第1話 - 後

 私が知る限り、家から歩ける距離にある公園は三つある。

 そのうち、家と駅の通り道にある二つは、散歩なり、買い物なりで良く通ったことがある。

 逆に、残りの一つは普段行かない方にあるのと、それに加えて家から遠いため、ほとんど通ったことがない。

 今回の依頼は、その公園に関する依頼だった。


──五時二十分。


 手元の懐中時計がそう告げる。

 たくさん遊具の並んだ、三日月型の公園の中には、子供の影はなかった。


「それで?」

「ええと……」


 脇に立つ町内会長が、こっちを見ながら言葉を詰まらせる。……いつだってそう。巡るのは、悪い噂ばかり。

 どうせこの人も、霊の使いだとか何だとか聞いたのだろう。


「……取って食うわけじゃないんだから、さっさと話して頂戴」

「そ、そうでしたよね。では……、あちらへ」


 そう言って、会長の男は歩き出した。


「実は……、ここ二年くらい、冬になるとこんな噂が回ってまして。それが、『この公園のベンチの一つで、この寒い時期でも、いつも誰かが座った後のように暖かいのがある』というものなんですが……。

 それだけならただのイタズラか、それとも根も葉もない作り話だと思うのですが、最近になって『誰かに見られてるように感じる』という通報がたくさんありまして……」

「それで私に相談した、というわけ」

「ええ。子供を中心に寄り付かなくなってしまって」

「……私じゃなくて警察の方がいいんじゃない? 最近物騒なこと多いし」

「いや、それが──、あっ、あのベンチです!」


 会長の男が、一つのベンチを指差した。


「ほら。あそこの公衆トイレのところに監視カメラがあるんですけど、あのベンチだけ座る人がいないんです。まるで避けられているかのように。……何か分かったことはありますか?」


 会長の男が心配そうに私を見るのに目も向けず、私はそのベンチの右半分に腰掛けた。膝の上に、旅行鞄を置いて。


「探し物ですか、おばあさん」

 私は、隣に座っている老婆の肩を叩いた。


「だ、誰かいるんですか?」


 会長の男が、大声で騒ぎ出す。無視して、老婆が話すのを待った。


「……聞こえるのかい? 私のことが」

「聞こえてますよ」


 老婆は、クリッとした丸い目を滲ませながら、おずおずと私の方を見た。


「何かあったんです?」

「……」


 空を見上げながら、老婆は口を閉じた。


「……ずっといたようですね、ここに」


 そう言って、暗くなりかけた空を見上げた。


「……孫を探してたんだよ」

「お孫さん、ですか」

「そうさ、可愛い孫だったよ。人形を与えるとはしゃぎ回るような」

「可愛いですね、それは」


「そして、誰よりも頑張り屋だったよ。鉄棒にしがみついて、必死に頑張っとった。勉強だって、娘よりもやっていた気がするねぇ。……そして、よく遊ぶ子だった。付き添いでよく来たもんだよ、この公園は」

「……近かったんですか?」

「そうさねぇ。私も、娘の家族の家も近かったさ。桜が咲いた時にはみんなで見たねぇ。体が動かなくなった後も、車椅子に乗せてもらって」


 老婆は、小さく溜め息をついた。


「ただ……、私が死んで。ここからそう遠くないところにあった私の家も、取り壊されて。それで……」

「ここなら、来るかもしれない、と」


 老婆は、大きく頷いた。


「ただ、あれからずっと待ったけど来なかった。娘の家に行こうとしたけど、それもできなかった。飼い犬のように、公園に括り付けられてしまったんだよ」


「優しかったんですね」

「……へっ?」

「ただの独り言です。……因みに、お孫さんの名前は?」

「アイ、だったかしら。漢字はもう、思い出せないけれど」

「他に名前が分かる人は?」

「えっと、確か娘が……、エリって名前だったかしら?」

「最後に、お名前は?」

「……トキ」

「そこまで覚えていれば、上等な方です」


 頭に手を当てながら、少し考える。やるべきことを頭の中で纏めてから、目の前でオロオロしたままの会長を呼んだ。


「会長さーん」

「は、はい!」


 急に見えない誰かと会話し始めた私を見て混乱したままの会長は、慌てた様子で返事をした。


「あの、二年前にこの地区に住んでいた人を確認したいんだけど」

「は、はぁ……」


「次の条件で確認できない?」


 そう言って、ポケットに入っていた紙切れに次のことを書いた。


・二年以上前に住んでいた(今は住んでいるか不明)

