第6話

 俺たちはとにかくライヴをしたいと感じ始めていた。たまにユリちゃんやナオミの友達をケイコの家の地下室での練習の誘ってはいたが、より多くの人前で演奏したかった。音楽っていうのはさ、内じゃなく、外に発するもんなんだよ。

 ユリちゃんも彼女も、俺たちの音楽を楽しんでくれたよ。文化祭にも出ればよかったのにと、彼女が言った。

 その翌日から、彼女はクラスで孤立した。可愛そうだが、俺にはなにもできない。ただ一緒になってシカトをするなんて真似はしなかった。俺はそれまで通りに付き合いを続けた。けれど、女子のいじめって最悪だよな。無視をするだけじゃなく、陰口や陰湿な態度によって追い詰めていくんだが、俺が助けようとすればするほどいじめは助長していくんだ。俺はあえて普通に接することにしたんだが、それでよかったのかどうかは分からない。

 まさかだが、ナオミがイジメの主犯だとは驚いたよ。俺はやっぱり馬鹿なんだ。気がつくのが遅すぎた。後になって考えると、確かにおかしな点はあったんだ。彼女がシカトされ始めたとき、ナオミの態度がよそよそしかったのを覚えている。クラスの女子が、教室に入って来た彼女を冷たい視線で眺めていた。おはようの声に、誰も反応しなかった。俺は朝は忙しいんだ。本を読んだり、音楽のことを考えたりしているからな。挨拶をするのは、目が合ったときだけと決めていた。

 彼女は、なにかあったのかな? なんて呟き辺りをキョロキョロしていた。いつもと違う雰囲気に、俺は顔を上げた。そして彼女に、小さく挨拶をする。よう。その程度だったが、彼女の顔が一瞬だけ明るくなったのを感じた。

 おはよう! 彼女はいつものように元気な声でナオミに挨拶をした。いつも通りだなと俺は安心したんだが、挨拶を返すナオミの声が震えていたことは、気づかなかったことにしてしまった。その表情がいつもと違っていたことにもな。

 クリスマスにお正月、一年で一番楽しい季節がやって来た。ケンジは大はしゃぎだったな。学校は冬休みだし、バイトがなければバンドだけに集中できたんだが、そうもいかないのは仕方のないことだよ。

 冬休み中に初ライヴをする予定でいたんだが、俺たちが調べたライヴハウスは、どこもいっぱいで、使用できなかった。だから俺たちは横浜駅の西口でやろうと盛り上がったんだが、そっちは機材の問題で諦めたよ。ただ、ケンジだけは聞き屋のギターに乗せて歌を歌っていた。あいつの歌声は、街中に響いていたよ。うるせぇな! なんて酔っ払いの声さえ掻き消していく。


 クリスマスの夜に、ケイコの家の地下室でみんなが集まった。いつの間にか、そこが俺たちの溜まり場に変わったんだ。ヨシオの部屋には、行く機会が減っている。

 そこにはユリちゃんは当然として、ナオミの友達も来ていたよ。俺はそこで、最近なにかあったのかと聞いた。ナオミと喧嘩でもしているのか?

 すると彼女は、いつも以上の笑顔を見せて、そんなわけないじゃん! そう言ったんだ。俺はその言葉を信じたよ。

 この頃のユリちゃんは、相変わらずの眼鏡っ娘だったけれど、ケイコたちと一緒に買い物をして買った洋服や、ほんのりとしたメイクをしていて、その輝きを放つ手前っていう感じがしていたよ。下手な表現だが、まさにサナギが蝶になる。そんな直前の瞬間だったんだ。

