第十九話「ご機嫌とり」


 意識がゆっくり覚醒する。

 お昼頃までブルックナーが教えてくれたオススメの魔術書を片っ端から読んでいた。

 気付いたら夢の中。

 天窓から注ぐ心地よい日差しが眠気を誘うのだ。

 目を開けると、碧い瞳が俺を覗き込んでいた。

 そういえば、いつもの固い床の感覚がしない。

 柔らかいものを頭にしていた――アニエスの膝だった。


(えっ、アニエス様? なんで?)


「目が覚めたのね、アリス」


 アニエスはゆっくり微笑み、俺のほっぺをつまむ。


「いたひ、いたひれす」


 ほっぺをつねられる痛みで意識は完全に覚醒した。


「どうしてアリスがこんな場所にいるのかな?」


 優し気に問いかけてくれるがその言葉に怒気が含まれている。

 俺は正座する。

 全部正直に話すわけにもいかないのでずっと考えていた嘘を交えて経緯を話し始める。

 サザーランドの推薦でこの学校に特別枠で入学したこと。

 アニエスに学校に入学することを秘密にしていたのは学校で驚かしたかったため。

 その話をしているときに少しだけアニエスの機嫌がよくなったのを感じた俺は「アニエス様に会えなくて毎日毎日寂しかった」と媚びる作戦にでた。

 効果は覿面てきめんであった。


「そうか、そうかー。

 そんなに私に会いたくて学校まで追ってきちゃったかー」


 俺が話し終えた時、にへらと笑うアニエスの姿があった。

 よし、乗り切ったと会心の手ごたえを得る。


「でも、どうして一度も学校に来てないの?」

 

 うっと呻く。

 俺の目は泳ぎ、暫く沈黙の時が流れる。


「し、知らない人がたくさんいて。

 いざ行こうと思ったら怖くなっちゃって……」


 俺は苦しい言い訳をするが、アニエスは納得したようだ。

 そうか、そうかと頷いている。


「もう大丈夫よ。

 明日からはお姉ちゃんと一緒に学校へ行きましょう」


 満面の笑みで言われ、「いえ、私はここで過ごしますので学校に行きたくありません」とはとても言える雰囲気ではなかった。

 

(さよなら、俺のニート生活)



 ◇



 アニエスに手を引かれ俺は図書館を出る。

 辺りはすっかり日が暮れていた。


「アリスはその年で学校に入学許されて、しかも図書館の閲覧権限まで貰えるなんてすごい子だったのね……」

「アニエス様も最上階まで来られたということは同じじゃないですか?」

「私のは王族特権だからなー。

 でもまさか噂の真相を確かめにいったらアリスがいるとは思わなかったよ」

「え……、噂ですか」

「そう。

 図書館の最上階に精霊がいるっていう噂」


 俺はきょとんとする。


「図書館でアリスを目撃した話が回りに回って最上階に精霊がいるって話になったのかな。

 そういえば、今年は十歳で王立学校に入学する生徒がいるっていう噂もアリスだったのね」


 話していると俺のお腹が可愛らしい音をたてた。

 

(そういえば昼から何も食べてなかったな)


 アニエスにもお腹の音を聞かれていたみたいであらあらとこっちを見ている。


「食事にしましょうか」


 アニエスの提案に乗る。

 学内には全校生徒が入れる大きな食堂が併設されている。

 多くの生徒はそこで三食とる。

 寮には共同キッチンが付いている。

 しかし料理している人を見たことがない。

 二人は食堂に向かうが、時間が遅くすでに閉まっていた。


「あらら、どうしよう……」

「ちょっと待っててください」


 アニエスにそう言い、裏口から食堂の中へと入っていく。


 最近の不規則な生活のせいでご飯にありつけない日が多かった。

 偶然、食堂の前で途方に暮れていると食堂の料理人のおじさんが声を掛けてくれた。

 おじさんは親切に余り物でよければと簡単なものを俺に出してくれた。

 すごく美味だった。

 俺は美味しい美味しいと言いながら食べた。

 その時に「閉まってても片付けで俺が中にいれば何かつくってやるよ」と頭を撫でられながら言われた。

 ただ、火を落としていて片付けまでしていたのに、俺のために再び火を入れてもらうのは心苦しかったので、食事にありつけないときは余りものの食材を貰い自炊することにした。

