第7話

 二年に進級しても、俺は一人ぼっちだ。ケンジも一人だった。ヨシオとカナエは同じクラスになり、ケイコとナオミとユリちゃんが同じクラスだった。しかもそこには、長髪男までいたんだ。俺たちの人生が、加速し始めた。

 ライヴハウスには出られないと知った俺たちは、まずは手始めにヨシオの家のガレージを掃除し、道行く誰かに向けてのライヴを開始した。それはヨシオのアイディアだったんだ。外国ではそんな場所で練習をし、人気を広げるバンドも多いようだよ。日本じゃまず、難しいな。騒音問題もそうだが、楽器を置けるスペースがあるガレージを持つ家は、少ないんだ。あったとしても、車がそのスペースを邪魔している。

 俺たちはそれぞれの方法で金を工面し、路上ライヴに必要な機材を揃えた。そんなに立派なものではなかったが、それなりに音は出る。俺は大満足だったよ。ヨシオは少し不満そうだったが、まぁ、今はこんなもんだよね。馬鹿にしやがってと思ったが、一緒になって笑ってしまった。そうなんだよ。今の俺たちは、そんなもんだったんだ。

 ガレージでの演奏は、ケイコの家の地下室とはまるで違っていた。音が全部、外に出て行くんだ。それって感動だったよ。狭い地下では、音がこもる。自分の音がよく聞こえていたし、なんだかいい音だって勘違いもしていた。少しは上手なんじゃないかって思っていたほどだ。正直、あの状態で文化祭に出なかったことは感謝しているよ。長髪男のバンドよりも酷かったかも知れない。

 機材がレベルアップをすると、腕前をつけなければ恥をかくと知り、どうせなら思いっきり恥をかきながら練習しようと開き直り、俺たちは終始ガレージのシャッターを開け放して練習という名のライヴを繰り返したんだ。初めは練習時にはシャッターを降ろすはずだったんだが、それじゃあ意味ないだろとの、ケンジの一声で決まったんだけどな。

 とにかく度胸はついた。いい練習になったよ。

 お前たちさ、面白いことを始めたんだってな。横浜の街を歩いていると、不意に声をかけられた。聞き覚えはある声だったが、すぐにはピンとこなかった。なんせ俺は、その声を聞くのはあの場所以外では初めてだったんだ。


 聞き屋・・・・ のおっさんじゃん! 思わず叫んでしまった。振り向いた先にいるんだ。驚いて当然だろ? 俺は本気で、聞き屋はずっとそこに座っていると信じていたんだからな。まぁケンジの話やら、噂の大活躍が事実なら、じっとしているはずはないんだが、俺が知り合ってからの聞き屋は、俺がそこを通る度にそこにいたんだ。俺のような勘違いは多いはずだよ。

 あまり大きな声を出すなよ! ってか、おっさんって言うな! そう言って聞き屋は、俺の頭を引っ叩いた。お前って、叩きやすい頭しているな。そう付け加えたよ。

 こんなとこでなにしているんだよ。仕事はいいのか?

 俺はこれでも学生なんだぞ。聞き屋っていってもな、あれは仕事とは違うんだ。まぁ報酬はたまにいただいているんだがな。せっかくこうして出会ったのにさ、このまま帰るってことはないだろ? ちょっと寄っていけよ。

 俺はJR側の西口を歩いていたんだ。そっちにアルバイト先があったからな。駅からはちょっと離れているが、歩いていける距離だよ。ちっちゃなピザ屋だ。配達もやっていたんだ。俺は入学と同時に免許を取っていたからな。春休み生まれっていうのは、こういうときには役に立つ。入学式の前に、原チャの免許を取っていたんだ。アルバイトをするための投資だ。免許代だけだったからお年玉で十分に足りたよ。まぁ、自分の原チャはいまだに手に入れていないんだけどな。いつかは欲しいんだが、いつになることやらな。どうせなら大きなバイクも欲しいし、車だって必要になる。俺はな、自分たちの機材を積んだ車を交代で運転して、世界中を旅して回りたいんだよ。演奏をしながらな。

