『ママが生まれる』(2)

 ほとんどの人は二十歳を基本の原点とする。

 二十歳以前まで若返ろうとすると、税率が格段に違うのだ。それに、二十歳未満の年齢まで若返ってしまうと、相続税がかかるのだ。今までちまちま貯めてきた財産を、宇宙政府が引ったくっていくのだ。ほとんどの人間が二十歳より前に若返る理由などない。政府的にも、労働人口が一時的に縮小するのは好ましくないのだろう。そんなの好きにさせたらいいと僕は思うのだが。

 しかし、僕のママは今回、二十歳という基本の年齢を大きく越えて、零歳までタイムマシンで遡ることにした。

 その理由を説明するには、僕の出自について語る必要があるだろう。

 僕はパパが誰なのか知らない。ママも当時知ろうとしなかったし、僕にしてもすでにどうでもよくなっている。ここは誰も死なない世界なのだ。きっとこの世界のどこかにいるのだろうけど、だからといって探すつもりもない。全データを管理する宇宙政府にまで出向いていけば、おそらく遺伝子などから父親を割り出してくれるだろうが、そんなことはしたくなかった。僕もママも、できるなら僕らの知らないところでひっそり死んでいてくれることを願っていたから。ただ、死んでいたところで生きていたところで嫌な気分になるだろうから、僕らはその箱を開けない状態で宇宙に流したような気持ちでいた。

 ママは、僕を授かったことは人生で一番の幸運だと話していると同時に、僕を授かったきっかけ自体は彼女の人生で一番の不幸だと語っていた。

 かねてからやり直したいとは言っていた。

 そしてママはお金も貯めることができたらしかった。今度生まれる自分に財産を相続して、かなりの税をかけられたあとにも、自分が最高の教育を受けて二十歳を迎えることができるだけの大金を。

 僕がお金を出すと言っても、ママは頷かなかった。自分に関することなのだから、自分でお金を出したいらしかった。たしかに、僕とママの間に金銭的な関係は無い。僕はとっくに彼女に僕の養育費を返した。親子という関係性は僕らの間に確実にあるし、二人ともそれを忘れることなどないが、現代では人はみな一人の個人として生きているという意識が強いのだ。

 僕は昔ふと考えたことがある。老いや病気を理由にして人に寄りかかることが現代では無いため、人に寄りかかるという行為が甘えの産物であるということが浮き彫りになったのだろう。

 ママが懸命に働くのを見てはお金なら出すのにと言ってきたのだが、彼女はいつも「人生は永遠なのだから、急ぐ必要はない」と返した。

 昨日、病院でママに会った時、彼女はこう言っていた。

「あなたを産んだ時の気持ちは永遠に忘れたくなかったけど、だけどあなたは私にいつでも会ってくれるし、私もいつだってあなたに会いにいける。それなら、あの日の記憶を引きずって生きていく必要もないわ」

 昨日のママはたぶんすでに高校生ぐらいの年齢に遡っていた。僕と実際に会うのを待ってくれていたのだ。太陽系まで戻ってくるのはかなり時間がかかったが、それでも絶対に母のそばにいたかった。

 病院の待合室にいた僕は、医者に呼ばれて小さなカートに入った赤ん坊を見せられた。

 僕は思わず涙を零していた。

 今の世界では赤ん坊なんて滅多に見かけない。ほとんどの人間は二十代から三十代なのだ。子供が新しく生まれることもない。税金の関係で、わざわざ生まれ直す人間も滅多にいない。そんなことをするメリットは無いからだ。だから僕は、赤ん坊について理解はしていたが、赤ん坊を目の前にして自分がどんな気持ちに襲われるかは考えたことすらなかった。

 なんて小さいんだろう。なんて小さな生命だろう。

 この尊き生物を守らなくてはいけないと、僕の全身が叫んでいた。

 僕はカートから赤ん坊を抱き上げて、ごく優しく声をかけた。

「はじめまして。ママ」

 赤ん坊はなにも知らずにすやすやと寝息を立てていた。

 今日、ママが生まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る