第三幕 一年前のモールにて
「感謝祭が終わってしばらくした経ったころね、お鍋をうっかり焦がしてダメにしちゃったりお皿を割ったり電球を切らしたものだからあのモールへお買い物に行ったの。ブラックフライデーのお買い物リストになかったものばかりこんなタイミングでダメになっちゃうなんてついてない、なんて言いながら」
もう明日か明後日には十二月という時期だったから、モールのエントランスでもある広場には大きなツリーが用意されていて、あちこちはグリーンや赤や金で飾られていた。店内にはクリスマスソングが流れている。
マルガリタ・アメジストにはクリスマスに特に思い入れがない。
ここに来るまでに暮らしていた赤い砂漠の特殊な町では、夕食のメニューにターキーが加わり仕事の最中に歌う賛美歌の内容が多少変わったりお客様への挨拶が普段と違う仕様になる日だったに過ぎない。
お仕事用の教材として視聴した東アジア産動画で「女の子が好きな人となるべく一緒にいたいと願う日」「一緒に過ごすパートナーに恵まれなかった男女が色々と感情を拗らせる日」として学習した結果、それを鑑みたセリフを口にしてサービスに勤めるだけの祭日だった。
だからツリーを見てもオーナメントを見ても特に思う所はなく、買い物を済ませてコーヒーショップにでも入ってお喋りでもするつもりでいたのだけれど、一緒にモールを訪れたマリア・ガーネットはツリーを見上げて足を止めたのだ。
いつもみたいに右腕に抱きついて、どうしたの、行きましょう、とせっついて見たのだけれど、パートナーはツリーから目を離せなくなる魔法をかけられたみたいにその場に立ちすくんで動けなくなる。
赤い瞳がなんの変哲も無いオーナメントに据えられたまま、保守的な大人なら悪魔崇拝をしている不埒な若者だと見られかねない類のファッションに身を包んでいるマリア・ガーネットはぽつんと呟いた。
「ツリーだ」
「そうね、クリスマスツリーね。もうすぐ十二月だもの。小売業界さんとしてはどうぞお財布の紐をお緩めくださいってお客様に意識してもらうために頑張らないといけない時期ね」
「……そっか。そうだった……。もうすぐ十二月なんだ。クリスマスシーズンだ」
クリスマス、クリスマス、クリスマス……。マリア・ガーネットは繰り返す。
心が虚ろになりかけた時、ぷつぷつと祈りの文句を唱えて自分を取り戻すというパートナーの習慣を心得ていたマルガリタ・アメジストではあったけどその様子が明らかに普段と違うので不審に思った。くいくいと硬い右腕を引く。
「ねえ、早くキッチン用品売り場に──」
「クリスマス⁉︎」
忙しそうにそばを通り過ぎた買い物客や店員が思わず振り向く勢いでマリア・ガーネットは叫ぶ。そして青い瞳を見開いたマルガリタ・アメジストの肩を掴む。
「え、嘘なんで、ここなんでこんな普通にクリスマスとかやってるの⁉︎ ていうかクリスマスってあったのまだこの世界に⁉︎」
「そりゃあ、あるんじゃ無いかしら? この地上に冬至とあなたの同じ神様を信じる方々が多数派でいる世の中と資本主義の世界が続く限り」
七年間の習慣で人前ではできるだけクールに振る舞いたがるパートナーがここまで狼狽するのは珍しい。だから珍しくマルガリタ・アメジストの方が抑え役に回るという珍しい流れになったのだけれど、次の一言でどうしてマリア・ガーネットが取り乱したのかその理由がわかった。
「本当に夢とかじゃないっ? 現実のあたしはまだあのガレージにいるとか、そんなオチじゃなくてっ? 目の前のあんたはあたしの見てる幻でパッと消えたりするとかじゃなくっ?」
──ああ。
七年間囚われていた町での経験は、ふとした瞬間にパートナーの足首を掴んで悪夢の沼に引きずりこもうとする。
マルガリタ・アメジストは背伸びをしてマリア・ガーネットの首の後ろに腕を回す。顔を近づけてこつっと額を触れ合わせた。
その状態で尋ねる。
「どう、私消えた?」
「──消えてない」
背中に両腕が回される。マルガリタ・アメジストが逃げないように、消えないように、そんな祈りが込められたような必死な抱擁だった。こういう風に抱かれるとマルガリタ・アメジストの胸に光が灯る。冬はいい。厚着のお陰で光が外に現れない。
「ということは今あなたの腕の中にいて、早くお買い物を済ませてお茶でもしましょうって気持ちでいる私は誰? そんな状態のあなたを残して消える気なんてありませんけれど?」
落ち着きを取り戻したのかすうっとマリア・ガーネットの腕から力がぬけた。冷静さをとりもどしたらしい。
我に帰ったマリア・ガーネットは照れ臭そうに体を離した。そして決まり悪い時の癖で、馬のたてがみみたいにしている髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。