 俺たち五人は、年末を一緒に過ごす。彼女とユリちゃんにも声をかけたが、家族と一緒に過ごす予定だからと断られたよ。

 今年こそは初ライヴをしたい。五人揃っての願掛けを、近所の神社でした。真夜中にな。配っていた甘酒を飲み、冷えた身体を温めながら。

 年が明けての登校日に、彼女は学校を休んだ。先生は、風邪をひいたと言っていたよ。

 俺は特には心配しなかった。風邪くらい誰ってひくからな。けれど一週間休みが続くと、誰だって心配するのが普通だよな。けれど俺のクラスでは、先生も含めて、誰も心配なんてしなかったんだよ。

 放送部のヨシオは、かなり心配していたな。あの二人は、いつの間にか仲を育んでいた。けれどまだ、そういった関係ではなく、連絡先も家も知らなかった。他の連中にも聞いたが、知っている者はいなかった。

 あの子なら知ってるんじゃないの? なんて一人の女子が答えてくれた。俺がケイコに相談をしているときだ。廊下をすれ違った先輩がそう声をかけてきた。どこかで見たことあるなと思ったら、夏休み前まで長髪男と付き合っていた子だったよ。夏休み明けには別れていたんだけどな。

 あの子って、誰だよ。俺は先輩相手だというのに生意気な口の聞き方をしたんだが、その子はまるで気にしていなかった。

 あのお金持ちの子いるでしょ? ナオミって子。二人は同じ中学だったはずだよ。なんでも有名な私立のお嬢様学校だったらしいんだけど、どうしてこんな高校に来たのかな? 大学まであると思ったんだけど。

 そうなんだ。ありがとうね。俺はそう言い、教室に戻った。二人がずっと以前から友達だったなんて、想像していなかった。ナオミがお嬢様校出身だって噂は聞いていたから、当然この学校で知り合ったと思い込んでいたんだ。


 教室には、ナオミの姿がなかった。けれどもう一人の友達は、そこにいたよ。いじめが始まるまでは常に一緒にもう一人。やっぱりこの子も同じ中学なのか? そう思って聞いてみたが、違うと言われた。彼女の連絡先を聞いても、分からないと言う。そんなはずはないだろ? 俺は食ってかかった。電話番号くらい聞いてないのか?

 ナオミに聞けばいいでしょ? 教えてくれないと思うけどさ。私は本当に聞いてないのよ。っていうか、あんたたち仲良いじゃんよ。知らないんだ? じゃあやっぱり、本当のことも聞いていないんだね。

 なんだよ! 本当のことって! 俺が大声を上げると、クラス中が静まり返った。なんだか嫌な雰囲気を感じて、自分の席に戻ったよ。

 イライラと教室の入り口を眺めていると、ナオミの姿が見えてきた。俺は飛び出すようにナオミの前に向かった。そして入り口を塞ぐようにして話しかける。

 あの子の家、知っているんだろ? 電話番号だけでもいいから教えてくれよ。

 あの子って誰よ! 邪魔だから、そこどいてよ。

 俺の腕を潜って教室に入ろうとするナオミを、俺は腕を下げて制した。なにがあったかだけでも教えろよ!

 別にいいわよ。どうせ来週にはみんなに知られるんだから。

 ナオミはそう言い、廊下へと引き返して行った。

 風邪っていうのは嘘なんだろ? なにをしたんだよ! 中学からの友達なんだろ? 陰湿なイジメしやがって、そんなんだからモテないんだよ。見た目だけなら最高なのにな。

 俺がそう言うと、ナオミは立ち止まり、振り返った。そして俺の肩をグーでパンチする。

 あんたに私たちのなにがわかるって言うのよ! 馬鹿! そう言うと今度は、頭を引っ叩いた。

 ナオミは職員室の側にあるトイレの前で立ち止まった。ここなら誰にも邪魔されないわよ。私があんたを殴ったってね。

 ない言ってやがると思ったよ。もう散々殴られてるっていうんだ。

 だったら俺が手を出しても同じってことか?

