第七話「新しい身体」


 困った。

 部屋に入ったはいいが、どうすればいいかわからない。

 ローラさんに尋ねれば教えてくれそうだが、想像しただけで恥ずかしい。


 俺は今朝目覚めてから最大の試練にぶつかっていた。

 トイレである。


 生物として尿意を催すのは仕方がないことだ。

 俺はローラに尋ね、トイレに辿り着いた。

 そこまではよかった。

 男だった頃と勝手が全然違うのである。

 まずあるものがなくなったわけだ。

 お別れを告げる暇もなかったがさらば息子。

 そうなると下の服を脱がなければならないわけだ。

 ズボンとパンツを脱いで終了と訳が違う。

 トイレをするだけで一苦労だ。

 自分の体ではあるのだが、少しドギマギしながらトイレを終えた。

 

 ……ローラさんに今度は脱ぎやすい服を見繕ってもらおう。


 ローラにお願いしたアリスであったが、あえなく却下されるのであった。


 

 ◇



「アリス様、お風呂はいかがいたしますか?」


 夕食後、ローラが尋ねてきた。


 あるのか、お風呂!


 こっちの世界に来てからお風呂に入る機会がなかった。

 勿論ずっと汚いままだったわけではない。

 《浄化》という便利な魔術があるのだ。

 アンデッドを浄化する魔術かと最初は思っていたが、これは体を綺麗にする術であった。

 これを唱えるだけであら不思議、きれいさっぱりなのである。

 そんな理由でお風呂には入ってなかったわけだ。

 

 もちろん即答で「入る!」と答えた。

 今更だけど、臭くはないよな?

 気になり自分の手を嗅いでみた。

 なんせ四十日も寝たきりだったわけで、その浄化魔術はおろかお風呂に入れるわけもないのだが。

 その様子をみてローラが察して教えてくれる。


「アリス様、大丈夫ですよ。眠ったままの状態の時は私が毎日体をお拭きしましたから」


 すみずみまでと耳元で囁いてくれる。

 にっこりと微笑みながら。

 その絵を想像して俺の顔は真っ赤になる。


 ローラさん、絶対からかってるよね!


 とりあえず、久しぶりに湯舟につかれそうだ。



 ◇


 案内されたお風呂は想像していたよりもずっと広かった。

 旅先のリゾート旅館なみである。

 さすがお城のお風呂!


 脱衣場では当たり前のように案内をしてくれたメイドに服は全て剥がされた。

 結われていた髪も丁寧に解かれていく。

 うん、らくちんと思うことにしよう。

 

 早く湯舟に浸かりたい気持ちもあったが、いそいそと身体を洗いはじめる。

 ふと、洗い場の鏡に映る自分の姿を見る。


(本当に女の子になったんだ……)


 鏡の前では見知らぬ少女が座っている。

 濡れた黒い髪がなだらかな丘陵に張り付いている。

 暫く見つめていると、鏡に人影が写った。


「アリス、お姉ちゃんが洗ってあげるわ!」


 一瞬きょとんとし、振り向くと全裸のアニエスが立っていた。

 俺の顔が真っ赤になる。

 ……今日は赤面デーだ。

 さすがに自分の身体をまじまじと見ても特に何も感じないが、他人の身体は別である。

 

「な、ひ、姫様、なんで」


 挙動不審である。

 

「私もお風呂に入りに来たからに決まってるじゃない」 


 間違いなく俺が入ってきたタイミングを見計らって来たのだろう。

 予期してなかった不意討ちで心臓もバクバクする。

 冷静に、冷静にと己に言い聞かせた。

 俺も今は女の子。

 一緒にお風呂に入るのに何か問題があるだろうか、いやない。

 

 そんなことを考えていると、アニエスがアリスの髪を洗い始めた。

 くすぐったい。


「アリスの髪は黒くて綺麗でうらやましいなー」


 ごしごしと。

 こちらの世界では黒い髪は珍しい。

 人族だと茶色い髪や金髪をよく見かける。

 他族になると、もっと様々な色の髪を見かけた。

 俺からすれば金髪の方が羨ましい。

 金髪だったらアリスとしてイメージもぴったりだったしね。


「わ、私は姫様の髪のほうが美しくて好きですよ」

「ふふふ、ありがとう。あと私のことはお姉ちゃんって呼んでいいからね!」


 そんな他愛ない会話をしているとあっという間に髪が洗い終わった。

 

「はい、終わり。じゃあお願い」


 まさか、洗いっこかと戦慄しているとローラの「かしこまりました」という声が聞こえた。

 助かった。

 というかローラさんいたのね。

 髪を洗ってもらっている間、目を閉じていたので気づかなかった。

 ちなみにローラは服を着ている。

 アニエスが洗われてるのを見ているのもおかしいので湯舟につかるとしよう。

 湯舟に向かう。


「ちょっと、待ちなさい!」


 アニエスに止められた。

 あれ、何か間違ったことをしただろうか。


「髪!」


 アニエスが近寄ってきた。

 背後に回り込まれると、俺の長い髪を後ろでまとめる。


「うん、これでよし。お湯に入る前に髪はまとめないとだめよ」


 ……元男の俺にはない知識だ。


「あ、ありがとう」


 アニエスに感謝しておく。

 


 ◇



 久しぶりのお風呂は格別だった。

 湯舟に浸かりながら物思いにふける。

 

 俺は一生このままなのだろうか?


 魔術というものが存在する世界なので、何か元に戻る方法はあるかもしれない。

 幸い、暫く寝たきりになっていたが身体は不自由なく動く。

 俺にとってはちょっと長く寝てた感覚しかない。


 暫くは、この身体で生きていくしかないよな……。


 呪いとは関係ないが、もう一つ気になっていることがある。

 それは前世の記憶に関することだ。

 知識といった記憶は思い出せるのだが思い出としての記憶が欠落しているのだ。

 こっちの世界に来て少ししてその事実に気づいた。

 家族も思い出せない。

 前世の俺が何をしていたのかも記憶にない。

 一度ヘルプに相談してみたことがある。

 

『推測ですが、マスターが元の世界に戻りたくならないように、思い出の記憶をイオナ様が消したのではないでしょうか』


 納得はいく。


 考えてもしかたないか。


 結局、前の世界にも戻る方法も分からないし戻る気も今のところはない。


 と、


「あーりーす!」

「ひゃっ!」


 突然、後ろから胸を揉まれ変な声がでた。


「物思いに耽っちゃって!

 どうした、どうした!

 お姉ちゃんが話を聞いてあげるぞ!」


 アニエスである。

 知ってた。

 本当は俺より年下なのである。

 

 おせっかいな姉さんみたいだ。


 俺の知ってるお姫様のイメージと少し異なる。

 姫様と呼ぶのは止めよう。


「何でもないですよ、アニエス様」


 そう呼ぶことにした。

 名前を初めて口にしたからか、少し驚いた顔をして、


「そんなに畏まらないで、アニエスお姉ちゃんと呼んで!」


 可愛い!可愛い!と抱き着かれてほっぺをすりすりされる。

 どういう状況だ。

 ローラはニコニコこっちをみてる。


 俺がアニエスのことを「アニエス姉さん」と呼ぶのはもう少し先の話である。

 

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