 アルバイトとはご苦労だな。学生だって働くのはいいことだ。お前は偉いよな。

 気がつくと、いつもの西口まで歩いて来ていた。そしていつもの定位置にしゃがみ込むと、聞き屋はそう言ったんだよ。


 俺になにか話でもあるの? ここに座るのは好きだけどさ、俺は忙しいんだよ。練習しないとならないからな。俺みたいな下手くそはさ、楽器をどれだけ長く触ったが大事なんだよ。

 やっぱりお前は偉いよ。ケンジがよく言っているぞ。一番努力しているのはタケシだってな。

 それは違う。努力はみんながしているんだ。ヨシオ以外は素人の集まりだからな。そんな中で一番センスがないのが俺なんだ。けれどな、一番伸び代があるのも俺なんだよ。俺はそう思い、やれることをしているだけなんだ。まだまだ足りない。本来ならバイトなんてしている時間がもったいないんだ。悪いけど、ここでおしゃべりしている時間さえ無駄かも知れない。

 まぁそう言うなって。お前は確実に腕を上げているよ。俺さ、お前たちがガレージで演奏しているって聞いてな、一度覗きに行ったんだよ。予想以上に格好よかった。特に俺は、お前のベースが好きだよ。音色もフレーズも、らしくないのが素晴らしい。

 意味が分からない褒め言葉だな。っていうか、いつ来てたんだよ! 声くらいかけていけばいいだろ?

 覗きに行ったと言ってもな、仕事中だったからな。ついでにちょっと寄っただけだ。ケンジは俺の存在に気づいていたはずだよ。俺に顔を向け、人差し指を突き出していたからな。しかしまぁ、よくあんな場所で演ってられるよな。近所から怒られないっていうのは、才能だな。なんせ集まっているほとんどが近所のおじちゃんおばちゃんだっただろ?

 それはそうだけど、ヨシオの力が全てだよ。ヨシオの家はさ、あの辺じゃ有名だからな。集まってるのは親戚も多いし、近所のガキのお遊びを面白がっているだけだよ。

 はっ、まぁ今のところはその通りかもな。けれど一ヶ月後、お前らは大変なことになっているだろうな。きっと、どうしたらいいかと俺に相談に来るはずだよ。

 なんだよ、それ? 聞き屋はいつから占いを始めたんだ?

 まぁそうだな。俺の観察力はそこそこだってことだ。毎日ここで色んな人間を見て、話を聞いているとな、見えてくることがいくつもあるんだよ。俺には見えるよ。お前たちはきっと、あいつ以上の大物になるんだってな。あいつはこの国で一番にはなるんだろうが、お前たちは世界で一番を目指すんだ。お前らのスケールは、島国には収まりきれないってことだ。

 なにを言っているんだがな。そう思って呆れ顔を見せていると、突然聞き屋は、立ち上がって歌い始めたんだ。正直言って、最低に恥ずかしかった。ギターを弾かずに足踏みと手拍子だけで歌う姿は、そりゃあ凄まじかったな。立ち止まって聞く誰かなんて、一人もいなかった。下手くそだったからじゃない。突然の行為に、街が驚いていたんだ。こいつはなんなんだ? 頭がおかしいのか? そんな感情がそこを通った誰もの頭に浮かんでいたよ。

 俺は恥ずかしさのあまり、立ち上がってそこを去ろうとしたんだ。当然の行動だって思っているよ。すると聞き屋は、歌うのをやめ、俺に抱きついた。


 なにするんだよ! 俺がそう言うと、聞き屋は笑った。お前たちが今やってることはさ、これと同じなんだ。けれどどうだ? ここじゃあちょっとした有名人の俺だって、こんなことをすりゃあ冷たい視線を浴びるんだ。お前たちはそうじゃない。近所の知り合いだからといってな、聞き耳を立ててくれるってことは、凄いことなんだよ。

 聞き屋の言っていることは、あまり理解できなかったよ。ギターを失った聞き屋は、今ではここで歌を歌わなくなっていたが、以前は歌っていたんだ。評判だって悪くはなかった。立ち止まる誰かは大勢いたんだ。

