第9話

 チケットは売れてるのか? いきなりあんな馬鹿デカイとこでやるなんて、正気じゃないよな。俺にも一枚分けてくれよ。どうせ余ってるんだろ?

 余っちゃいるが、嫌なら来るなよ。俺たちはさ、楽しいことをしたいだけなんだ。それ以外には興味ないね。俺はそう言いながらも、内ポケットから取り出したチケットを一枚、奴に渡した。

 金なら払わねぇからな。奴はそう言った。

 どうでもいいんだよ、金なんて。俺たちはさ、やっとスタートラインに立つんだ。それだけで今は、嬉しいんだよ。

 なんだ、それ? もう満足しちまったってのか? いいよな、お前たちは気楽でよ。

 満足ねぇ。そんなものが出来るんなら、音楽なんてしねぇだろ? まぁ、気楽って言やぁ気楽だけどな。音楽のことだけを考えているって、楽しいからな。

 羨ましいこったな。奴はなんだか寂しげにそう言ったよ。きっとだが、奴は本気で俺たちと仲良くしたかったんだ。まぁ、それなりには付き合っていたが、あくまでも同級生なんだよな。仲間ではあっても、家族にはなれないんだ。ただの友達だよ。知り合いとも呼べるな。

 聞いたんだけどさ、お前最近、おかしな連中と付き合っているんだろ? 就職決まってんなら、気をつけた方がいいんじゃないのか?

 奴はまだ、俺たちを恨んでいたんだ。懲りもせずにナオミの名前を使って、俺たちのライヴを中止に追い込もうと画策している。チッタにも直接抗議したらしいからな。まぁ、相手にはされていないんだが。

 就職なんてやめてもいいんだよ。知ってるか? 俺が今つるんでる奴らさ、ヤクザなんだぜ。俺が頼めばお前らのライヴなんて簡単に潰せるんだよ。

 嘘つけよ。あれはただのチンピラだろ?

 ふっ、そういう言い方もできるよな。もっともヤクザもチンピラも同じだからな。俺もああなっちまうのかな?

 お前なんかあったのか?

 あったような、かなったような、よく分からねぇんだよ。とにかくさ、お前らのライヴには行ってやるよ。楽しませてくれるんだろ?

 長髪男の言葉は気になったが、俺は詮索なんてしなかった。大丈夫だって信じていたからな。奴は馬鹿だが、奴にはナオミがついている。あの二人はさ、なんだかんだで仲がいい。たまにだが、本当に付き合っているのかって感じることもあったほどだよ。まぁ、実際にはそんなこと有り得ないんだがな。

 もうすぐ卒業なんだよな。あっという間だな。

 何言ってんだよ。まだ三ヶ月もあるんだぜ。

 あっという間だよ、本当に。

 確かに奴の言う通り、三ヶ月なんてあっという間だよな。なんせこの三年間があっという間だったんだから。


 結果として、俺たちの初ライヴは大成功だった。まぁ、当然だよな。あの人のお膳立てがあったんだから。

 けれどまぁ、ちょっとした事件はつきものなんだ。チケットは完売だった。俺たちは頂いた三百枚を最初は六十枚ずつ分けたんだが、横浜駅前で路上ライヴをしたら、その場で半分売れてしまったよ。残りがノルマってわけだが、家族や友達に配り、気がつけば残りは二枚だ。一枚は長髪男にあげたが、最後の一枚がどうしても渡せなかったんだ。

 ユウキはちょっとばかり遠くの高校に通っていた。どういうわけか女子サッカーにはまってしまったんだよ。女子サッカー部のある学校なんて少ないからな、しかもユウキは強豪校を望んでいた。少しくらい遠くても問題はなかった。まぁ、ユウキにとってはだ。俺にとっては大問題だよ。付き合っているわけじゃないが、会えない時間が多いと辛いんだ。ほんの少しでも顔を見れていた中学時代が懐かしい。

 ユウキは部活に大忙しで、俺はバイトとバンドで忙しかった。けれど俺は、連絡だけは取り続け、月に一度は顔を合わせていたんだよ。

 奴はそのことを知っていたんだ。けれどまぁ、直接奴が悪いわけじゃないんだが、見返りも受けているし、その後の行動には感謝もしている。しかし、きっかけを作ったのはあいつなんだ。全く面倒な奴だよ。