「ごめん。変なとこ見せちゃった。──そりゃそうだよね、うん。十二月だからクリスマスは、ある。当たり前だった」
そして落ち着いた眼差しで、ツリーを見上げた。
「……良かった。外では変わらず普通のクリスマスがあったんだね……」
「外とか言わないで。もう私たちはあの町の子じゃないし、今はここが私たちの暮らしている町なの。外、なんてものじゃないのよ?」
赤い砂漠の町にたいのは、マルガリタ・アメジストにとってはせいぜい一年と少しだったけれど、マリア・ガーネットは七年もそこにいた。そこで様々なものを失くした。その中の一つに、毎年クリスマスを楽しみにしていた幸せな子供時代も含まれる。
クリスマスが無いも同然だった町での日々が長すぎて、いつ醒めるのかもわからない悪夢の中で闘い過ぎたせいで、豊かで穏やかで何の変哲もない郊外の町にいる今の生活こそ現実だとなかなか認識させないのだ。
だからマリア・ガーネットはまだ自分の心があの町にあるかのようなことを口にする。
一瞬不安定になったのを取り消すように、マリア・ガーネットは鉄で出来た右手でマルガリタ・アメジストの左手を取り、足早にツリーから離れようとする。
「じゃあまず鍋からみようか。実はさ、前からちょっと目をつけてたのがあったんだよね。プロも愛用してるっていうフランス製の立派なやつで――」
「ねえ、しばらくの間お鍋を使ったお料理を控えることってできる?」
エスカレーターに向かって歩きながら、突拍子もないことを言い出したという目でマリア・ガーネットはマルガリタ・アメジストを見下ろす。
「何言ってんの、料理のバリエーションが減るじゃない。大体この辺これから寒くなりそうなのに煮込み料理が食べられないのはきっと堪えるよ」
「そういう時にはみんなで外食でもすればいいわよ。たかだか一か月くらいお鍋がなくたってやっていけるわよ、きっと」
何を根拠に――と、パートナーが冷静に言おうとしていたその先を読んで、マルガリタ・アメジストは提案をする。
「そのフランス製のお鍋はクリスマスにプレゼントするわ、私からあなたに。だからその日まで待って。お願い」
エスカレーターの手前でマルガリタ・アメジストはそう言った。
ああ、クリスマスプレゼントって当日までその中身を伏せておくものだったかしら、とその直後、食い入るように自分の顔を見つめるマリア・ガーネットの表情で気づいた。あっけにとられたような、そんな顔でエスカレーター直前で立ち止まる。そのせいで二人の後ろにいた人が、ちょっとだけ舌を打って追い越していった。
慣れてないことをやろうとすると失敗をしてしまうものだ、とマルガリタ・アメジストは反省した。
「クリスマスプレゼント?」
マリア・ガーネットは自分が今エスカレーターを塞いでいることにも気づかずにそう繰り返す。自分たちの後ろに人が並んでいる気配を感じて、マルガリタ・アメジストは傍のベンチまでパートナーの手を引いて移動させた。
「そうよ、クリスマスプレゼント。――私もこういうことをするの初めてだから、サプライズのことまで気が回らなかったわ、ごめんなさい。でもあなたたもう大きいんだからサンタクロースがいるなんてお芝居の必要ないわよね?」
「いやそうじゃなくて……。え、何、なんであたしがクリスマスプレゼントなんて貰えるの? そもそも貰っていいようなヤツだったっけ、あたしって? クリスマスを祝っていい資格のあるヤツだった?」
ベンチに腰をおろしたマリア・ガーネットは軽く混乱したようにそんなことを口にする。また赤い砂漠のあの町に囚われている。
マルガリタ・アメジストはベンチに並んで座ってその体に抱き着いた。右腕を体に抱き寄せるようにして。エスカレーターの利用者が、女の子二人の抱擁を冷やかすように見ていくけれど、マルガリタ・アメジストは気にしない。元々そういう視線を気にする方でもない。
「この世にあなたほどのいい子はいなんだから、貰ってもいいのよ。というより、私があなたにプレゼントしたいって言ってるんだから『ありがとう』って受け取らなきゃダメなの。おかしなことを言って受け取り拒否するのが一番許されないことよ!」
マリア・ガーネットは無言だった。マリア・ガーネットの言葉を反芻していたらしい。
ただ、しばらく間を置いてマルガリタ・アメジストの細い腕に右手を添えた。
「……そっか。受け取り拒否が一番ダメか……」
「そう! 大体資格って何よ? あなたの神様がどうなのかは存じませんけれど、経済を司る神様ならきっと資本主義の国にある十二月のモールにいる女の子にむかってお前にクリスマスに参加する資格は無いだなんて無慈悲なことはおっしゃらない筈よ? むしろどんどんおやりなさい、あなたなの大事な人にプレゼントを買って贈りなさいって発破をかけてくださるわ」