 俺がそう言うと、ナオミはファイティングポーズをとって、やるか? なんて言ったんだ。ふざけているのか真剣なのか分からないが、ボクサーのようにステップを踏み、拳を突き出していたよ。


 ここなら生徒たちは滅多に来ないからな。先生はみんな、私の味方だし、あんたは誰にも助けてもらえないんだ。

 なんだよ。本当に喧嘩するつもりなのか?

 それでもいいってことだ。

 それで、彼女はなんで休んでいるんだよ。俺は別に、詳しいことなんて知りたくないんだ。たださ、今日で一週間だ。風邪で寝込んでいるにしては長いだろ? 去年はイジメられていたようだし、心配するのが普通だろ?

 あんたって意外と優しいのよね。だけどやっぱり馬鹿だよ。

 馬鹿に馬鹿って言うなよ。もうその言葉は聞き飽きているんだ。

 あの子ならもう、学校には来ないよ。転校するんだってさ。元々さ、この高校には私が無理言って連れてきたんだよ。親まで騙してね。私が進学校に通っていたのは知っているでしょ?

 お嬢様学校のことだな。噂では聞いているよ。

 やっぱり、そういう風に呼ばれているんだ。なんなの? お金持ちのこと、嫌いなの? あんたたちさ、本当に頭おかしいんじゃない?

 ナオミがなにを言いたいのか、まるで分からなかったよ。

 それであの子は、イジメられていたのか? 俺が一番興味あるのはそこだった。なにがあったにせよ、いじめが原因で辞めていくなんて悲しすぎるだろ。

 それは仕方がないでしょ? あの子がいけないのよ。私を裏切ったりするから。いじめと言ってもね、私はなにもしていないわよ。夫婦だって喧嘩をすれば口数が減っていくんだし、まるで会話のない夫婦もいるじゃないのよ!

 なんだよ、それ? お前たち、夫婦だったのか?

 馬鹿! そんなわけないじゃない! 私だって、こんなことになるなんて思ってなかったし、もっと早く仲直りすればよかった思ってるわよ! けれど、クラスの子達まで私に気を使ったのかあの子と喋らなくなって・・・・ 言っとくけど、影で嫌がらせしたり悪口言ってるのは私じゃないからね。

 つまりはイジメの原因はナオミにあるが、実際にイジメていたのは別だってことだ。嫌だね。この世界にはつまらない奴が多すぎる。大人たちならまだしも、高校生でそれはまずいだろ? まぁ、小学生のくせにつまらない人間が多いっていう、受け入れ難い事実もあるんだがな。

 だったらお前が止めてやればよかったんだ。

 そんな簡単じゃないのよ・・・・ 彼女は壁に寄りかかり、全てのことを話してくれたよ。その日は一時間、授業をサボった。


 喧嘩の理由はケンジだった。この高校に入学したのも、ケンジが理由だった。ナオミは中学時代に、ケンジと出会っていたんだ。俺はまるで知らなかったんだけどな。

 彼女は俺とだけでなく、ケンジとも仲良くなった。ナオミの気持ちを知っているのに、自分を置いてけぼりに仲良くなっていく過程を見るのが辛かったそうだ。

 しかしそのナオミの気持ちっていうのが、俺の想像とは違っていた。ナオミはケンジに、告白をしたそうなんだ。ケンジのユリちゃんへの想いを知った後に、ちゃんと気持ちを伝え、恋人になりたいと言ったんだよ。ケンジは当然、それは無理だと答えた。友達としては大好きだよ。なんて付け加えるからタチが悪いよな。そんなことを言われれば、諦めるどころかもっと好きになることだってあり得るんだ。

 ナオミは彼女にその全てを伝えたよ。彼女は明るく、他にもいい人いるんだし、落ち込むことないよ。なんて言ったそうだ。タケシ君なんてどう? とは言わなかったみたいだな。