 奴っていうのはご存知の長髪男なんだが、俺がユウキと一緒にいる姿を、二年前から見ていて、その関係性も知っていたそうだ。誰に聞いたのかは知らないがな。まぁ、隠してもいなかったから、知っている誰かがいても不思議じゃないんだよ。

 奴が付き合いを始めていた連中は、諦めが悪かった。というか、奴の行動を勘違いして近づいてきたんだよ。ナオミの名前を使ってライヴハウスや音楽スタジオでなにやら文句を言っている奴の姿は、はたから見ればただの脅しだよな。理不尽に暴れているようにしか見えないよな。しかも奴は、堂々とナオミの父親の名前まで叫んでいたんだ。チンピラからすれば、金儲けのチャンスに感じられたんだろうな。

 チンピラなんて、所詮はチンピラで、少しも役には立たなかったんだけどな。長髪男から聞いた情報でナオミの父親関係を脅そうとしたが、格が違う。相手になんてされず、長髪男を痛めつけての腹いせが精一杯だったようだ。奴はたまに、顔に痣をつけていたが、そういう理由だったんだ。本人は電柱にぶつかったとかわけのわからないことを言っていたけれどな。奴もバイトをしていたようだが、そのほとんどを巻き上げられていたことも後で知ったよ。

 俺たちの初ライヴを潰したかったのは、長髪男じゃなく、チンピラたちだったんだ。金が手に入らないなら、結局は腹いせにってことなんだよ。まぁ、俺たちからチケットを巻き上げる計画もあったようだが、聞き屋が事前に阻止していたらしい。聞き屋はさ、あれでも情報には強いからな。

 けれどまさか、ユウキを狙うとは誰も予想していなかった。


 ライヴの前日、俺はユウキと待ち合わせをした。チケットを渡そうとしたんだよ。しかしその日、時間になってもユウキは来なかった。連絡をしても繋がらない。急な用事なのか? 振られたのか? いい気分ではなかったが、俺は馬鹿だから、家に帰ってしまったんだ。

 夜中に突然、ケンジが家にやってきた。物凄く慌てた様子で、うちの両親は怒ることもできずに某然としていた。時刻は十二時を過ぎていたのにな。

 乱暴なチャイムの音と、その後の騒めき、部屋のドアを叩く音。俺は目を覚ました。しかし、目の前のケンジを見ても、なにを言えばいいのか分からなかった。どうしたんだ? くらいは普通言うよな。けれど俺は、おはようなんて言いながら目をこすったんだよ。

 とにかく来いと腕を引っ張られ、俺は寝間着姿で外に出た。両親にはケンジから声をかけていた。ちょっと急用なんで借りていきます。なんて言ってたよ。

 家の前には一台のバイクが止まっていた。二人乗りができる原チャリだ。ケンジにヘルメットを渡され、俺は後ろに座った。

 このバイク、どうしたんだ! 走り出した後、俺は叫んだ。

 聞き屋に借りたんだよ! 俺は免許もないから、捕まったら大変だな! ケンジは真剣に、乱暴な運転をしている。捕まるかもとの覚悟を俺はしていたが、警察は案外と仕事をサボるから助かるよ。俺たちは一台のパトカーとすれ違ったが、見向きもされなかった。まぁ、スピードは出ていたが許容範囲だったしな。ヘルメットもかぶっていた。無免許運転だってことは、外側からは分からないんだよな。どんなに下手くそな運転だとしても。

 俺とケンジは横浜駅前のいつもの場所に向かった。バイクはちょっと離れた映画館の脇に止めたよ。そこがそのバイクの定位置らしかったからな。

 走って辿り着いた俺たちを待っていたのは、ヨシオとカナエだった。二人は聞き屋の定位置に腰を下ろしていた。


 どんな感じだ? 息を切らせながらケンジがそう聞いた。

 ユウキなら無事だってさっき聞き屋が言いに来たよ。無事見つかって、今はもう家に帰ったよ。

 なにがどういうことか分からず俺は、そんなことを言うヨシオに掴みかかった。ちゃんと説明しろ! そう言いながら思いっきり揺さぶったため、ヨシオの頭が壁にぶつかった。

 痛いって・・・・ ヨシオは冷静だったよ。俺の目を見て、こう言ったんだ。なにも問題なかった。明日みんなで会いに行こう。ユウキは、タケシのことを心配していたよ。ごめんなさいだってさ。

