第三十八話「交渉開始」


 朝食を食べ終え、俺は礼を述べるとジン家を後にする。

 家を出る前、サチに「今日もアリスちゃんと遊ぶ!」といった猛攻を受けたが、断腸の思いで断りを入れた。

 そうして再び鍛冶区を訪れていた。

 昨日と違い、工房の場所は憶えているので、目的地へとまっすぐ向かう。

 ガルネリ工房と記された店の前に立つと、扉を開ける。


「いらっしゃ――ってまたお前さんか」


 不愛想ながらも店の主らしい声で最初は迎え入れてくれたが、俺の姿を見るや呆れ交じりの声音となる。


「昨日ぶりです」


 開けた扉を閉め、店の中へと入る。

 今日はすでに飲んでたらどうしようと若干不安に思っていたが杞憂で終わったようだ。


(さすがにこんな早朝からは飲まないか)


 ほっと胸を撫でおろす。

 そんな俺の胸中など関係なく、ガルネリは鬱陶しそうに声を上げる。


「ここは遊び場じゃねえんだ」


 冷たく。

 店から追い払う様にシッシと手を払う。

 俺の言葉をまともに聞いてくれそうな様子はない。

 

(さて、どうする?)


 ここで「はい、お邪魔しました」と退いては昨日と何も進歩がない。


(サチちゃんみたいに笑顔でお願いしてみるか?)


 サチの笑顔は無敵であった。

 あれこそ、少女という姿を存分に活かした戦法なのかもしれない。

 だが、サチの邪気のない笑顔は、実際には幾分か年を経ている俺には難易度が高い。

 そんなことを思考していると、早く店から出て行けと言わんばかりにガルネリが言い放つ。

 

「ガキはおうちに帰ってママのおっぱいでも吸ってな」


 余りの物言いに、俺はカチーンときた。

 笑顔笑顔と思い浮かべていた顔が中途半端に固まる。

 

(ここから笑顔? いやいや無理無理)


 作戦変更。

 水魔術を無詠唱で発動。

 目のあたりを軽く濡らす。

 ガルネリを見つめる俺の目からただの水が頬を伝い、床へと落ちる。

 

「お母さんはいないの……」


 慣れない声音を出し、若干俺の声は上擦る。

 多分、少しでも俺と身近で接している者であれば、あまりの大根役者っぷりに笑い声が起きてたかもしれない。

 だが、目の前にいるガルネリは普段の俺など全く知らない。

 先程までは、何食わぬ顔で店に入り堂々としていたのに、ガルネリの言葉で突然涙を流し始めた。

 ガルネリは突然涙を流し始めた俺に慌て、先程までの威圧的な態度が嘘のように、オロオロとし始めた。

 ちょろい。

 正直、こんなに効果的だとは思わなかった。

 だが、あまりの大根っぷりに自分でも恥ずかしくなってきた。

 まともにガルネリの方に顔を向けられない。

 恥ずかしさから腕で顔を隠す。


(これ、いつまで続けよう)


「す、すまぬ。わしが悪かった。

 ちょっと冷たく当たればどっかいくじゃろうと、心を鬼にして意地悪をしてしまった。

 この通りじゃ、泣き止んでおくれ」


 ガルネリの声が耳に入る。

 腕で顔を隠しながら俺はヒックヒックと嗚咽を漏らすが、嗚咽じゃない。

 実は笑い声です。

 

「そ、そうじゃ。甘いものでも飲んだら元気がでるじゃろう。

 ちょっと待っておれ」


 そう言い残すと、ガルネリは店の裏へと引っ込んでいく。

 目の前からガルネリの気配が消えたのを確認すると、俺は顔を上げる。  


(女の武器は涙。よく憶えておこう)


 ピロピローンという効果音と共に俺は新スキル女の涙を習得した。

 と、脳内でアホなことを考えながら収納ボックスからハンカチを取り出し、ガルネリが戻ってくる前に顔を濡らした水をふき取った。



 ◇



「ふーふー」


 俺は受付台の前にある椅子に腰を掛け、ガルネリが持ってきてくれた温かい蜂蜜入り牛乳が入ったジョッキを冷まそうと息を吹きかけてていた。


「ど、どうじゃ。少しは落ち着いたかの?」


 邪険に扱っていた態度は何だったのかと思いたくなるガルネリの豹変ぶりを、今度は俺が冷めた目で一瞥する。

 どうやら本当に小さい子が工房に来て、怪我をしては危ないという理由で、俺を突き放す行動をしていたみたいだ。

 すごくいい人。

 傍からみれば機嫌を損ねた孫とお爺ちゃんの図である。

 無言で一口、ジョッキを口に運ぶ。

 柔らかな甘みが口に広がる。


(甘い)