 まぁ、聞き屋はショックを受けていたのかも知れないな。ギターを失ったばかりだったし、あの人はデビューを果たして一気に有名になった。多少頭がイカれるのも無理はない。ってな風にこのときは感じていたんだが、真実はちょっと違っていたよ。聞き屋は喜んでいたんだ。ギターは失ったわけじゃなく、あの人に譲ったんだよ。あの人の活躍を一番喜んでいるのは、聞き屋だったりする。

 なんだかさ、聞き屋って言うより、話屋だな。俺がそう言うと、聞き屋は俺の両肩を掴んで、そうなんだよ。本当の俺は誰かの話を聞くより、話をしている方が好きなんだ。って言ったんだ。

 俺はもう帰るよと、聞き屋の手を振り払った。また遊びに来いよな。聞き屋はそう言ったが、俺は返事をしなかったよ。いつかの聞き屋のように、背を向けたまま手を上げて振っただけだ。

 その後、俺たちのガレージライヴは、聞き屋の占い通り大変なことになってしまった。近所の人たちだけでなく、いつの間にか増えていた観客に、警察が動いてしまったんだ。


 俺たちのライヴを見ようと集まった多くの中には、同級生もチラホラといたにはいたんだが、ほとんどが見ず知らずの誰かだった。通りすがりに耳に飛び込み、それを気に入る。知り合いに声をかけ、その輪が広がっていく。気がつくと、人並みは車道にまで広がっていた。

 警察の指導により、俺たちのライヴは禁止された。敷地内でなにをしても自由なはずだろ? とは言ったが、騒ぎはまずいよな。俺たちだって、そんなことは望んでいなかった。車道に溢れた観客が、通行車両と揉めたんだ。流石によくないよな。俺たちは大人しく、シャッターを開けての演奏を中止した。

 閉じこもっての演奏は、俺たち向きじゃなかった。曲を仕上げるためには役に立つ。途中で何度も演奏を止められるからな。しかし、それだけじゃダメなんだ。俺たちの音楽は、人前でこそ成長もするし、楽しくなるんだ。っていうわけで、聞き屋の占い通り、ケンジが相談に出向いて行った。まぁ実際には、あれから三ヶ月が過ぎていたんだけどな。俺たちのファンは、マナーがいい方なんだよ。

 やっぱり来たかと、聞き屋はケンジに言ったらしいよ。そしてすぐ、ここで歌えよと言ったんだ。警察には話をしといてやるよ。そうも言っていたが、信用はならない。もともとその場所では、多くの誰かが演奏をしていた。許可なんていらないはずだったんだ。

 聞き屋が言うにはだが、お前たちがやると騒ぎになるからな。そうならないためには、警察の協力も必要になるんだよ。そう言われ、全てを聞き屋に任し、俺たちの横浜駅前デビューが開催された。いつの間にか、夏休みは終わっていたよ。

 お前たちさ、警察に捕まったんだって?

 新学期が始まってすぐ、長髪男に声をかけられた。嫌な予感しかしなかったよ。

 どこの情報だよ、それ?

 学校中に広まってるぜ。知らなかったのか? 今日は一日、みんながその話題で大盛り上がりだよ。学校始まっていらいの問題集団。ケンジ組だってな。

 おいおい、なんだ、そのダサい名前は?

 あれ? お前たちのバンド名だろ?

 馬鹿言うなよ! ポップンロール。それが俺たちだよ。

 はっ、どっちにしろダサい名だな。

 ダサいかどうかはさ、世間が決めてくれるんだ。どうでもいいことだよ。

 なに言ってやがる。俺だってその世間なんだぜ。

 長髪男にしてはまともなことを言うなと驚いた。確かにそうなんだ。こんな奴にも、俺たちの音楽は届くんだ。むしろ、こんな奴にこそ届けるべきなんだろうな。そう思ったよ。長髪男こそが世間の中心だったりする。


 今年は文化祭に出たいとかは言わないのか? ナオミがなんて言うかは知らないけど、俺が相談してやろうか?