 なにがだよ! 俺はそう叫び、ヨシオの胸ぐらから手を離した。

 お前たち今日、デートだったんだろ? 待ち合わせに来なかったのに帰ったのか? ケンジがそう言った。

 俺たちはいつもそうなんだよ。ユウキは忙しいからな。遅くまで練習して待ち合わせに間に合わなくなることはしょっちゅうだよ。一時間くらいなら待つけど、それ以上は先に帰るって約束になっているんだ。ユウキはもうすぐ大事な試合があるからな。俺たちにとっては、普通だったんだよ。くそっ! だからなんなんだよ! 誰かに襲われたのか? なんのためにだよ! 誰がやったんだよ!

 俺の叫び声に、街は無反応だった。平日の真夜中なんて、静かなもんだ。俺がいくら叫んでも、誰にもその声はぶつからない。

 ユウキを襲おうとしたのは、その辺のチンピラだよ。お前も知ってるだろ? ユウキを襲ってお前から金でも脅し取るつもりだったんじゃないか? なんだか随分と勘違いの多い奴らのようだがな。

 それでそいつらはどこだよ! 捕まえたのか? 警察になんて引き渡すなよな。俺は本気でそいつらを殺してやるつもりでそう言った。まぁ、殺さずとも、引き裂くくらいはしていただろうな。

 聞き屋が追いかけているってことは、すぐに捕まるさ。俺たちはここで待っていればいい。っていうか、帰ってもいいんだけどな。困ったことにさ、ケイコが聞き屋について行っちまったんだ。待たないわけにはいかないだろ?

 なんであいつが? 当然の疑問だよな。

 奴が関わっているからだな。きっと。ケンジはそう言ったが、意味は分からなかった。

 俺は一秒でも早くユウキと連絡を取りたかったんだが、やめておけと言われたよ。疲れて眠っているはずたとな。

 そう言えばだけど、明日のお昼にいつもの場所で待ってるとかなんとか言ってたよね。ニヤニヤしながらヨシオがそう言った。

 本当か? なんでもっと早く言わないんだよ! 当然の怒りだ。殴ってやろうかとも一瞬は思ったが、嬉しくてそんなことできるはずもない。

 なんで言っちゃうんだよ。なんてケンジが言っても、俺は少しも気にならない。


 夜が明けた頃、聞き屋が一人で戻ってきた。

 ケイコはどうしたの? カナエがそう聞いた。みんなはケイコを待っていたわけで、聞き屋を待っていたわけじゃなかったんだ。

 今送ってきたところだ。お前たちも早く帰れよ。今日は大事な日なんだろ?

 なんの説明もなしかよ! 俺がそう叫んだ。俺はまだ、事の真相を知らなかったからな。俺だけが、だな。

 問題はほぼ解決だよ。後はあいつがどうするかだな。大丈夫だろ? きっと全て上手くいくはずだから。とりあえずもう帰れ。始発ならとっくに動いている。

 そうするか。なんてケンジが言い、ヨシオとカナエが立ち上がる。俺は納得のいかないまま、三人の後を少し離れてついて行った。そしてそれぞれの家に帰っていった。

 眠気なんてどこかにいってしまった俺は、部屋でひたすらベースを弾いていた。眠らずにじっとしていると、余計なことばかり考えてしまうからな。

 どんな日であっても、俺たちの朝は変わらない。駅前で集まって、学校へ向かうんだ。そこにはちゃんと、ケイコの姿もあったよ。

 昨日はごめんね。と、ケイコが言った。ユウキが元気でよかったね。と、俺に向けて言った。俺は、まだなにも知らないでいたから、その言葉に反応出来なかった。なにがごめんで、なにがどうよかったのかが分からない。

 学校に着くと俺は、真っ直ぐに屋上へと向かった。鍵がかかっていない確信はあったよ。俺を待っているんじゃないかって予感があったからな。

 ドアはやはり、ガッチャっと開いた。

 俺は別に謝らないからな。振り返りもせずに、奴はそう言った。

 一体なんのことなんだよ! 誰も俺には真実を教えてくれない。お前がユウキを襲ったわけじゃないだろ?

