幕間「白髪の少女」


 アリスが魔力を使い果たし、地面に倒れた。

 少し遅れ、イフリートも光の粒子となって消えていくのを見届ける。

 先程までの戦闘が幻であったかのような静寂が訪れた。


(やれやれ、とんでもないね)

 

 残された斬痕を見つめる。

 イフリートという存在は、竜の「強い者と戦いたい」という本能があるにもかかわらず、「喧嘩を売ってはならない相手」と思わずにはいられなかった。

 敵に回してはこの世界での生存は望めないだろう。

 ぶるっと身体を震わす。

 僕は両翼をはばたかせ、アリスの側へと移動する。

 体内に溜め込んでいた魔力を半分ほど消費し、僕の身体は本来の大きさとまではいかなくともアリス一人を運ぶのには十分な大きさとなっていた。

 大蛇の攻撃を防ぐためにも魔力を消費したので、戦闘開始前と比較すれば、僕の残り魔力は二割といったところか。


(さて、はやいところ運ぶか)


 ラフィが使用していた水魔術により生み出された周囲の水は、イフリートの一撃により、一瞬にして蒸発した。

 蒸発した水は上空で雲となり、周囲はどんより、今にも雨が降り出しそうだ。

 アリスを道に放置し、ズブ濡れにすることなどできない。

 脇にある木陰まで運ぼうと思い、こうして側に降り立ったわけだ。


(うんうん、僕は自分が思っていた以上に忠誠心があるようだね) 


 もちろんアリスを運んだあとに、ラフィも運ぶつもりだが、どうしても僕の優先度はアリスが先になる。

 本音を言えば、「アリス以外はどうでもいい」。

 ただ、アリスだけを運び、ラフィを放置したなどとアリスに知られれば、機嫌を損ねることになることは明らか。

 僕はアリスとはなるべくよい関係でいたいのだ。

 風魔術を用いて、アリスを背中に移動させようとする。


「ん?」


 突然新たな気配が現れた。

 いつからいたのか。

 一糸纏わぬ姿、白髪の少女がアリスの横に立っていた。

 僕はこの少女が誰なのか、すぐにわかった。


「うん。なるほど、それが君の本来の姿なのかな?」

「……」


 僕の問いかけに対して少女は無言。

 無言の少女は、少しかがみ、自分と同じくらいの背丈であるアリスを両腕で抱える。

 いや、違う。

 少女はアリスと全く同じ背丈だ。

 なにしろ少女の姿は、髪の色は違えど、アリスと瓜二つなのだから。

 かがんでいた少女は、すっと立ち上がると僕の方へとようやく視線をやる。


「駄竜はラフィ様をお願いします」

「うん、了解」


 僕は少女の指示に大人なしく従った。

 少し山側に移動すると、木々が連なっており、道のすぐ側にもにちょうどよい大木が立っていた。

 僕は運んでいたラフィをそっと、大木に寄り掛かるようにおろす。

 隣で歩いていた少女も大木の傍までより、僕と同じようにアリスをおろそうとし、じーっと顔を見ながら固まっていた。

 アリスを腕からおろすのが名残惜しそうに。


「で、君のことは何て呼べばいいのかな? ヘルプと呼べばいい?」

「ええ、今の私はヘルプ以外の何者でもありません」


 少女――ヘルプはやはり僕の方を見ることなく、アリスをじーっと見つめたまま答える。


「ただの精霊ではないだろうな、とは思っていたけど。

 なるほど。

 さっきのイフリートの魔力を間近で感じた今なら確信を持って言える」


 魔力の消費がもったいないので、身体を馴染みの姿にもどし、ヘルプの横に滞空する。


「君はイフリートと同じ存在なんだね」

「……」

「もっと言うならば、精霊よりも神に近しい存在というべきかな?」

「……先程も言った通り、今はヘルプ以外の何者でもありませんよ」


 長い沈黙の後に、ポツリとヘルプは答え、ようやく僕がラフィを木に寄り掛かるようにしたのと同様に、アリスを腕から下ろした。


「そんなにアリスのことが愛おしいなら、もっと頻繁にその姿で現れればいいじゃないか。

 そうすれば僕に対する、その冷たい態度も緩和されそうだしね」


 僕のことを駄竜と呼んだりと、ヘルプは僕に対してやたらと厳しい。

 これは、精霊として僕がアリスについていた時に、僕ばかりがしゃべり、ヘルプの役目を奪っていた時の嫉妬からきているのでは、と僕は思っていた。


「そうですね。こうしていつでも、この姿になれればいいのですが、私もどうしてこの世界に、実体をもって顕現できたのか、よくわからないのです」

「ふーん……。

 でも、まあアリスならそのうち君をいつでもこっち側に喚べれるようになりそうだけどね」

「そうであればいいのですが、恐らくは無理でしょう」

「どうしてそう思うんだい?」

「私を喚ぶ魔法陣はすでにこの世界から失われているからですよ」


 坦々と無表情で答えるヘルプ。

 だが、僕にはどこか寂しそうに見えた。


「まあ、物知りな君がそういうならそうなんだろうね」

「ええ」


 そして、僕はヘルプが足元から消えかかっていることに気づく。

 それはヘルプも同様に気づいていた。


「やはり長い時間、私はこの世界に留まれないようです。

 もうすぐ、マスターをよく知る人物がここを通りますので、あとはお願いします」

「うん。任された。

 それと、さっきの話だけど、この世界は案外あったものを完全に無くすということはとても難しいよ」

「……」

「アリスはイフリートの召喚に成功した。

 そして僕も君の存在に心当たりがある。

 案外またこうして、僕と言葉を交わすことになるかもしれないよ」

「夢物語ですね」

「そうだね。

 でも君のマスターはきっと夢物語が大好きな人間だ。

 そして僕もアリスが行うことには興味がある。

 今回のイフリート召喚はよかった。

 そうなると、いったい君本来の姿はどのようなものなのか、興味がつきない。

 その姿は仮初だろう?」

「……」


 僕の質問にヘルプは答えない。

 いや、答えられないといったほうが正解か。

 ヘルプの姿が輪郭を失っていく。

 無言のまま、お別れかと思ったが、少女はゆっくりと口を開け、声を発した。 


「また会いましょう、青」   


 すこしだけ白髪のアリスは微笑んだように見えた。

 「またね」と翼を振ってこたえたが、すでに少女の姿はどこにもなかった。

 ポツポツと雨が降り始める。

 やがて遠くから馬車が近づいてくる音が聞こえてきた。

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