 もう忘れたいからと、彼女にもケンジと仲良くするのはやめて欲しいなんて言ったそうだ。なにを考えての言葉なのか、俺には理解できない。彼女もそうだったんだろうな。俺たちとの付き合いはやめなかった。ヨシオのことが好きだったからだけだとも思ったが、そうじゃなかった。俺はそんなことなんて知らずに彼女を誘い続けていた。遊びに来いよってなって感じでな。当然俺は、ナオミも一緒だと思っていた。けれど俺は馬鹿なんだ。ナオミが顔を出さなくても、色々忙しいんだろうなとしか感じていなかったんだよ。

 彼女の行為を、ナオミは裏切りと呼んでいる。

 ナオミは彼女を、この高校に誘った。好きな人ができたから、その人と同じ学校に行きたいと言った。彼女とナオミは当時通っていた中学に付属していた幼稚園からの付き合いで、常に一緒にいる間柄だった。クラスが別々になったことさえなかったという。

 彼女はナオミの言うことに逆らえない。その理由は、ナオミには分からないそうだ。お父さんたちの関係かな? なんて言っていたが、俺もそのときはどうでもいいと感じていた。彼女は親に隠したまま、この高校に入学した。試験を受けるための書類なんて、親に頼まなくても作成できるし、誤魔化すことは簡単だったそうだ。ナオミには、そんなことを平気で手伝ってくれる大人が周りを多くうろついている。

 彼女は戸惑ったけれど、入学してよかったこともある。それはヨシオと出会えたことだったと、何度もナオミに感謝していた。だからこそ、ナオミになにを言われても、俺たちとの付き合いをやめられなかったんだけどな。


 ナオミとケンジとの出会いは、小学校時代にまで遡る。ナオミには弟がいて、弟は野球をしていた。なかなかの名門チームのエースだった。一つ年下だったが、四年生のときにはすでにレギュラーで、五年生でエースに君臨していた。今じゃあ中学生の日本代表なんだってさ。すでにプロからも注目されているって噂だ。俺たちが戦った試合の決勝戦の相手が、ナオミの弟が所属するチームだったらしい。怪我人が多く、ボロボロだった俺たちは、結果としては負けたんだが、そこそこの善戦はしたんだよ。途切れた気持ちが、負けの原因だった。

 ナオミはその日、ボロボロになったケンジに声をかけた。試合後にトイレの前の水飲み場にいたケンジに、今日は残念だったね。そう言ったんだ。するとケンジは、こう答えた。そうか? 楽しい試合だったけれどな。ナオミとしては予想外の言葉だったらしい。励ましの言葉を用意していたようだ。怪我を押しての登板だってことは、相手チームにも伝わっていた。気持ちの問題で負けたって俺たちは思っているんだが、相手チームの連中もまた、気持ちでは負けていたと感じていたようなんだ。俺たちの必死さに、特にケンジの気迫に驚き評価していた。ナオミはそんなケンジのことが気になり、一人でいる姿を見とめて声をかけたんだ。

 予想外の言葉に、ナオミは固まってしまった。ケンジはそんなナオミに対し、試合見てたのか? 楽しかっただろ? そう言い、ナオミは頷いた。またどこかで会えるといいな。その後ケンジは、なぜかそんなことを言ったそうだ。

 たったそれだけの出会いで、その後は一度も会っていないという。正直顔も覚えていなかったそうだ。それでも好きというか、もう一度会いたいと思っていたんだよ。ケンジっていう名前だけはしっかりと心に焼き付いていた。試合を見ていたんだから当然だよな。毎回のことだったけれど、試合中に一番名前を呼ばれるのがケンジなんだ。

 そのときもう一人の男の子がトイレから出てきたんだけど、あなただったのかも知れないわね。ナオミはそう言った。その男の子が、ケンジなにやってんだよ! なんて言っていたのも覚えているそうだ。

 俺にはそのときの記憶がない。決勝戦の相手のことなんて、誰一人として覚えていないよ。そんな凄い奴が対戦相手だったともな。ましてや観客の中にこんなに可愛い女子がいたと知っていたなら、違う結果になっていたのかも知れない。まぁ現実には、そんな余裕なんて少しもなかったんだけどな。

