『ママが生まれる』

『ママが生まれる』(1)

 今日、ママが生まれる。

 僕はこの故郷の街を、百十二年ぶりに訪れたらしい。日記を確認するとそう書いてあったから、おそらくそれだけの年月が経過しているのだろう。

 太陽系に属する惑星、地球。人類の生誕の星。かつてアメリカ合衆国と呼ばれた大陸に、僕とママに縁のある街があった。二十歳までの記憶はあるから、正直、僕はあまり懐かしいという感覚はない。だって今は僕はそれぐらいの年齢なのだから。

 僕は左腕を持ち上げて、リストバンド状の腕時計を確認する。腕時計には幾つかの項目がある。まずは年月日が「2587年・8月・26日」と表示されており、ちょっと下の方に「26歳(481歳)」と表示されている。左は現在の体年齢で、右は通算年齢だ。

 旧人類は、今の僕たちを見たらひっくり返るぐらい驚くだろう。なぜ僕たちがこんなことになっているのかについては、今から四百年以上も前に遡る。

「タイムマシン」が完成したのである。

 しかしタイムマシンと言うと語弊があるらしい。タイムマシン成立以前の記憶を保持してる人が言うには、タイムマシンとは本来は時間を行き来する装置を指しているとのことだった。そんな魔法みたいな装置にそんな名称がついていたのはちょっと面白いが、だからそれは今のように薬品を示す言葉ではなかったとのことだった。

 タイムマシンとは、とある薬品の製品名だ。

 簡単に言えば若返りの薬。

 「もしもあの時こうしてれば」につける薬は依然として存在しないが、「あの日に戻りたい」という願いはこの薬がすべて解決できる。経験したはずの病気も記憶も老化もすべてなかったことになる。

 もちろん、タイムマシンという薬品にも代償はある。とはいってもそれは単純なものだ。一度でもその薬品を服用すると、子供をつくれなくなるのだ。射精しないし、排卵もしない。ただし、それ以外にサイドエフェクトはなかった。今や全人類が服用する薬品だが、およそ五百年たったところでそれ以外のサイドエフェクトは確認できていないのだからおそらく存在しないのだろう。

 当初は順調とは行かなかった。僕もその時代を経験してはいるが、それも途中でぶつ切れになっている。僕はタイムマシンによって若返ってしまったため、タイムマシンという薬品に反対していた人たちがどのように沈静化されたのかという記憶を僕は失っていた。まあ、若返った僕が予想していたのは、彼らが沈静化されたという結末だったのだが、どうやら違ったようだ。

 それはモータルと呼ばれる新興宗教だった。まあなんだか色々言っていた。若返えることによって定められた命を捻じ曲げるのは悪魔の所業である云々。死から逃れ続けることは罪そのものである云々。結局のところ簡単な話なのだが、彼らはタイムマシンを飲まないから若返らないし、そりゃ老化を続けてなにかしらの原因で死んでいったわけだ。タイムマシンという薬品の反対勢力は、残念ながら反対し続けることはできないのだ。なぜなら、タイムマシンという薬品に反対してるから若返ることはできないが、タイムマシン肯定派は若返り続けるのだから。議論は長期戦になればなるほど、タイムマシン肯定派が勝利への階段に足を進めることを意味した。

 人類の人口はほとんど固定化されていった。今では多数の惑星に広く分布しているが、毎年発表される全宇宙人口はごくごく僅かな減少を辿っている。毎年百に満たない彼らの死因はほとんどが天災や人災や災難だ。だから、医療の分野はやや縮小され、代わりに天災や人災を防ぐ分野に人材が集中しだしている。

 しかし人々の生活はそんなに変わらない。技術は日々進歩を遂げるが、皆、自分がどのように生活を楽しむかということに終始している。

 ほとんどの人が多かれ少なかれ日記を記しているのは、昔と少し違うかもしれない。死は遠くなり、今現在の生もいずれ手放す代物でしかない。記憶を失うことにはなるが、タイムマシンによって新たな人生を得るのだ。

 ちょうどママが僕を産んだあたりでタイムマシンが広く知れ渡り始めたから、僕のママは今はオールドと呼ばれる人で、僕らのように生まれた時からタイムマシンがあった世代はニューと呼ばれている。ニューは圧倒的に母数が少ないが、わざわざそんな通称が出来上がっていることを考えてもわかる通り、ニューとオールドの間で面白い違いが多数見られるのだ。

 特にセックスに関して二者の思考の違いがかなりわかりやすい。タイムマシン以前、オールド、ニューと、それぞれ認識がかなり違うようだ。

 僕はタイムマシン成立以降の生まれだから、その昔の風習を体感してはいない。僕が成人するか否かのあたりから、すでにセックスはバスタイムや食事と同じようなものだった。お互いに好意を持っている人間が、お互いの肉体を悦ばせ合うというだけのこと。ただそれだけのことだった。

 興味深いことに、かつては避妊という概念があったそうだ。男は射精するし、女は排卵する。ホルモンについても、タイムマシン使用後はずいぶん変化が見られるそうだ。学者じゃないから僕はよくわからないが、どうも男と女の境目がかなり薄くなっているとか。

 歴史を勉強する時はちょっと苦労した。各地の文化を見ていくと、女に生理というものが存在していたことによって成り立ったと思われる文化がかなりの数あるからだ。

 かつては女に生まれるだけで、毎月血は出るは痛いわという状況だったらしく、さらにはそれが何千年も当たり前だったというのだから本当に頭が下がる。

 僕らニューからすると、男と女の違いなんて凸か凹かという違いでしかない。顔つきや体つきも違うが、それらは趣味の範囲だ。重要なのは人格でしかない。男だから好きになれるとか女だから好きになれるとか、そういった感覚からして理解不能だった。

 かつての時代が微妙に記憶に残っている人たちは、とにかくセックスするなら性別は異なる必要があるし、誰とでもするものではないと主張する。混み合ってる酒場でそういった主張を誰かがしていると、かなり面白い現象が起きる。目を細めて胡散臭そうにするのがニューで、その主張に乗っからないまでもそれが妥当だろうという顔をしているのがオールドだ。

 以前オールドの人と口論になって面白かったことがある。彼女は「それじゃあ、友達とご飯を食べに行くのと同じような感覚で、それが男でも女でもセックスできるって言うの?」と言ったから、僕と友達が「その通りですよ」と同時に答えた。あの時の彼女の顔といったら傑作だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る