『理想宮』(3)

 男は夢を見ていた。それはいままで何度も夢に見てきた光景だった。だからその夢を見る時は、それが夢でしかないと自覚できてしまうのだ。男は幻想の少女と話した。その夢は、娘の最期を再現するものだった。

 エマは生まれつき体が弱く、それ故に父の読み聞かせを楽しみにしていた。自分で外界を見て回ることができないからだ。彼女は本を読むのも好きだったが、大好きな父をそばに感じながら、一緒に物語の世界に没入することがなによりの幸せだった。

 訪問診療をしてくれる馴染みの医者の表情が一層厳しくなっていたせいか、今夜が峠になるという知らせを聞くよりも先に男は娘がもう死ぬのだと察した。

 そんな時だからこそ、男はいつも通り読み聞かせをすることにした。娘がこの世を去る時には、せめて二人で幸せを享受したあの宮殿の世界に包まれていて欲しいと思った。

 娘の額の汗を拭ったとき、男は娘の体温がいつもより圧倒的に低いことを知る。もはや病気に抵抗する力が彼女の体にはないようだった。彼女の喘鳴を耳にしながら、男はいつも通りに宮殿にいることを彼女にイメージさせようとした。

「エマ、ほら、見えるかい。君の大好きな召使いの悪魔が、君が勇敢に病気と戦っていることを褒めそやしているよ。召使いの天使も君を誇りに思うと言っている。さあ、宮殿の奥の寝室で休もうじゃないか。エマが大好きな天蓋付きのふかふかのベッドだ。天使がいつだってピカピカに保っていてくれている。いつだってお日様の香りがするね。さあ、エマ、ベッドに転がって、いつもみたいに読み聞かせをしようじゃないか」

 いつもなら、相槌が打てずとも、彼女は男のほうに視線だけでも向けた。そして二人は幻想の宮殿にいる気持ちで読み聞かせを始めるのだ。

 しかし、さすがに今日の娘は目蓋を開ける力すらないようで、なんの反応も見せなかった。さらに男は気付く。いつの間にか喘鳴が消えている。

 眠ってしまったのだろうか。

 いや。違う。

 男は娘に手を伸ばそうとしたが、まるで自分が石像になったような感覚に襲われる。動けない。動きたくない。触れたくない。確認したくなかった。

 その代わり、男は声を振り絞って娘に話しかける。

「エマ、君はどこにいるんだい? 宮殿のどこにいる? 私はどこに行けば君に会えるんだい? エマ」

 しかし娘は答えなかった。

 後ろで控えていた町医者がベッドのそばに立ち、彼の娘がすでに息を引き取っていることを確認した。

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