 ナオミは最近、長髪男と付き合っているって噂があるが、俺はそれが嘘だと知っている。長髪男が流している噂に過ぎない。仲良くはしているようだが、ナオミにその気がないのは明らかだった。ナオミはまだ、ケンジを諦めている様子がなかったからな。

 女子の気持ちっていうのはよく分からないって、つくづく思うよ。ナオミは今や、ユリちゃんと大の仲良しだ。どういうわけか、そこにナオミの陰謀は感じられなかった。よくある少女漫画とは違うんだ。それはケイコも保証していた。ケイコも含めて、三人はいつも一緒に行動していたよ。まぁ、ガレージライヴには、いくら誘ってもナオミは姿を見せなかったんだけどな。

  文化祭にはもう、興味はないよ。どうせ体育館でやるんだろ? どうせなら、校庭か屋上っていうのがいいんだけどな。それならきっと、大盛り上がりだ。ここの鍵はお前が持っているんだし、一丁やってみるか? なんて俺の冗談を、長髪男は笑いもせずに聞いていたよ。

 今度さ、俺たちのバンドのライヴがあるんだけどさ、見にくるか? 路上なんかじゃなく、ちゃんとしたライヴハウスだぜ。チケット代まけとくからよ。一度全員で本物を体験するといいぜ。勉強になるからな。

 本気でそう言っていたんだろうな。随分と得意げな表情と口調だったからな。

 まぁ、考えておくよ。そう言って俺は、屋上を出て行く。嫌な奴じゃないんだが、面倒な奴なんだよな。ある意味ではだが、ナオミとお似合いなんだよ。まぁ、あり得ないがな。あくまでも、ある意味では、だなんだよ。


 俺たちの駅前ライヴは、静かに始まった。週末の十一時、酔っ払いたちが騒ぎ始める時間だった。立ち止まる奴なんて、一人もいなかったよ。酔っ払いたちに絡まれることもなかった。聞き屋の心配は無意味だった。警察になんて頼らなくても、騒ぎすら起きなければ問題ないんだ。

 まぁ、初日はこんなもんだ。この時間だしな。もっと早い時間だと、練習にならないだろ? しばらくはこの時間を楽しみな。様子を見て、時間を変えればいい。けれどそのときは覚悟をしておけよ。そうなったとき、お前たちはもう、後戻りが出来なくなる。

 なにを言っているのかは意味不明だったが、ケンジだけは頷き、分かっているよと答えていた。

 俺たちは、毎週末の土日に演奏をした。酔っ払いたちは、次第に足を止めることが増え、曲間に声をかけてくることもあった。誰々の曲を演奏しろなんて言われても分からない。まぁ、ヨシオだけはその曲を知っていて、メロディを奏でる。すると少しは盛り上がるんだ。なんとなくの雰囲気でケイコとカナエが音を重ねる。俺も必死についていった。ケンジはヨシオが奏でるメロディに乗せてハミングをする。後から聞いた本物とは違っていたが、それなりに受けていたよ。他人の曲を演奏するのも、楽しいもんだって気がついた。

 文化祭の日も、俺たちは駅前で演奏していた。長髪男は本当に俺たちのことをナオミに話したそうだ。俺はナオミに、本気なの? そう聞かれたよ。悪いけど、興味はないと言っといた。するとナオミは、よかった、先生に迷惑かけるの、嫌なんだよね。そう言ったんだよ。どっちの意味なのか、俺には分からなかったよ。

 評判っていうのは、上がるときには一気に上がるが、止まっていると、抜け出すことに時間がかかるんだよな。酔っ払いたちからのリクエストに応えることは、確かに勉強にはなったが、俺たちを停滞させることにも繋がってしまったんだ。

 それに気がついてからは、リクエストに応えることはしなくなった。まぁ、その代わりにカバー曲はいくつか演奏している。自分たちのカラーに合わせて、自分たちの意思で演奏をしたんだよ。するとようやく、俺たちは一線を超え始めたんだ。


 明日のライヴ、来るだろ? 長髪男に誘われていたことなんて、すっかり忘れていた。文化祭のライヴは、一応は覗いたんだが、一年前と相変わらずだった。興味はなかったが、誘いを断るのは気不味く、俺だけしか行けないけど、それでもいいよな。そう言って、一枚分のチケットを購入した。定価でな。まけてなんてくれなかったよ。

