空の色

星 霄華

序章

「この都には、空がないのよ」


 とある国の王都の、閑静な住宅地の一軒家の窓辺から彼女は空を見上げ、ぽつりと言った。

 明け放した窓から吹き込んだ風が、彼女の長く美しい黒髪を揺らす。あるいは、彼女の言葉を肯定していたのかもしれない。風は人間よりも空に近いのだから。


「だから私、もう一度本当の空を見てみたいの」

「……君ならできるよ。君は優秀な魔女なんだから」


 彼は彼女を見つめ、様々な感情がない交ぜになった顔でそう言った。

 何故なら、彼女に行ってほしくないのだ。彼にとって空なんてどうでもいいことだった。彼は彼女を何よりも深く愛していた。彼女がそばにいさえすればそこは天上の国となるのだから、空がどうなっていようと知ったことではない。

 けれど、本当の空を彼女は望んでやまない。彼女は常々、この都を窮屈だと言い、空がないと嘆くほど空を愛していた。いや、正確には自然を愛していた。それは、自然豊かな大地で生まれ育った彼女からすれば当然のこと。おかしくなってしまった空を何とかしたいと願うのも、ごく自然な思考と感情の帰結といえる。


 そうとわかっていても、やはり行かないでくれという彼の心の声は止まない。空なんてどうでもいい、そんなに本当の空を見たいのなら君の故郷へ行こう――――行かないでくれ。彼女に繰り返した言葉が彼の心の中で、今も再生される。

 彼女の決心は固く、幾度となく交わしたやりとりの末、彼は彼女の意志を尊重するしかなかった。けれど納得なんてできない。こうして彼女の旅立ちを見送るときになってもまだ、引き止めたい気持ちは薄れることがない。彼はそれが苦しくてならなかった。


 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか空を見上げ続けていた彼女は、やっと隣にいる彼に視線を合わせた。


「じゃあ、行ってくるね」

「ああ、いってらっしゃい。……必ず帰ってくるんだよ」

「ええ、もちろん。必ず貴方のもとへ帰るわ」


 言って、彼女は自分を抱きしめる彼の唇に自分のそれを寄せた。

 愛しあう夫婦のしばしの別れを、鈍色の空が見下ろしていた。

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