△2七反車《へんしゃ》

「……稲賀イナガフウカ。よろしくぅ」


 髪についた雫を軽く払ってから、その水着流麗美少女、フウカさんは妖艶な笑みを浮かべたまま、手を差し出してくる。


 え? 握手? いやぁ~若い女子に触れるのはこれ何年ぶりの事かいね~、と気持ち悪い笑顔にならないように気を付けながら、その華奢な掌を握り返そうとする僕。


「!!」


 しかし次の瞬間、僕の右手首は掴まれて、反時計回りにぎりりと回されていた。き、極められている……にやにやとした笑いに変わっていたフウカさんは、そのまま僕の右腕を背中に回すと、あっさり僕の背後を取ったわけで。


「格闘はまだまだってとこやなぁ。がんばらんとなぁ。仮にも『獅子』を名乗る以上、飛ぶ道具なんかに頼んのはちょっとって感じやし」


 ぐいぐいと僕の右腕に負荷を掛けてくるフウカさん。上腕二頭筋/三頭筋の内部に鋭い痛みが駆け上がってくるものの、首筋にはローズヒップのような甘い香りの吐息が吹きかけられ、背中には、脊椎を挟むかのようにッ、何か熱を帯びた二つの柔らかい感触も知覚されているわけで、まずいッ、衆目に僕の脈動が伝わってしまうッ!


「……でも、筋肉は一流。無駄なく、しなやかやん。見せるための筋肉と違て、ちゃんと骨に寄り添って、滑らかに付いてる。ミロカとか、こんなん見せられたら、たまらんのとちゃう?」


 フウカさんの声が悪戯っぽい響きを帯びた。な、何ィッ? と右腕を極められたままの姿勢から首だけを起こして、正面で立ち尽くしているもうひとりの美麗な少女の方を向く。


「……!!」


 と、先ほどの無表情から一変、「ギプス」という名のバネの束から垣間見える僕の右大胸筋辺りに、まじまじとやけに熱い視線を送っていた、その大きく艶やかな瞳と目が合ってしまう。


 まさか右腕を後ろ手に極められていることによって図らずも強調されていた、僕の右乳頭付近をロックオンしていたとでも!?


 学習能力がホモサピエンスの一コ手前と言われている僕は、懲りずに白い歯を剥き出してそれに応える。ミロカさんはしかし、また御褒美の氷の視線を投げつけてくれるかと思いきや、さっと顔を赤らめ、僕を指さし、こうのたまうのであった。


「ば、バッカじゃないのっ!! こんなのエセなんだからっ!! ジュン様に比べたら、このうすら『と金』なんて、なんて……なにその『バネ』!? 頭おかしいの!? あちこち肉挟みまくりじゃあないのよっ!!」


 父さん、今日僕は、地下異世界にて希少種ツンデレに遭遇しました……そしてそのツンは他ならぬ僕に向けられているわけで……父さん、父さんが得ようとして得られなかったモノを僕は、この僕がッ、手に入れようとしているわけで……


「!!」


 思考が遥か高みまで飛びかけた、その時だった。


 <新宿御苑南東『下の池』付近に、『イド』出現の兆しあり。目標は92%の確度で『ホリゴマンダー』と見られます……お手すきのレンジャー隊は現場に急行してください>


 耳に障る警告音の後に、やや緊迫感の無い女性のアナウンスが流れる。まさか……敵かっ!? 僕に掛けられていた関節技が、すっと解かれるのを感じる。


「ミロカくん、フウカくんっ」


 険しい顔つきに変わった嘉敷博士がそう呼ぶ前に、二人の少女たちは行動を開始していた。


「……最近多ない? 何か、いぃやな予感するわぁ」


「どの道、潰すのみ。『と金』っ、あんたも来るのよ」


 ざっ、と揃いのジャンパーのような上着を羽織ると、フウカさんもミロカさんも引き締まった表情になって準備に動き出す。でも、僕も行くっていうのは? 見学?


「……ちょうどいい実戦演習だ、鵜飼ウガイくん。敵はそれほど大した奴じゃあない。『レッド獅子』の初陣……見事飾ってみせてくれたまへ!!」


 高らかにそう言うけど、右も左も分かってないのに? 僕はしばしの真顔で何とか状況を飲み下そうとあれこれ努力するけど、無謀じゃない、それ?


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