 その日は金曜日だ。十一時までは時間がある。バイトも休みだったしな。まぁ、暇潰しってことで顔を出したんだよ。

 正直言って、つまらなかった。長髪男のバンドだけでなく、他のバンドも同様だった。それでも一定の盛り上がりがあったのが不思議だったよ。ケンジなら、こんなにつまらなくても、楽しめたと言うんだろうな。あいつにとっては、楽しくない音楽なんて存在しないんだからな。映画だってそうだ。誰かが一生懸命に作った作品や行動には、それなりの価値があるんだとさ。俺もいつの日か、ケンジのように物事を考えられるのか? そんな風に感じられたことが、その日唯一の収穫だったな。

 ライヴハウスの中で俺は、ナオミとユリちゃんを見かけたよ。長髪男に誘われたんだろうが、よく来たよなって思った。二人もあまり楽しんでいる様子ではなかった。俺は身振りで挨拶をしただけで、声はかけなかった。

 どうだった? 一人でいる俺に、長髪男は声をかける。どうって言われても困るよな。俺は素直に、相変わらずだな。そう答えたよ。

 だろ? なんて奴は喜んでいた。俺の言葉の意味を履き違えていたんだろうな。

 これから打ち上げなんだけど、お前も来るか? ナオミは来るって言ってたぞ。

 この後ちょっと用があるんだ。悪いけど、またの機会にな。俺はそう言い、その場を後にした。そして一度家に帰って、機材を持って横浜駅前に急いで向かった。


 俺が到着すると、すでにケンジたちは準備を始めていた。俺は用事があってギリギリになるかもとは言っておいたが、どこへ行くとかは言わなかった。言う必要もなかった。特に、ユリちゃんを見かけたなんて言えないよな。

 なんか今日はいつもと雰囲気が違わないか? ひょっとしてだけどさ・・・・

 やっぱりそう思うよな。まぁ、いいんじゃないか? 俺たちは別に、普段通りだ。ケンジはそう言った。

 その時間には珍しく、酔っ払い以外の観客も多く見受けられた。最初は待ち合わせか? とも思ったが、どうやら違う。俺たちが目当だったようなんだ。そこに立ち止まっていた視線の全てが、俺たちに向けられていた。しかも、俺が来たことで、ソワソワし始めている。メンバーが揃ったことを知ったのだろう。

 始めて外で演奏したときには感じなかった緊張があった。注目をされる中での演奏は、初めてだったからだ。こういう緊張感が、俺は好きだ。できることならずっと、その状態でいたいと思っている。俺は馬鹿なのかも知れないな、やっぱり。

 しかしその緊張感は、演奏が始まると消えてしまうんだ。それはそれでいいことだよな。俺たちは楽しく、演奏をした。横浜駅の西口は大いに盛り上がっていた。曲が始まれば拍手が起こり、終わっても起こる。曲間に声が上がることもある。しかしまだまだ足りない。俺たちはただただ楽しくその夜を終えたんだ。

 今日はどうだった? 片付けを済ませた俺たちに、聞き屋が聞いてきた。

 どうなんだろうな? 正直、これじゃあダメだって思ったよ。ケンジのその言葉に、みんなが頷いた。その様子を見て、聞き屋は笑う。

 お前らはやっぱり面白いな。そう思えたんなら、問題ないか。明日からも頑張れよな。

 それがどういう意味かは、よく分からなかった。俺たちに分かっていたことは一つだ。明日もまた、楽しくならなくっちゃいけないってことだ。その日だって悪くはなかった。けれど俺たちは、もっと楽しくなれる。満足なんて、これっぽっちもできなかったってことだ。

 次の日もまた、大勢が集まる中での演奏だった。そりゃあ楽しかったが、それだけだ。翌週にはもっと楽しくなりたい。誰もがそう思ったよ。そのためにまた、練習をするんだ。ケイコの家の地下室や、ヨシオの家のガレージや、自分の家の部屋を使ってな。


 金曜のあの後、どこにいたんだ?

 長髪男がそう言った。朝から捕まるのは久し振りで、ちょっと気分が沈んでしまう。

 いつも通りだよ。俺たちがどこでなにやってるか、聞いてるんだろ? たまには見に来ればいいじゃんか?

 俺がそう言うと、長髪男は一瞬だけ笑顔になったような気がした。けれどすぐ、しかめっ面でこう言った。

 お前たちには興味ねぇよ。酔っ払い相手の余興なんて、クソだよ。

 それって、見に来たってことだよな?