 これは最近になって聞いたんだけど、ケンジはそのときのナオミを覚えていたそうなんだ。特にエースのことは強烈に覚えていたそうだよ。ケンジとナオミは、俺の知らないところで、そんな話で盛り上がってもいたそうだ。どうして俺に言わなかったんだとケンジに聞いたら、忘れていただけだと言っていたが、ナオミに聞いたら、あんたに言う必要はないじゃないなんて言われたよ。


 名前だけを頼りに、ナオミはケンジを見つけた。俺たちの中学の同級生に、そのときの対戦相手の一人がいたという。と言ってもベンチにも入れない選手で、応援席にいたそうなんだ。しかも、女の子だよ。中学では野球部のマネージャーをしていたそうだが、俺はよく知らない。ケイコは一度同じクラスになったことがあると言っていたが、そんな話は聞いていないと言っていたよ。少年野球時代の話も、ケンジの話もね。空飛ぶケンジの写真を持ち去ったのは、その子だったそうだ。その子からナオミに手渡されていた。学生書に挟まっているのを見せてもらったが、その姿勢はやはり美しい。顔なんて横顔しか見えていなかったけれどな。

 ナオミはその友達からケンジの情報を得ていたようだ。崖から落ちたことも知っていたよ。物凄く心配をして、顔を見に来たこともあったようだ。けれど、まともにその顔を見ることはできなかったそうだ。

 ナオミは親に頼み、この高校に入学をしたそうだが、やはり最初は相当怒られたそうだよ。問い詰められて答えた理由には、呆れていたそうだが、それならば仕方がないと納得もしてくれたそうだ。恋する気持ちを納得させる方法がないことを、ナオミの両親は理解していた。

 ナオミは最初、俺をケンジだと勘違いしていた。どこでどう間違いが起きたのか、いつの間にかナオミが恋をする男の名前が、タケシと入れ替わっていたんだよ。この話の中でナオミが口にするケンジって名は、便宜上であって、実際に当時のナオミはその名前をタケシだと思っていたんだが、俺たちの同級生だっていうその友達もいい加減だよ。俺の名前を聞かされていてなんでケンジの写真を持っていったのか、ナオミのその勘違いに気づいていて敢えてそうしたのか、とにかく俺とケンジは常に一緒にいたから、そんな勘違いにも多少の理解はできるんだがな。顔も背格好も似ていないのに、ケンジと間違えられて声をかけられたことが何度かある。しかし不思議なんだ。ケンジは一度も、俺に間違われたことはないんだとさ。

 トイレの前の水飲み場で、俺がケンジの名前を呼んではいないじゃないかって感じているよ。定かではない記憶だが、俺はよくトイレに行ってケンジを待たすことがある。そんなときケンジは必ず、遅いじゃねぇかよ、タケシ! 毎度のようにそう言うんだ。その後俺たちは少しの会話をしたんだろうが、名前を呼び合うことはなかったはずだと感じている。

 ケンジはやっぱり憎たらしい。入学式の帰り、ナオミと会話をしているそうなんだ。ナオミは体育館でのすれ違い様に、おはよう! なんてケンジから言われたそうなんだ。えっ・・・・ なんて固まっているナオミに、野球場の子でしょ? 久し振りじゃん! なんて言ったそうだ。あいつらしいというか、すけべな奴なんだよ。可愛い子の顔は決して忘れない。

 私がじっと見つめていたから、気がついてくれたんだ。ナオミはそう言った。ケンジは記憶がいいから、じっと見ている可愛い子を思い出すことができたんだ。残念ながら俺は、それほどすけべじゃないからな。どんなに可愛い子の記憶でも、三日も経てば忘れてしまう。けれど、どんな相手だとしても、一瞬しか見かけていなくても、惚れた相手の顔は一生忘れない。

