第五十四話「遊撃戦」

 カンカンカンッ!

 街に設置された警鐘が絶え間なく鳴り響く。


「走れ走れ!」


 今日は非番であった森都の兵士の一人、ナワリはあらん限りの声で叫び、住民の避難を促す。

 五十年勤めてきたが、絶え間なく警鐘が鳴り響く事態は記憶にない。

 警鐘が鳴ったのも、最近だとトム爺さんの家でボヤ騒動があった時くらいだ。

 同僚も走り回り、声を張り上げている。

 最初こそ、気持ちよく寮で寝ていたら叩き起こされ、住民の避難誘導を隊長から指示され、正直せっかくの休みが潰された苛立ちの方が大きかった。

 隊長から伝達されたのは森都に魔物が迫っているとの簡潔な説明。

 最初こそ何の冗談かと思った。

 だが、冗談ではないと知る。

 森都で何かが起きている。

 次々と魔物が街に侵入してくるという異常事態。

 さらに、時間が経つにつれ、魔物の数が増えているようだ。

 隊長から逐一情報が展開されるが、魔物との戦闘報告が減るどころかどんどん増えている。

 森都の中央に向かうよう避難誘導しているが、まだまだ住民の避難の完了を終えるのには時間がかかりそうだ。

 そして時間がかかればかかるほど犠牲者が増える。

 今は自分ができる職務を全うするのに必死であった。


「ちっ」


 舌打ちをする。

 道の先、ちょうど黒い姿が見えたからだ。

 人ではない異形。

 魔物だ。

 まだ、住民の避難は終わっていないが、この区画にまで魔物がもう侵入してきたのだ。

 運の悪い事に逃げ遅れていた子連れの住民がちょうど魔物の視界に入ってしまう。

 血走った目が住民を捉え襲い掛かる。

 走って逃げればいいものを、魔物の姿に怯み、あろうことか歩みを止めてしまう。

 母親であろう。

 咄嗟に子供を自分の身体で庇う。

 ナワリは背負っていた弓を素早く構える。


「風の加護をここに!」


 詠唱を矢に掛け、射る。

 狙い違わず魔物の目を射抜いた。


「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 耳を劈く咆哮。

 それで魔物も止まってくれれば良かったが。

 視界を奪ったはずの魔物はそれでも勢い衰えず。

 自身の矢で、あるいは魔術で魔物の頭部を吹き飛ばすことができれば状況は違ったが、それには力足らずであった。

 ナワリにはもうどうすることはできない。

 親子の悲惨な未来を想像する。

 すると予想外の出来事が起こる。

 建物の影から人が降ってきたのだ!