おそらくまた何かに囚われているマリア・ガーネットをこの世界に引き留めるために、マルガリタ・アメジストは両腕に力を籠める。
神様を信じるようにできていないマルガリタ・アメジストの見ている世界に、クリスマス商戦が始まったばかりのモールに、パートナーをつなぎとめることに全力を出す。
あなたが今いる場所はここだ、天国からはまだ遠いけれど地獄からだってずっと遠い郊外のモールだと、その腕に込める。
暖房が効きすぎたモールの中でその伝え方は燃費が悪すぎたのか、汗ばんできたころにマリア・ガーネットはみじろぎをした。右手をのばしてマルガリタ・アメジストの髪に触れる。
「――ありがとう、もう大丈夫」
その声がムリをしている風ではなく、強張りの取れた柔らかなものだったからマルガリタ・アメジストも安心して腕から力を抜いた。
照れ隠しなのか、マリア・ガーネットは腕を伸ばし強張った体を伸ばすそぶりをする。
「あんたからすればバカみたいだろうけれど、あたし、今の今まで自分はもうクリスマスをやっちゃいけない側の人間だと思い込んでたみたい。ああいう所にいて、ああいう目に遭って、そんな汚いヤツはこんな風に人並みに喜んだりしちゃいけないって……。ほんとバカみたい。そういうのって逆に思い上がりが甚だしいね」
「門外漢が口を挟むようで恥ずかしいけれど、神様ってあなたのような人のためにいるんでなければ誰のためにいるのかしらって話にならない?」
「それは……」
マリア・ガーネットは何かを言おうとしたけれど、すぐに髪をくしゃっとさせてごまかした。
「やめとく。理屈屋のあんたを説得させようとすると、宗教学だの認知科学だのにまつわる話になってくるもの。あたしには荷が重すぎる」
こういうことが口にできるということは、マリア・ガーネットが悪夢から逃れていつもの調子をとりもどしたという何よりもの証拠でもある。だから理屈屋だなんていわれても、マルガリタ・アメジストは全然気にしない。むしろ喜びに満たされる。
「そっか。そうだよね……。あたしもクリスマスをお祝いしていいんだ……」
「そうよ。むしろあなたの神様はご子息のお誕生日を総力挙げてお祝いしないとお怒りになるんじゃないかしらね? 理屈の通らない理不尽な方ですもの」
人によっては宗教戦争に発展しかねないマルガリタ・アメジストの発言はマリア・ガーネットの耳を素通りしたようだ。モール全体に反響するクリスマスソングを初めて聞く妙なる調べのような表情で耳にしていたから。
「じゃあ、今年は何かクリスマス的なことをやろうか。ツリー飾ったりとか、プレゼント用意したり、そういう所から」
「いいんじゃなかしら。ただしあなたが指揮をとって頂戴ね。私達基本的に記憶や経験が壊されたままだから、クリスマスの正式なお作法を覚えてるのはあなたぐらいしかいないもの」
マルガリタ・アメジストにいたっては、学習の結果身に着けた極東で生活する十代の恋愛文化としてのクリスマスしか知らない。他のメンバーにとってもおそらく似たり寄ったりな状態だ。
だからマリア・ガーネットはそのセリフに笑って見せた。その前に軽く目元をぬぐったことを、マルガリタ・アメジストは気づかないふりをする。
でも、ここでしっかりこういうことを言うのがマルガリタ・アメジストの愛するパートナー様だった。
「――……まあでも、うちはまだ全然軌道に乗っていないから経済の神様が仰る方向でのクリスマスの参加は厳しいね」
「あなたが金の懐中時計を質に入れて、私が髪を売ればなんとかなるんじゃないかしら?」
「それであたしが
昔仕入れた古い小説を基にしたマルガリタ・アメジストの冗談に、真面目な顔つきでマリア・ガーネットは返す。
今の予算はいくらか、それで十二人と一人の仲間が満足できるクリスマスを演出するにはどうしたらいいか、仲間の他にもプレゼントを贈るべき人たちは何人で何を贈るのが適切か。
マルガリタ・アメジストの隣でマリア・ガーネットは考え出していた。
十二月二十五日の朝にはツリーの下にプレゼントが置かれているのが当たり前でそれを楽しみにしていた基本的にはごく普通だった女の子が、ある事件のせいで七年間クリスマスとは無縁の環境に置かれ、いつの間にか自分はクリスマスはやってはいけないと思い込むようになっていた。
元々クリスマスの幸福と楽しさを十全に知っている女の子が、自分にはもうクリスマスをやる資格はないという根拠のない呪縛から解かれたのだ。
その激しさを、その時のマルガリタ・アメジストは気づいていなかった。
ただ、真剣な考え事をしている時のこの子の顔ってやっぱり素敵ね、ずっと見ていられるわ、と、静かに有頂天になっていただけである。
そのことを一年後に悔いることになるとは、予想だにしていなかった。
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