 ・・・・そうだよ。まぁ、けじめはつける。俺にだってプライドはあるんだ。お前はさ、今日のライヴを成功させろよな。俺も必ず見に行くからさ。

 奴はずっと、俺に背を向けたままでそう言ったよ。俺は奴の隣に並ぶことなく、引き返していった。


 教室へと戻る途中で、ナオミとユリちゃんを見かけた。ユリちゃんは俺に笑顔を見せてくれたが、ナオミは仏頂面だった。

 冬休み前最後の日に授業なんてない。俺たちはつまらない校長やらの挨拶を聞かされ、家に帰った。今日は楽しみにしていると、何人もに声をかけられた。全校生徒の半分は来るんじゃないかって噂だったよ。俺たちが手渡したチケットとは別に、自らの手段で購入した奴も多かったと聞いたよ。嬉しいことだよなって、素直に思ったよ。いつかそいつらには別の恩返しをしたいと考えているんだ。

 俺はユウキとの待ち合わせ場所に一人で向かった。ケンジはついて来たがっていたが、当然断ったよ。忙しい一日が始まるんだ。そんな暇はないだろと言ったら、それはタケシも同じなんだけどな。そう言いやがったよ。俺以外の四人は、真っ直ぐチッタへ飛んで行ったんだ。

 昨日はごめんね。先にそう言ったのは俺じゃないんだ。本来なら、俺が言う言葉だって、今では思うよ。

 なにがあったのか、聞いてもいいよな? 俺の言葉に、ユウキは頷いた。

 俺たちはよく行く店に入ったんだ。男の客なんてほとんどいない洒落たカフェだよ。俺はそこが一番落ち着くんだ。なんていうか、心が和む。俺は乙女だって感じるんだよな。

 私ね、昨日はいつもより早く来てたんだよ。珍しくさ、練習が早く終わったんだよね。今日も休みだし。

 翌日から始まる大会に向けての休暇だったようだ。ユウキは女子サッカーで、全国大会に出場をしているんだ。一年の時からレギュラーでな。残念なことに、サッカーを始めたきっかけは俺とは少しも関係がない。中学の先輩に誘われた。それだけだよ。もちろん、女子の先輩にだ。


 タケシ君の知り合いって人が現れてね、遅れるからって伝言を頼まれたって言うのよ。私は信じなかったよ。だって私たち、遅れるのが前提の待ち合わせなんだもん。

 それってどんな奴だった? 分かっていて聞いてみた。奴だよな。絶対に。

 学生服着たロン毛の人だった。私より細くて、女装したらきっと綺麗だなって感じ。

 間違いなく奴だ。それで、襲われたのか?

 うーん、それがちょっと違うんだよね。いいから来いよって強引には引っ張られたんだけど、私を助けようと必死だったみたい。

 どういうことだ? 俺はてっきり、長髪男がチンピラを使ってだか利用されてだかは分からないがそんな感じでユウキを襲い、俺から金を奪うなりなんなりを考えたと思っていたんだよ。

 ここにいると危険だと言われたのよ。早く逃げるんだってね。私はタケシ君になにがあったのかなって思ったんだけど、その人、それを感じたのか、タケシなら大丈夫だよ。今のところはな。なんて言うのよ。

 けれど奴は間抜けで、その後すぐにチンピラに捕まったってわけだ。ユウキと一緒にな。

 奴はユウキの存在をどこかで知り、俺を脅迫しようかなんて話をチンピラ共に言ったそうだ。冗談のつもりだったようだが、本気にされ、現実になった。奴は流石に慌てたようだ。俺たちをいじめるにしちゃあやりすぎだ。しかもチンピラたちは、ユウキを、俺の口からは言えないほどの酷い目にあわそうとしていたようだからな。