 ……その日から毎日食材を貰いに来ていた。


 中に入るとおじさんがいつものように待っていてくれた。

 

「よう、嬢ちゃんいらっしゃい」

「いつもすみません」

「いいってことよ。

 今日はお友達も一緒か?」

「アニエス・アルベールです。

 いつもアリスがお世話になっているみたいでありがとうございます」


 ペコリと礼儀正しくアニエスが挨拶する。

 おじさんは目をぱちくりさせ。


「え?

 王女様?

 なに嬢ちゃん、その年でこの学校に入ってきたから相当偉い子だとは思ってたけど王女様と知り合いだったの?」


 王女様もいることだし俺が作ってやるよと、おじさんは提案してくれたがこれ以上お世話になるのは、俺としては本当に心苦しかったので丁重にお断りした。

 食材をもらい、今度はアニエスの手を引いて寮へと向かった。

 生徒の数が多いこともあり、全員が同じ寮に入っているわけではない。

 あとどうやら身分により寮にもランクがあるようであった。

 俺はサザーランドの力か校長の力かはわからないが、最上位のところだ。

 ……アニエスも同じ寮にいることは知っていたが顔を合わせないように細心の注意を払っていた。

 寮に着く。


「アリス、同じ寮だったの?」


 アニエスは再び不機嫌になっていた。

 


 俺達の住んでいる寮はお屋敷のような間取りをしている。

 一階は応接間や食堂、キッチン、お風呂まで併設されている。

 二階と三階に二部屋ずつあり、二階の一室が俺の部屋である。

 四階は一部屋であり、そこがアニエスの部屋だ。

 因みに俺は未だに他の住人に会ったことがない。


 キッチンに着くと俺はアニエスに食堂で待っててもらい料理を始めた。

 今日の余り物はじゃがいも、たまねぎ、にんじん、鶏肉が入っていた。

 共同キッチンの一角の箱を俺は冷蔵庫もどきに改造していた。

 中から牛乳と小麦粉を取り出す。

 かまどの火は魔術を使う。

 鍋で切った具材を軽く炒め、小麦粉と混ぜ合わせる。

 牛乳と水を入れ、風魔術の応用で圧力鍋もどきを再現、いい感じに煮えたところで塩コショウで味を整えれば簡易シチューの完成であった。

 

「アニエス様できました」


 共同キッチンに備え付けられてる皿につぎ、アニエスの所へと持っていく。


「おいしそう!

 アリスはお料理ができたのね。

 これは何ていう料理なの?」

「シチューといいます」


 アニエスはひとくち口にすると目を丸くした。

 二口、三口とあっという間に平らげていく。

 俺も自分で作ったものをおいしそうに食べてくれるのを嬉しく眺めていた。


「今まで食べてきたどんな料理よりもおいしかったわ……。

 うんうん、味だけじゃない。

 お肉もお野菜も今まで食べたことがないやわらかさで……」


 アニエスはすごく喜んでくれた。

 

「アリスはいいお嫁さんになれるわね」


(それだけは勘弁してくれ!)



 ◇



 食事を終え、二人はそれぞれの部屋に戻ることになった。

 が、別れる前に俺の部屋をアニエスに見られた。

 すっかり部屋の惨状を忘れていた俺は油断していた。

 無言でアリスの部屋を見ると、何も言わずアニエスの部屋へと連行された。

 お説教タイムであった。

 

 女の子があんな部屋で寝ちゃだめ、とのことでお風呂に入った後今日はアニエスのベッドで寝ることになった。

 お風呂は一緒に入ったことが何度かあったが、同じベッドで寝るのは初めてであった。

 アニエスはご機嫌であるが、俺はそれどころではなかった。

 心臓がバクバクとうるさい。

 

(美少女と同じベッド……!

 どんなご褒美だ!)


 やがてアニエスの寝息が聞こえはじめる。

 俺はアニエスの抱き枕状態であった。

 一睡もできないまま朝がきた。

 

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