 俺は余計なことを言ってしまったと思ったよ。奴は、俺から視線を逸らし、なんのことだかな。そう呟いたんだ。

 聞き屋の助言を受け入れ、俺たちは演奏時間を少し早めた。七時半から集まり、八時にはスタートさせた。

 客層が変わると、盛り上がり方は変わる。学生や酔っ払いじゃない会社員の反応は、とても素直だった。最初はなんの騒ぎかと近づいて来るが、興味がなければ立ち去って行く。その代わり、興味を持てば大いに楽しんでくれるんだ。その場で踊り狂う奴も多くいた。俺たちは確実に人気を得ていたんだ。

 演奏が終わると、声をかけられることもあった。決まって聞かれるのは二つだよ。音源はあるのかと、今度どこでライヴをするのかってことだ。俺はいつも返事に困ったよ。音源はないし、ライヴの予定もない。毎週ここにいる。それだけしか答えられなかった。知名度は上がっても、広める術に困っていた。

 ライヴハウスへの出演は、この時点でも断られ続けていた。理由は教えてくれないが、ナオミの仕業としか考えられない。音楽スタジオでレコーディングをしようかとも考えたが、予約がいっぱいで三年先まで空いていない。なんていうあからさまな嘘までつかれたよ。


 俺はケンジを連れて、ナオミに抗議すると決めた。ケイコに言っても、私の口から言っても聞いてくれないよ。そう言われたからな。

 放課後すぐ、ナオミの元に行った。話したいことがあるんだと、素直に呼び出した。今からいいだろ? そう言って、以前二人で話をした職員用トイレの前に向かったんだ。

 話ってなによ! ナオミはいきなり喧嘩腰だった。

 この前さ、ライヴハウスにいただろ? ユリちゃんも一緒だったよな? 楽しかったか? あいつのライヴ?

 そんなのあんたには関係ないだろ! そんなことを聞きたくて呼んだのかよ!

 まぁ、そうじゃないんだけど、それも関係あるのかも知れないなとは思っているよ。もうすぐケンジが来るからさ、話があるのは俺だけじゃないってことだよ。

 ケンジ君・・・・ あいつが来るなら帰るよ。私は二度とあいつとは口を聞いてやらないんだから!

 ナオミっていうのは、本当に感情の起伏が激しい女だよなって思うよ。

 もうすぐ来ると思うけれどな。ほら、この足音はケンジのだろ?

 ケンジの足音は独特で、学校中に知れ渡っていた。踵をカタカタ鳴らすんだ。革靴なら当然としても、上履きをきちんと履いていても鳴るから不思議だよ。足癖が悪いんだ。

 おっ! 久し振りじゃん、ナオミ! 同じ学校にいるのに、会えないときは長いもんだな。

 なによ、その言い方・・・・ 私はもう、あなたとは顔を合わせたくないのよ。

 ナオミはそう言うと、俺に向かって、邪魔よそこ! なんて言いながら俺を押し退ける。

 随分と嫌われてるんだな。ケンジがそう言った。

 当然でしょ? 嫌われたくなかったら、ちゃんとしなさいよ! あなたのせいでみんなが迷惑しているのよ!

 なんのことを言っているんだか、俺には理解ができない。それはケンジにとっても同じようだった。

 これでもちゃんとしてるんだけどな。まぁ、俺が悪いっていうなら謝るよ。そんなことよりさ、本当にナオミなのか?

 なにがよ! ナオミは立ち止まってケンジに顔を向ける。

 俺たちがライヴハウスに出られないのとかさ、スタジオに出入りできないのって、ナオミがそうさせてるのか? まさかとは思うけど、違うよな?

 な、なによ・・・・ 私のこと、疑うの? やっぱりあなたって、最低よ!

 じゃあさ、誰が邪魔しているのか、知ってるか? 俺たちは別に、悪いことはしていないだろ? ライヴくらい自由に演っても構わないだろ?

 そんなの知らないわよ! っていうか言っとくけど、私は絶対ケンジ君のこと許さないんだからね!