 奴とユウキは、チンピラどもに攫われたんだが、この街には聞き屋がいるだろ? 俺とユウキの関係は知らなくとも、事件を聞きつければ動き出すんだ。まぁ、今回ばかりは感謝している。聞き屋には当然だが、ナオミにもな。

 ナオミだけは、俺とユウキの関係を知っていたんだ。まぁ、転校していったヨシオの彼女伝いだけどな。俺の口からは言っていない。まぁ、目撃はされてもいるんだがな。

 そのナオミは、横浜の街を一人で歩いていたそうなんだ。なにをしていたのかは、教えてくれなかった。もうすぐクリスマスっていう時期だ。ただの買い物だったのかも知れないが、偶然ユウキを目撃したことは嬉しい限りだよ。


 ユウキはチンピラ二人に挟まれ、半ば引きずられるように歩いていたそうだが、周りの騒めきたちは、誰一人として異常事態に目を向けなかった。

 長髪男は、少し離れてついて行ったそうだが、ナオミの目には入らなかったようだ。気がつかなくてよかったと思うよ。ややこしくなるだけだからな。被害も増えていた可能性だってある。

 ナオミはお嬢様だが、頭がいい。お嬢様だからなのか? ユウキの様子を見て、危険を感じたんだ。そしてすぐ、聞き屋に会いに行った。父親に連絡する方が確実のように思えるが、ナオミはこう言っていたよ。お父さんもきっと、ああいうときは聞き屋を頼るってね。そのためにこの街には聞き屋がいるんだとも言っていたよ。たいそうな話だこった。

 後はもう話が早い。聞き屋が動いてユウキを助け出したってわけだ。その間に俺への連絡があったんだけど、なんでもっと早く教えないんだと思ったよ。俺が知ったのは、ユウキが拐われてから数時間も後だったんだ。

 慌てて俺の家にやってきたケンジも、その初動が遅かった。あいつがなにをしていたかって? ケンジはおかしな奴だからな。学校に残り、合唱部の先生とおしゃべりだよ。音楽の話で盛り上がっていたそうだよ。気楽なもんだって一瞬は思ったが、そうじゃないことにはすぐに気がついたよ。ケンジはあれで緊張していたんだ。翌日のライヴを考えれば当然だよな。俺たちの中で、間違いなくケンジが一番目立つからな。まぁ、先生との会話は、ケンジにとっては気分が落ち着くんだとさ。文化祭以来、ケンジは毎日音楽室に顔を出しているんだよ。

 ユウキは車に乗せられ、チンピラどもの溜まり場に連れて行かれたんだ。奴が一緒だったのもそうだが、チンピラどもが間抜けで助かった。

 そこはチンピラどもの中の一人の実家だったんだ。寂れた住まいで、一階が玄関ほどに小さな飲み屋になっている。母親が営んでいたんだ。近所のスケベオヤジたちを標的にな。その日のその時間には、すでに客が来ていた。チンピラどもはユウキを連れて、二階へと上がって行った。店を通る以外に二階へ行く術は、排水溝をよじ登る以外にはなかった。

 部屋の中、ユウキは特に乱暴はされなかったようだ。長髪男がかばってくれたと言っていたが、ユウキがそこらへんのチンピラに簡単に負けるはずはない。ユウキはな、気持ちが強いんだ。弱い心に負けるはずはないんだよ。とは言っても、複数の男に襲われれば敵わない。何事もなくて本当に良かった。

 動き出しの早かった聞き屋は、あっという間にユウキをさらったチンピラどもを見つけ出した。そしてすぐに飲み屋に踏み込み、ユウキを助け出したんだ。

 しかし聞き屋は、考えるってことをしないようだ。衝動だけで動くタイプなんだな。

 たった一人で乗り込んだ聞き屋にできることなんて限りがある。ユウキを助けるだけで精一杯で、チンピラどもは逃げていった。長髪男も一緒にな。


 このときすでに横浜駅前にはケンジ以外の三人が集まっていた。ナオミからケイコに連絡がいったんだが、ナオミは先に家に帰っていた。理由は聞いていないが、事情は察知できるよな。

