△1二香


「少年」


 いきなり背後からかかる、しゃがれた低い声。ベンチの後ろからだ。僕を……僕の事を呼んだのだろうか。


「……」


 雑草混じりの、芽吹き前のまばらな芝生の上で、後ろ手に組んだ姿勢でこちらを睥睨していたのは、真っ白な髪をうねりにうねらせた、結構年いってるだろうけど、頑強そうな体つきで背も僕より高い、背筋のぴんと張ったひとりの老人? であった。


 やけに糊の効いてそうな真っサラな白衣を着こんでいるけど、これを外出着として選択しているのなら、うん、どうなんだろうといった感じだ。


 顔色は日焼けなのか酒灼けなのか、色素が淀んだかのような褐色で、これだけでもう正体は不明と言わざるを得ないのだけれど。


「まさかこんな所に、これほどの逸材がいるとは、思わなんだ」


 第一声から、こちらの警戒レベルをぐんぐん上げてくる物言いだ。だがそれだけに留まらなかった。


「……選ばれし者、我らと共に、戦ってはくれぬだろうか」


 ああー、春だもんね仕方ないかー、と、関わり合ってはいけないと自らの大脳が指令を即座に出してきたため、完全無視の体で今度こそ走り出そうとすると、


「君は……将棋から、愛されていない側の人間ではないかね?」


 その老人のぽつりと放った言葉は、意外な鋭さを持って、僕の背中から僕の心の核のようなものを突っついて来た。何だって……言うんだ。思わず立ち止まってしまう。


 いろいろな事が頭の中に去来していた。それらを振り払うように振り返る。


「……確かに愛されてもいないし、愛してもいませんね。いけませんか? 将棋が、将棋がなんぼのもんだっていうんです? おかげさまでの、高三で『七級』足踏みの逸材ですよ? 僕は、徹底的にダメなんです。将棋というものが、そしてそれに振り回されているようなこの社会が、まったくもって理解できないダメな落伍者なんです」


 初対面の相手に、いきなり胸の内を吐き出してしまった。これも春だからだろうか。でもどこか、すっとしたような感覚。後で厳重通告もんの発言だったかも知れないけど。


「ダメ、ダメ、ダメ、いいではないかね」


 と、その老人は、いやにギラついた目をこちらに向けてくる。血走った、しかしどことなく喜悦に震えているかのような……正気かそうでないかは、残念ながら判定できないが。要は尋常ではない、とそれだけは断言できる。と、


「将棋に病的なほどに魅入られし人々を、そしてその世界を、ひっくり返す。大いなる災厄に立ち向かい、人々を清浄で正常な世界へ導く、それこそが、我らが『ダイショウギレンジャー』」


 ささくれだった褐色の指を、僕に突きつけながら放った言葉が、全ての始まりだった。


 僕と、烏合の将棋戦士たちの、壮絶な戦いの幕開けだったのであった。


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