座らせて、新聞を読みながら紅茶が出るのを気長に待つ。


……もう、良いかしらね。


 アールグレイの中でも濃いめの茶が出せると評判の茶葉なだけはあり、少しの時間でも十分に色が出ていた。

 紅茶をティーカップに注いでから、いただきます、と手を合わせた。


 パンの上に、マーガリンを塗っていく。熱々のパン乗せたマーガリンが染み込むように溶けていって、食パン特有のふっくらとした香りを引き立てていく。

 そして、それを口に運んだ。

 サクッ、と良い音がする。舌に当たるザラザラしたような感覚は、噛めば噛むほど中のふんわりとした感触に置き換わっていく。それを、紅茶と一緒に流し込む。


「……ふぅ」


 小さく、溜め息一つ。

 再びパンを口に運ぼうとした時、ピピピピ、とデジタル式の時計が鳴いた。壁に掛けられたカレンダーに目をやると、一時間半後にこの家に客が来る予約が入っていた。


──そうね、掃除くらいしとこうかしら。


 身だしなみを整える時間を軽く見積もった後、食事のペースを上げた。





 約束の時間の丁度五分前。ピンポーン、と間の抜けたようなベルが玄関の方から聞こえてきた。

 ドアを開けると、やつれた顔をした眼鏡の男が立っていた。細身に皺の目立つ青色のスーツを着たその男は、最低限の礼儀とでも言わんばかりか、ネクタイはきっちりと締められていた。


「どうぞ、中へ」


 次の言葉を聞く前に、男を中に入れる。


「寒かったでしょう?」


 私への恐怖感からだろうか、震えたまま硬直したままの男に、嫌味半分の優しさの言葉を掛けながら。





 廊下を抜けて、リビングに通す。テーブルの脇に来ると、男は名刺を取り出した。


「……申し遅れました。私、こう言うもので」


 男が、声を震わせながら名刺を取り出す。それによると、男は弁護士だそうだ。


「わざわざご丁寧に」


 名刺を受け取りながら、私も名刺を作ろうかしら、とふと考えた。

……大抵こういった思いつきは、面倒になって忘れてしまうんだけど。


「座ってください。お茶を用意しますので」


 リビングから淹れたての紅茶を持ってきて、テーブルに並べた。


「それでは、改めてご用件の方を聞かせて貰えるかしら」


 眼鏡の男は、震えた手で眼鏡を直した。

 私の方を見る目は、弁護士というより被告人のものであった。

 この弁護士は、どんな噂を聞いてやってここまで来だろう。やはり、他の依頼者と同じように『呪われる』とかいう話を聞いたのだろうか。


「……取って食ったりしないわよ、別に」


 この時ばかりは、自分に向けられた恐怖心を少しも嫌だと思わなかった。

 寧ろ、一方で裁判官閻魔様になって見下しているような、他方この哀れな被告人依頼者を応援するような不思議な感覚に浸かり込んでいた。


「……一週間前に応美山で起こった殺人事件はご存知ですか?」


 私の顔色を伺いながら、眼鏡の弁護士は言った。


 山で、殺人事件。それも一週間前。……死体が遺棄された場所、ということで名前が出ることは多いけど、殺害した場所として山中というのはあんまり無い気がする。あくまで主観だけど。


「……心中事件のこと?」


 確か少し前にニュースになっていた。某大企業の御曹司がネット配信者の女性と駆け落ちし、山中にて心中。結婚を反対されて駆け落ちしたか──。確かそんな内容だったと思う。週刊誌や昼の情報番組が好んで取り上げそうな内容だったために、結構見かけた気がする。正直、興味はなかったが。


「可哀想にね、まだ先は長かっただろうに」


 紅茶を口に含みながら、冷めた空気を飲み込んだ。

 思えば両方とも十八になるかそこらであったか。してしまうには早すぎた。


……あれ?

……、よね?」


 心中事件なら、自殺で間違いはない……はず。となると。


「……ええ、表向きは自殺です。ただ、我々は他殺だと考えています」


 眼鏡の弁護士は、一際落ち着いた声で答えた。


「今回の依頼は、真実を知るための依頼です」


──あぁ、そういうことね。


 頭に手を当てながら、天井を仰いだ。

 これは、面倒な案件かもしれないわね。ただ……、



「続けて頂戴」


──やり甲斐はありそうだわ。


 身を乗り出すように組んだ手に顎を乗せて、私は話の続きを促した。

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