 聞き屋はユウキを連れて駅前に戻ってきた。その場で簡単な事情を話すと、ケイコが私なら力になれるよ。聞き屋にそう言った。初めは危険だと言い張った聞き屋だが、ケイコの本気を止めることなんて誰にも出来ない。仕方なく、ユウキを家に送るという建前で、ヨシオとカナエを置いて出かけていったんだ。

 ユウキを送り届けると、ケイコは聞き屋と一緒に長髪男を探しに行ったようだ。

 俺がユウキから聞いた話はここまでだが、当然ケイコたちの行動には続きがある。俺はそれを、ライヴ直前に知ることになった。

 ユウキとは食事をして、別れたよ。ちゃんと家まで送っていたよ。前日のことがあるからな。そしてライヴのチケットも手渡した。ありがとうって言われただけで、俺は嬉しくなった。やる気が一気に満ちていったよ。

 俺は会場に向かい、すでに始まっていたリハーサルに参加した。

 あれ? なんかあったのか? 幸せそうな音を出すじゃんかよ。ケンジがそう言ったが、相手にはしなかった。その言葉に笑ったみんなのことも同様にな。

 開場時間が近づくと、周辺に人集りができ始めたよ。不思議な感覚だったな。俺たちはさ、普通に人集りを割って歩いていたんだが、誰にも声をかけられなかった。同級生でさえ、気づいていない。

 俺たちは、これまでとは違う世界に進んで行くことを実感したよ。俺たちのライヴを見にくる奴らは、今までの路上ライヴを見るのとはまるで違う気持ちでやってくるんだ。金を払って、俺たちに会いたくてわざわざやってくるんだ。街を歩く俺たちを見たいんじゃない。ステージ上で楽しむ俺たちを見にきているんだよ。なぜだか俺は、人集りをかき分けているときに、そう感じたんだ。


 おい、とケンジが言った。俺の顔を見ずに、人集りの一点を見つめながらな。

 来たのか・・・・ 俺はそう言いながら、足を動かした。背後でケイコがなにやら言っていたが、ケンジが対応していた。俺は真っ直ぐ、奴に向かって足を進める。

 どうしたんだ、その顔? 奴の顔は青アザだらけで、血も流れ出ていた。

 俺だってな、やるときはやるんだよ。もうなんの心配はないんだぜ。思いっきり楽しませてくれよな。

 ブサイクな笑顔を見せやがってと、俺は口には出さずに大笑いしたよ。奴もつられて大笑いだった。

 一度は逃げた奴だったが、そのままほっとくのは危険だと感じていたようだ。確かにそうなんだ。追い詰められたチンピラどもがどんな行動をとるかなんて想像すら難しい。追い詰めている相手が聞き屋だと知ったらなおさらだなんだよ。

 けれど奴には勇気がない。チンピラどもとは別れて逃げた先で、怯えていた。そこに現れたのが聞き屋とケイコだ。ケイコは奴が逃げて行く場所に心当たりがあったようなんだ。学校の屋上かって俺は思ったんだが、まさかのその通りだったよ。屋上には顔を出したことのないケイコだったが、奴がそこを憩いの場としていることは知っていたんだな。

 俺はどうすればいいのか迷っていたんだ。だってそうだろ? 聞き屋から追われたら誰だってビビるだろ?

 奴の言葉に、俺はなにも答えなかったよ。

 聞き屋は俺にさ、自分でケリをつけろと言ったんだ。まぁ、当然だよな。ってなわけで、この有様だ。そ言いながら笑う奴を見て、俺は頷いた。

 聞き屋は全てをお見通しだったんだ。ケイコからも話を聞いていたはずだからな。というか、ケイコにもお見通しだったってわけなんだけどな。

 奴はチンピラどもがどこに逃げたのかを知っていたんだよ。聞き屋に話して全てを任せるのもありだが、そうはさせてくれないんだよな。それで奴は、責任を取りに行き、ボコボコにされたってわけだよ。チンピラどものその後は、聞き屋がしっかりとけじめをつけているはずだ。奴の前にはもう、チンピラどもの姿はなくなっている。

 俺たちのライヴは最高に盛り上がったよ。楽しかったってこと以外の記憶は一つだ。会場の中に、ナオミがいた。あいつも来てくれたと知って、俺はさらに楽しい気分になったんだ。

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