・母+娘 or 両親+娘

・母:エリ

・娘:アイ

・この公園の近く

・それ以前に、祖母(トキ、苗字不明)が亡くなった


「こんなとこかしらね。調べられる?」

「記憶にないな……。もっとこう、詳しいことは聞き出せないんですか?」

「無理よ。ここまでずっといて、これだけ覚えていただけでも良い方だもの。それ以上要求するなら……」

「わ、分かったから」


 含みを持たせたような言い方とともに軽く睨んだら、そそくさと携帯を取り出した。

 きっと、また嫌な噂が回るんだろう。


「取り敢えず、知っている限りで一番の情報通と、それから先代の会長に電話するから!」

「……やればできるじゃない」


 小さく溜め息をついて、暗くなった空を見上げる。

 老婆は、私の方を心配そうに見つめていた。



「ええ、はい、はい。そうですか。いやぁ、お忙しいところすみませんでした」


 キツツキのように頭を上げ下げした後、会長が電話を切った。

 公園には、街灯が灯っていた。


「……どうだったかしら?」

「いやぁ、最後の頼みで末田という人に掛けてみたんだが……」

「そういう話はいいから、結果」


「……当たったよ、本当にいるとは」


 会長は、気味が悪いと言いたげに言う。

 私が渡した紙切れの裏に、読みにくい殴り書きで、次のようなことが書かれていた。


・未空 恵理

・娘: 愛

・夫: 大地


・母: トキ(→三年前に他界)


・二年前に引っ越した


「言いにくいんだけど……、愛は二年前に引っ越したそうよ」

「そうかい……」


 老婆は、自分の中に押し込めるように空に白い息を吐いた。


「……お世話になったわねぇ」


 固まった腰をゆっくりと上げながら、呟くように言った。


「失礼ですが、どこに行くのですか?」

「どこって……、そりゃ、迷惑が掛からない場所だよ」


 そう言うと、老婆は街灯の方へ歩き出した。


「止めないでおくれ」


「……待って!」


 私が叫ぶのと、会長の携帯電話が鳴るのは、偶然にも同時だった。


「ああ、はい。ええ、あっ、末田さん。先程はどうも。ええと……、あっ!」


 老婆も、振り返った。


美播みはりの愛! いやぁ、忘れていたもんですなぁ。そう言えばそうでしたわ。年には勝てませんなぁ。あっ、ありがとうございます。ではー」


 電話を切って、会長はこっちを向いた。


「まださっきの霊はいるかい? いるんだったら伝えてくれ。愛はな、あの名門、美播中に行ったんだとな!」


 美播中……、聞いたことがある。確か、偏差値70クラス、テレビにも出ていたような。

 記憶が正しければ、美播中はここから行ける距離にはない。そもそも県が違かったから、両親と一緒に引っ越したんだろう。

 私は、きょとんとしている老婆の方を向いた。


「おばあさん、良かったですね。お孫さんは、たくさん勉強して、行きたい中学に受かったそうです。通うために引っ越した先で、勉強頑張っているそうですよ」

「……本当に?」


 震えた声で、老婆は涙を浮かべた。


「大人になって……。よかった、よかった……。本当に、よかった」


 そう言って、老婆は泣きながら微笑んだ。


 海の中に飛び込んだ時に周りに広がる泡のように、光の粒が老婆から上がっていく。


「……もう、お別れかしら。短い間だったけど、本当にありがとう」

「こちらこそ。楽しかったわ」


「……旅立つ前に、立派になった孫が見たかったなぁ」

「会えるわよ、保証する」

「……ありがとう」


 そう言って、老婆は頬を緩ませた。

 そして、老婆は霧にように消えていった。


「……もう、縛るものは無いわ」


 最後の一粒は、地面を濡らしていた。





「んで、どうだった?」


 家に戻ると、崇之がニヤニヤしながら聞いてきた。


「……別に」


 無視して、靴を揃えた。


「まぁ、聞くまでもないか。随分楽しかったようだし。機嫌が悪い時の姉さんなんか、もう最悪だもん。ガラス割ったり、皿投げたり……」

「……変な事言わないでくれる?」

「へいへい」


 リビングに入ると、豪華な料理が並んでいた。

 崇之が来ると、自分が食べる分を確保するために、必ずと言っていいほど料理をする。それも、二人分で。

 それが憎たらしいほどに美味い。


 自分の椅子の隣の席に旅行カバンを置いて、中に入っていたウサギのぬいぐるみを立てる。

 手を合わせてから、紅茶を飲んだ。


「んで、 ふんだくってきた?」

「……失礼ね」

「いやぁ、でもさ。この前は結構取ってきたでしょ?」

「あの時はね。今回は別。むしろまけてきた」


 一息ついてから、ふと呟いた。


「……全ての依頼が、あれほど気楽なものならいいのに」

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