『地下へのエレベーター』(2)

 まだエレベーターは下っている。

 いったいどこまで地下に行こうとしているのだろうか。

「……あれ?」

 いったい僕はなにをしに地下へ行こうとしていたのだろう。

 思い出せなかった。

 ――チカチカチカ。

 エレベーターのライトが明滅し始めた。

「なんだ!?」

 締め切られた鉄のカゴの中、僕は半狂乱になりかける。

「おいおい、しっかりしてくれよ。こんなところに閉じ込められるのは嫌だぞ」

 点滅はどんどん速くなっていく。

 ――プツッ。

 電気が消えた。

 地下一階を示すボタンだけが光っている。

 まだエレベーターは下っている。重力の感覚でそれがわかる。

 どういうことだ? いったいどこに落ちてるんだ?

「クソっ!」

 僕は怒鳴りながら地下一階のボタンを連打する。

 いまさら気付いた。僕はいままで地下一階に行ったことなんてない。それにそもそも、このマンションを下見した時に、地階が無いことを確認していた。

 それなら僕はいったいどこに向かっている?

 どういうことだ。なにが起きている?

 僕はボタンを連打する。

 ――ガタガタガタガタ!

 しかし地下一階を示すボタンは消えない。取り消せない。

 僕が動きを止めると、うるさいぐらいの静けさがカゴの空間を支配していた。それでも、体がどんどん落ちていっていることだけはわかった。

「…………」

 ふと、気付いた。

 背後でなにかの気配がする。

 誰かが、いる。

「ああ……」

 思わず呻き声を上げる。僕は気付いてしまった。

 一階にいた女は、僕が示した先に老婆がいないことに怯えたんじゃない。僕が見えない老婆をエスコートしたことに怯えたんじゃない。

 たとえばの話だ。たとえば、僕が示した先に老婆がいて、そして僕がそのことに気付いていなくて、存在しないはずの地階に行くと僕が言って、見えない老婆をエスコートした僕の背後で老婆が気味悪く笑っていたのを、彼女は見たんじゃないのか? だから、最後に僕を引き留めようとしたんじゃないのか?

 今となっては確かめようがない。

 たとえばの話だけど、そう考えた方が合理的だった。僕は自分の合理主義を呪う。いくら信じたくなくても、合理的だと思える理屈があれば、僕はそこにリアリティを感じてしまう。

 エレベーターはまだ下っている。

 そして、僕はさらに気付く。

 神隠しの噂は矛盾していない。老婆に魅入られて人間が消えるとして、どうやって消えた人間がそれを伝承するのだという問題だが、そもそも僕が伝承する必要はないのだ。さっきの彼女が、僕の最期を見ている。老婆に魅入られた僕を、彼女が確認している。

「…………」

 なぜだか息苦しい。自分が末期の患者みたいにヒューヒューと喘鳴しているのがわかる。

 僕は知っている。これは振り返ったら終わりだ。絶対に振り返っちゃダメなんだ。神話とかでよくある、「見るなのタブー」ってやつだ。振り返ったら終わりだ。わかってる。

 だけどエレベーターが止まらない。

 エレベーターは下り続けている。

 振り返るな。ダメだ。振り返ったら終わる。

 わかってる。僕はわかってる。

「…………」

 だけど止まらない。エレベーターが止まらない。

 いったい、いつまで耐えればいい?

 振り返っちゃダメだ。わかってる。僕はそれをわかってる。

 だけど。

 だけど、エレベーターが止まらないのだ。

 僕は――。

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