 だが、喜ぶよりも何を馬鹿なことをと叫びそうになる。

 魔力により視力を強化しているナワリが見たのは、まだ成熟していない身体の人族の姿。

 手には剣が握られている。

 しかし、その人族よりも一回り大きい身体の魔物の手にかかれば一瞬のうちに肉塊に変えられてしまうことだろう。

 と、思った。

 実際の結果は違った。

 少年が自然な動作で、軽く剣を腰から振り上げた。

 肉塊となったのは魔物であった。


「何が起こった……?」


 ナワリは信じられないものを目にした。



 ◇



『南側の避難が遅れている。支援を頼む』


 レイからの指示が脳内に響く。

 ラフィが以前使っていた念話を長距離で可能とする魔術の魔道具バージョンである耳飾りを俺は付けていた。

 これにより、複数の人と念話ができる便利道具。 


「了解っと」


 レイの指示に応じ、言われた方角へ、建物の屋根から屋根へと疾走する。

 半月が浮かぶ夜空。

 普段であれば寝静まる時間であろう。

 しかし、静寂とは程多い。

 喧噪が遠くから、近くから聞こえる。

 怒号。

 悲鳴。

 唸り声。

 何かの破壊音。

 視界の先には煙があがり、燃えている建物も確認できた。

 青と赤の竜コンビに出動してもらい、侵入した魔物の殲滅にあたりたいのは山々であるが、


「住民に被害を与えずに、魔物だけを殲滅できたり?」


 という質問に対して、「無理」との簡潔な回答を頂いたため、避難が完了するまで、森都の外縁部にて殲滅任務にあたってもらっている。

 森都内での殲滅支援は主に俺とストラディバリであたることになった。

 魔物が侵入している区画に入ると、さっそく襲われている住民が見えた。

 迷わず、助けるために飛び降りる。

 魔物の間に。

 着地し、突進してくる魔物を見据える。


 ケイブベアー レベル32


目は矢で潰され、すでに手負いのようであるが、魔物の中に逃げるという選択肢はない様子。

迫りくるケイブベアに向かって、腰から刀を振り上げる。

 一刀両断。

 一撃をもって魔物を肉塊へと変える。


『お見事ですマスター』


 ヘルプの賞賛。


「あ、ありがとうございます」


 震える声で礼を述べる女性。


「すぐに次の魔物が来る。早く逃げてください」

「は、はい」

『ナオキ、そこから東に。魔物の群れが入ってきてるらしい。支援できる?』


 レイと同じくラフィも今は後方待機し、状況整理にあたってくれている。


『すぐいく』


 周囲に他の魔物がいないことを確認し、建物の屋根へと飛び上がり、指示された方角へ向かう。


『妙だな』

 

 レイが訝しげな声を上げる。


『伝わってくる報告を聞くに、どうも比較的大人しい性格の魔物でさえ、非常に好戦的なようだ』

『ナオキ達を襲撃した犯人が何か仕込んだとか?』

『あり得るな。傷を負っても、命ある限り襲ってくるようなので十分注意してくれ』

 

 会話を聞きながら、走っていると、すぐにラフィが言っていた魔物の群れが見えた。

 遠目から見れば鹿のようにもみえる、その魔物は通りを走っている。

 魔物の先には追われて逃げる住民、迎え撃とうと構える兵。

 このまま当たれば、兵に甚大な被害を与え、住民にも被害が及ぶだろう。

 足に力を込め、その前へ降り立とうとするよりも早く、声が掛かる。


『ここは俺様に任せろ』


 赤い粒子が魔物の前へ集結し、ストラディバリの姿が像を結んだ。

 手には俺が預かっていた初代剣聖の証でもある剣が握られていた。

 その男は真っ赤な髪を風に揺らし、不敵な笑みを浮かべる。

 剣を天へと掲げた。


「灰塵と化せ、炎蛇!」

 

 通りを沿って紅蓮の炎が一直線に噴出した。

 火のカーテンが形成されたかのような光景。

 距離があったのに、俺のところまで熱波が伝わってくる。

 

『はっ、俺様の敵じゃないな』


 炎が消えると、通りに侵入していた魔物の影も形もなくなっていた。

 ストラディバリの発生させた炎に呑まれたのだ。

 両脇の建物こそ無傷であるが、綺麗に敷き詰められていた石畳や樹木は消え、炎が通ったあとは地肌が覗いている有様。

 その光景を守られた側の兵と住民も呆けた顔で見ていた。

 俺もひきつった笑みでその光景をみる。


『逃げ遅れた住民がいたらどうするんだよ!』

『ん? 大丈夫だ。あの辺に人はいなかったぜ』

『……その根拠は』

『カンだ』

『……』


 色々言いたいことはあるが、今はストラディバリの言葉を信用するしかない。


『ナオキ、北も魔物が侵入し始めたとの報告だ』


 レイからの言葉が聞こえる。

 顔は見えないが、話しながら眉間に皺を寄せているのが想像できた。


『ストラディバリ、南は任せた』

『ああ、任された』


 不安は残るが、きっと大丈夫だ。

 俺は北へと急行する。



 ◇



「まさかこの身体で、また森都に来ることになるとはな」


 去っていた少年の方向を見つめながら呟く。

 目の前の魔物は殲滅したが、次から次へと新たな気配が近づいているのがわかる。

 身に迫る危機を払ってやったというのに、住民とそれを誘導するべき兵も呆けた表情を未だに浮かべている。

 とっとと逃げればいいのに何をしているのか。

 ストラディバリが知っているかつての森都は精鋭と呼ぶべき人材で溢れていたのだが、と嘆息する。

 このまま、住民共が魔物の餌になったとしても、自身とは何ら関係なく、別にかまわないのではあるが。


「……ま、昔世話になった恩を返す働きくらいはしておくか」


 頭上では喧騒とは無縁に、森都を見守る世界樹の枝葉が静かに揺れていた。

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