第四十五話「獅子炎帝」

「我、この世界の秩序を守りしもの――」


 俺は華月を両手で握り、正面に構え、視界に表示される文字を唱えていく。

 一節を詠唱しただけで、ごそっと、身体から魔力が持っていかれるのを感じた。

 同時に、自身が波紋を生み出す雫のように、俺を中心とした魔力の輪が広がっていくのを感じる。

 そして、直感で理解する。

 この詠唱は、表示されている文字を早口で読み上げるだけでは成立しない。

 一節ごとに、場に魔力が充ちていくのを確認しながら進めていかなければならないと。

 これは時間が思った以上に時間がかかる。

 文字の先に、ラフィが立塞がり、大蛇と対峙しているのが見えた。

 自身よりも何倍も巨大な敵だ。

 俺でも、あの巨体を魔術で受け切ると、かなりの魔力を要する。

 大丈夫だろうか、と心配する俺と、ラフィなら大丈夫だと信じる気持ちが半々ではある。

 大蛇がぶつかり、さらにもう一度勢いをつけてぶつかってきた。

 まずい、と俺は思い、声をあげそうになる。

 しかし、ここで詠唱を止めることはできない。

 だが俺の心配とは違い、目に映る光景は違った。

 ラフィが張った防御魔術にぶつかった大蛇が、どのような魔術を使ったのか、地面へ激突したのだ。

 それだけで終わらず、ラフィが大蛇を追撃の魔術で吹き飛ばしたのだ!


(さすが、ラフィ)


 心配する必要はなかった。

 頼もしい仲間が俺を守ってくれている。

 目を閉じ、俺は詠唱に集中する。

 暗闇の中、詠唱すべき文字だけが視界に浮かぶ。


「我、この世界の理を守りしもの――」


 魔力を紡ぎだす言葉と共に、広がった魔力の輪へとさらに流し込んでいく。

 耳から戦闘音だけが届く。


「黄昏の守護者よ。夜の帳を越え、我らの境界に至らん――」


 風が薙ぎ、地面が振動する中、詠唱を進めていく。

 

『駄竜、ラフィ様を手伝いなさい。魔力を少しはため込んでいるでしょう』

「仕方がないな……」


 ヘルプのやり取りで、翼が空気を切る音と共に、頭から重しがなくなる。


「駆けよ、吼えよ、地上を裁定の炎で覆わん――」

 

 あと少し。

 音が消え、静寂が支配し、魔力が十分に充たされたのがわかった。


「今こそとこしえの十二の盟約に従い、我が召喚に応えよ――」


 目を開き、視界と音が戻る。

 目の前には大蛇が映った。

 先程とは姿が異なっていた。

 首が七つに増えていた。

 それを空中に浮かぶ七枚の氷の花弁が押しとどめている。


「ナオキ……!」


 届く、ラフィの悲鳴のような声。

 もう保てないと、押しとどめている花弁にもヒビが生じていた。

 大丈夫だと、伝えるように、最後の一節を口にする。


「《獅子炎帝イフリート》!」


 握っていた華月が光を放ち、空を穿つ。

 手から柄が消え、目の前に一つの光球が浮かぶ。


「くっ……!」


 突如、光球を中心として暴風が吹き荒れ、俺は吹き飛ばされた。 

 あれほどあった魔力がほぼすっからかん。

 虚脱感に襲われていた俺には受け身をとることすらままならない。

 同時に、ラフィの魔術が砕け散るのが見えた。

 その下で、ラフィも倒れるのが見える。

 まずい。

 助けようと、足に力を込めるが、立ち上がった瞬間にバランスを崩し、顔から地面に倒れた。


『大丈夫だ』


 声が響いた。

 その主は大蛇の目の前にいた。

 姿は人、だが人ならざる存在。

 腰まで伸びる燃えるような髪は炎だ。

 輪郭が陽炎のごとく揺らめく。

 手には一振りの燃える剣が握られていた。


『世界に混乱を招く者よ。その芽は摘まねばならない』


 すっと剣を掲げる。


「Syaaaaaaaaaaaaaaaaa!」


 敵と認識し、そいつに向かって大蛇の首が殺到した。

 だが大蛇が動き出した時には、もう手遅れであった。


『滅せよ』


 ただ剣を振り下ろしただけ。


「……っ!」


 空が裂けた。

 いや、そう見えただけだ。

 ぶわっと熱波が露出した肌を襲う。

 ひりひりと焦げるような感触が薙いだ。

 大蛇が視界から消えうせた。

 ただの一振りで、あれほど苦戦していた大蛇は存在そのものが幻であったかのように、焼却されたのだと理解した。

 余波で、大地が割れたように一直線の斬痕が残り、地面が燃えていた。


「とんでもないな……」


 俺は呟き、目の前でラフィが倒れていることを思い出し、駆け寄る。

 大分無茶なお願いをしたのだ。

 怪我をしていないか診ていると、ヘルプの声がかかる。


『御安心くださいマスター、ただの魔力切れです』

「そうか……」


 ホッと胸を撫でおろす。

 カツカツと近づいてくる音がする。


『私を喚んだのはお前か』

「ああ……」


 この男が獅子炎帝イフリートなのだろう。

 驚いたことに、見た目は人だ。

 てっきり表記から炎を纏った獅子が召喚されるものと思っていた。

 あと、王都で召喚(あの時は憑依とでも言った方が正しいかもしれないが)し、その後の戦闘痕からどんな暴れん坊かと思ったが、今は理性的な存在に見える。

 視界の隅に、一撃で抉られた痕跡が映った。

 ……やっぱり理性的という言葉は取り消させてくれ。


『ふむ、二度目だな。今回は中途半端ではなく、ちゃんとした形で私を喚んだことは褒めてやろう』

「そりゃどうも」

 

 俺はこいつに聞きたいことがあった。


「……さっきの蛇がどういった存在か知っているのか?」

『お前が期待している答えは生憎と所持していないが、私にわかることは、あれはこの世界に居てはならぬものということだけだ』

「すごい漠然としているな……。でも、俺達の攻撃は効かなかったのにどうしてイフリートの……」


 ポツポツと思考をそのまま言葉にだしていると、


「あれっ……?」


 ぼーっとし、ふらふらと視界がふらついてきた。


『私をこの世界に顕現させていれば、維持に相応の魔力が必要だ。何やら私に聞きたいことがあるようだが、今回はここまでのようだな』


 イフリートの声が遠のく。

 

『また会おう、勇者』



 ◇



 パラパラと、葉に弾ける雨音が耳に聞こえた。

 雨音は聞こえるが、濡れる感触は身体に伝わってこない。

 いつのまに樹の下の移動したのだろうか。

 起き上がらないと、思考のどこかで呟く。

 パシャパシャと、近づいてくる足音が聞こえてきた。


 誰だろうと思う。


「……リスッ……!」


 呼ばれた気がした。

 直後に、なんだか温かな感触が伝わってきた。

 懐かしい感触だ。

 先程まで起き上がらなきゃと思っていたのに、俺はその温かさに身を委ね、再び深い眠りに落ちた。

 

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