 ナオミはケンジの胸ぐらを掴んでそう言った。その目には、なぜだか涙がたまっていたよ。そして、バカ! なんて唾を撒き散らしながら叫び、ケンジを押して走り去った。

 追いかけようとするケンジを、俺が止めた。面倒だよなって思いながらも、俺が後を追いかけたんだ。


 ナオミさ、ちょっと待てよ! お前じゃないっていうのは信じるよ。けどな、お前は誰がやったか知ってるよな。それだけでも、教えていけよ。

 あんたにお前なんて呼ばれたくないわよ! 立ち止まったナオミはそう言いながら振り返り、俺の頭を引っ叩いた。手に持っていたカバンでな。

 本当は物凄く痛かったが、俺はそんな素振りも見せず、真っ直ぐにナオミを見つめた。

 あいつか? けれどあんな奴になにができるっていうんだ? あれはただの器だろ?

 なによそれ? そんなんじゃ誰のこと言ってるのか分からないわよ。

 ナオミの恋人を気取ってる奴のことだよ。最近仲いいんだろ?

 俺は奴の名前を知らないんだ。だからなんて呼んだらいいのか分からない。もっとも、知りたくはない。奴は中身のない器だ。そんな奴の名前を記憶するほど、俺の脳みそは大きくないんだ。まぁ、立派な器も存在するが、奴は違う。大量生産のプラスティック製なんだよな。使い心地も悪くはない。見た目だってそこそこだ。けれど、どうにも味気がない。要するに、つまらない奴だってことだ。それでも俺は嫌いじゃないんだぜ。それなりにだが、好きなんだよな。ああいう奴も。プラスティック製の器も意外と使い勝手良くて役に立つ時がある。

 あいつが恋人なわけないでしょ!

 じゃあなんなんだよ! あいつが俺たちの邪魔をする理由はなんなんだよ!

 そんなの知らないわよ。私は別に、なにも頼んでないし、正直本当にあいつなのかも分からないのよ。けれど・・・・ あいつしかいない。

 そうか・・・・ 後は俺が聞いとくよ。まぁ、なんにせよ悪かったな。ナオミを疑ったのは俺なんだ。本当にごめん。俺はそう言いながら、きちんと頭を下げたよ。

 もういいよ。そんなこと、どうでもいいんだ。去年の文化祭は私のせいだし、正直言ってね、苦しんでいるあんたたち見てざまぁみろって気持ちも少しはあったしね。ただ・・・・ あんたたちってさ、そんなことほとんど気にしていなかったじゃない。この前の路上ライヴ、見に行ってたんだけど、凄く楽しかったよ。あいつがどんなに邪魔をしたって、あんたたちなら大丈夫だよ。

 そうは言ってもな、路上だけじゃ満足できないんだよな。もっと大勢に聞かせたい。なんせ、俺たち以外がそれを望んでいるんだ。

 だったらさ、屋上でやったら? なんてね。冗談だよ。ナオミはそう言って舌を出した。やっぱり可愛い女だと思ったよ。

 ついでに聞きたいんだけど、ケンジとは仲直りしないのか? っていうか、なんでそんなに避けてるんだよ。なにかあったんならさ、教えてくれよ。

 あんたってさ、優しいんだけど、馬鹿だよね? ケンジ君とはもうなにもないよ。ただ、ハッキリしないからイラついているだけ。

 まぁ、そういうことにしておくか。でさ、あの長髪男はなんで俺たちに嫌がらせをするんだ? お前のことが好きだからか?

 冗談やめてよ! あいつはただの友達だって。ケンジ君と仲いいって聞いたから、ちょっとした相談をしたのよ。そしたらあいつ、勘違いして・・・・

 俺はナオミに、分かったよ。そう言い残し、その場を去って行った。向かう先は決まっている。この時間ならきっと、あそこにいるはずだ。俺は真っ直ぐ、屋上に向かった。鍵はかかっていないとの予感はしていた。あいつはだんだんと、ズボラになっている。まぁ、先生の行動パターンが読めているからっていうのもあるが、他の生徒にバレると厄介だろ? って俺は何度か言ったんだが、奴はついつい忘れちまうんだよな、なんて言うんだ。面倒臭いとも付け加えてな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る