 ナオミはその日から、毎日チャンスをうかがっていた。けれどケンジの側には俺がいることが多い。それで俺に声をかけたってわけだ。勘違いをしながらな。


 いじめを受けていた彼女に、ナオミはその想いの全てを伝えてはいたんだが、なんせ情報が曖昧で、彼女はナオミが想いを寄せる相手を一時、俺と勘違いしていたようだ。まぁ、それも無理がないんだ。ナオミはさ、幼い頃からの教育のおかげなのか、頭がいいからな。入学自体は実力で果たしたんだが、彼女と同じクラスになったのは偶然なんかじゃない。俺と同じクラスになったのは偶然なんだがな。ナオミは常にケンジに熱視線だったが、その隣には俺がいる。まぁ、勘違いをしても当然だよな。しかも前々から聞かされていた名前と同じなのは俺の方だしな。

 ナオミはケンジと同じクラスになりたいとは、お願いをしなかった。というか、例えその願いを聞いていたとしても学校側にそんなことを伝えるはずもないだろ? 親にだって、その名前は伝えていなかったんだ。

 彼女の裏切りがどうとかっていうナオミの言い分は、俺には理解ができない。けれど、一応はお互いに謝り、ケリがついたようなんだよ。冬休み中の出来事だった。クリスマスパーティーの後、彼女はナオミに会いに行き、二人で話し合った結果だそうだ。

 けれどその後、予想外のことが起きたんだよ。まぁ、俺からいわせれば、どうしてそれまで騙せていたのかって方が不思議だけどな。彼女がこの高校に通っていたことが、彼女の親にバレたんだよ。

 彼女の親はそりゃ怒っていたよ。その理由を問い詰めても、彼女は答えないんだが、検討はつくよな。彼女の父親は、ナオミの父親の会社で働いている。しかも、優秀な直属の部下としてな。

 本当に優秀な人間っていうのは違うよ。上辺だけで気に入られている人間なら、きっと娘に我慢をさせるだろう。仕方がないと、そのままなにも知らなかったことにしていたはずだ。けれど彼女の父親は、しっかりとナオミの父親に楯突いた。そして彼女は、お嬢様学校に転入することになった。

 彼女の本音としては、転入なんてしたくはない。この学校にはヨシオがいるんだしな。けれど、親を騙した償いはしなくてはならない。俺は思うんだけど、彼女の両親ならきっと、本心を伝えたら納得してくれたはずなんだ。余計なことって俺は思うんだが、そういう場面に限ってナオミは嘘を言えないんだ。私が全部悪いんです。そう言った。それで全ては解決してしまったんだ。彼女はその本音を言えなかったんだよ。


 話を聞き終えて、俺はどうすればいいのだろうかと思ったが、答えは簡単なんだよな。どうすることも出来ない。流れに身を任せるだけだ。

 それで彼女へのいじめは終わりか? ちゃんと謝ったのか? っていうか、説明したのかよ!

 俺は少し、怒っていた。彼女が転校するってことは仕方がなくとも、いじめはまだ終わっていないんだ。クラスの奴らはきっと、外で彼女と会えばいじめを続けるんだ。それはきっと、大人になっても続いていく。そんなこともあっただなんていういう思い出に変換をしてな。俺はそれが許せない。

 あの子には謝ったわよ。それじゃあ足りない? いじめをしていたのは私じゃないんだからね。

 けれど、そう仕向けたのはナオミだろ? 今からなら間に合うだろ? 彼女の元に謝りに行かせるか、お前があいつらに謝るんだよ。それくらい出来るだろ?

 うるさいわね・・・・ なんてナオミは言っていたが、なにかを真剣に考えている様子だった。その後ナオミがどうしたのかは聞いていないが、きっと上手くやったことだろうと俺は感じている。ナオミと彼女が楽しく話している姿を、俺は目撃しているからな。

 それでもう一つ聞きたいんだけど、俺たちが文化祭に出るのを止めたのって、ナオミなのか?