 幸せな気分になる。

 だが、俺は表情には出さない。

 あくまで無言。

 一拍おいたのち、上目遣いでガルネリを見つめ、俺は口を開く。


「私の話……聞いてくれます?」


 ちらっとガルネリを見たのち、再びジョッキへと視線を戻す。


「う、うむ。

 話くらいなら、聞こう」


 俺は少女の姿の正しい使い方を今更ながら学習した。

 取り敢えず、ガルネリに話をやっとこさ聞いてもらえそうである。


「私はこんな見た目ですが、特別に今年から王都学校に通わせてもらっています」

「その服を見掛けたことがあるとは思っておったが、そうかそうか。

 ……言われてみれば剣術を学ぶためか、帯剣してたのじゃな。

 学校の生徒だったのか。

 しかし、その年でとはすごいもんじゃな」


 信じてもらえるかな? と思っていたが、俺の話にガルネリは素直に感心する。

 

「私のこのなりでは、出回っている剣では中々しっくりくるものがなく、オーダーメイドの剣を作ってもらいたく、ジンさんに紹介していただいて訪ねた次第です」

「ふむ、なるほどのお。

 あやつが紹介するとはな。

 普通であれば、お前さんの剣の腕を見せてもらってから依頼を引き受けるか決めるところじゃがジンの紹介なら問題なかろう」


 拍子抜けするほどあっさりとガルネリが引き受けてくれたことに今度は俺が驚く。


「いいんですか?」


 俺の言葉にガルネリは罰が悪そうに顎髭を触りながら口を開く。


「……今更じゃが、冷静に思い返してみると昨日お前さんを担いだ時に重かった。

 重いはずがないのに。

 考えられるのはその剣以外ない。

 それは相当重いはずじゃ。

 にもかかわらず今も涼しい顔で剣を腰に下げておる。

 信じられないが、その見た目で剣を振るうだけの基礎力が備わっているのじゃろう」

「引き受けてくれるのは嬉しいのですが、お金とかの話はしなくていいのですか?

 もちろん、いくらもで払いますけど」

「なに、足りない分はジンからでもせしめるわい。

 取り敢えず、お前さんが使っている剣を見せてもらってもいいかい?」

 

 ジョッキを机の隅に置くと、腰の剣をガルネリの前に置く。

 ふむ、と俺が置いた剣をガルネリは一瞥する。


「見たところ何の変哲もない剣じゃな」


 そして俺は剣に施していた偽装を解く。

 どこにでもありそうな剣が突如として豪華な装飾が施された剣へと模様を変える。

 俺が剣に魔術を掛けていたことにガルネリは驚くも、まずは剣に関することを述べる。

 

「魔術で偽装しておったのか……。

 これは剣というよりは貴族達が好きそうな装飾品としての剣じゃ。

 今から言う言葉で泣かんでくれよ?

 う、うむ、泣かんな?

 こういっては何じゃがわしはこういった剣が嫌いじゃ。

 良い剣とは、何も飾らなくてもその存在感だけで美しさが滲みでるものじゃ。

 装飾品を施すなど無骨無骨。

 剣本来の存在感が霞むわい」

 

 ガルネリは剣についてしゃべり始めると饒舌になるようだ。

 「触っても?」と問いかえてきたので「どうぞ」と返す。

 俺の返事を聞くと、ガルネリは剣を手に取り、全体のバランスを確認していく。

 

(そういえば、アニエス姉さんからの手紙があったんだ。

 手紙がなくても剣の依頼引き受けてもらえたけど、せっかく書いてもらったんだし渡しておくか)


 収納ボックスからしまっていた手紙を取り出した時。

 突如、ガルネリが声を上げる。


「これは……!」


 ガルネリは剣を鞘から抜き出し、剣身を目にすると硬直していた。


「お前さん、これを、これをどこで手に入れたのだ?」


 ガルネリは興奮した様子で俺へと問いかける。


「え、えと。

 国王陛下から、下賜されました」

「どういう意味じゃ?」


 困惑、俺の言葉をガルネリはうまく呑み込めない様子であった。


「これを」


 いいタイミングと思い俺はアニエスの手紙をガルネリに差し出す。

 

「手紙? 誰からのじゃ?」

 

 顔に刻まれた皺を深くしながらも、ガルネリは手紙の封に使われた蝋印を見て目を剥く。

 

「お、王家じゃと?」


 印蝋に気付いたガルネリは丁寧に封を開け中身を読む。

 何が書かれていたのか。

 俺に時折、視線を向けながら、ガルネリの眉間の皺がさらに深くなる。

 読み終わり、ガルネリが顔を上げる。


「ちょっと、わけがわからん。酒を」


 ふらふらと店裏に向かっていき、酒瓶を手に持っていた。

 口に運ぼうとしたのを、俺は間一髪で防いだ。

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