 まぁ、そのことはどうでもよかったんだが、気にはなるよな。

 だって、仕方ないじゃない! ケンジ君は私のこと好きだよって言いながら、他の子に夢中になっていたんだから! 許せると思う?

 それでナオミは俺たちが文化祭に出れるかもって話を耳にし、職員室に直行したんだが、ケンジに告白したのはその日の少し前だったそうだ。泣きながら歩いていたんだろうな。目を真っ赤に腫らして。しかも口を真一文字に結んでな。ナオミには、そんな表情がよく似合う。

 ケンジが好きって言った意味は分かっているんだろ? 振られた腹いせにしては、酷いよな。ケンジだけじゃなく、俺や他のみんなにも迷惑をかけてるんだぞ! ひょっとしてだけど、ライヴハウスに出られないのもお前のせいなのか?

 最後のセリフは、冗談として取ってつけたんだが、ナオミは大きく動揺していた。・・・・だって、仕方がないじゃない。震える瞳でそう言った。

 なんだよ、それ? 俺はそう言った。そしてそのときちょうど、終業のベルが鳴り、俺はその場を後にした。


 ヨシオの元に、ナオミが声をかけにやってきた。俺はその場にいなかったんだが、手紙を渡されたそうだ。あの子の連絡先書いたから、後はご自由に。そう言ったらしいよ。

 ヨシオはすぐに電話をした。そして会う約束をする。俺はデリカシーがないから、無理を言ってついて行ったんだ。

 彼女は元気そうだったよ。ヨシオの顔を見て、笑顔を浮かべた。けれど、背後に立つ俺を見つけると、その顔をしかめた。

 戻っては来られないのか? 俺がそう聞く。うん・・・・ 彼女は俯いた。自分で決めたことなのか? 後悔はしていないのか? 俺がなにを言っても、うん・・・・ それしか反応がなかった。

 まぁいいか。俺はさ、一言謝りたかったんだ。ちゃんと気づけなくってごめんな。どんな決断をしても構わないけど、俺たちはずっと友達だからな。

 俺がそう言うと、彼女は顔を上げて笑顔を見せた。うん・・・・ その日の彼女は、それしか喋らなかった。俺に向かってはな。

 馬鹿だ馬鹿だと言われている俺だけど、少しくらいは気がきくんだ。それじゃあ俺はお先に帰るからと彼女に向かって言い、ヨシオの肩を叩いてその場を去って行ったんだ。まぁ、俺としては最高の対応だったと思っている。

 彼女は結局、転校していった。まぁ、親を騙して通っていたんだ。悪いのは彼女だよな。ナオミが強要したといっても、断ることは可能だし、親に相談すればよかっただけのことだ。それをしなかった理由は、ナオミは分からないといったが、彼女はヨシオに伝えていた。

 彼女はナオミにいくつもの借りがあったそうなんだ。親同士の関係なんて、全く関係ないという。彼女の父親は、そんなに弱くはないと、彼女にも分かっていた。半ば無理矢理にこの高校に入学していたと思い、娘を元の学校に転入させるため、大いにナオミの父親の力を利用したそうだからな。

 幼稚園の頃から、彼女はナオミが守っていたんだ。女同士の友情というか、姉妹のような関係だったのかも知れない。とにかく必至にお願いされ、断るなんてことはできなかったんだ。ナオミのためなら、それもいいかなって思ったそうだよ。それに加えて、公立の高校にも少しばかり興味があったそうだからな。

 親に逆らっていたことだけはずっと後悔していた。そして、バレてしまったからには戻らなければならない。その思いが強かったってわけだ。

 彼女は今、ヨシオの恋人未満友達以上ってな関係なんだよ。ケイコの家の地下室にはよく顔を出しているし、お互いの気持ちは俺たちにさえ透けて見えている。まぁ、あの二人はあれでいいんだろうな。とても楽しそうだから。それが一番だよ。

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