『風の支配人』(2)
さて強盗の決行日になると、渦中の男は自室でいつもどおりくつろいでいた。男の部屋には百貨店の監視室のようにモニターが数十台並んでいる。そして、取り付けたモニターの一つが強盗たちを映し出していた。
それを見た老人は安心する。
「やっと来たか。賭けはまず一勝と」
老人は五人組の強盗をモニターで追う。しばらくすると強盗たちは罠にかかり、牢に閉じ込められてしまった。そう手の込んだセキュリティシステムではないが、誰かを閉じ込めることには長けた造りだった。
老人は重い腰を持ち上げて、牢に向かう。牢屋の中から目だし帽を被った男たちが恨めしげな目を老人に向けた。
「おい、これはいったいどういうことだ、じいさん」
「やあ、強盗諸君。来てくれてありがとう。お宝を頂戴しようとしたみたいだね」
男たちは答えなかった。目出し帽から覗くのは反抗的な目のみ。
「すまないね。残念ながら、君たちはこれからちゃんとした刑務所に突っ込まれることになるよ。……もちろん、もしもワシがこのまま通報すれば、の話だが」
老人の思わせぶりな言葉に、男たちは顔を見合わせる。
「見逃してもらえるのか?」
老人は意地悪げな笑顔を見せた。
「将来のある若者だ。見逃すのはやぶさかじゃないよ。もちろん、ただでとはいかないがね。どうだい、私の出す条件を呑んでくれるかい?」
強盗たちは視線を交わしたが、それ以外に道はないと全員が理解していた。その様子を見て、老人は満足気に頷いた。
「まずはそれぞれ帽子を脱いでもらおう。名前と年齢を教えてくれ。そして反社会的勢力に属しているなら所属を素直にね。確認が取れなかった場合は、その時点で通報に踏み切るからそのつもりで。ちなみに、私を殺そうとするのも、まあ一つの手段だろうが、それはそれで全員を通報する段取りができてるから、賢いとは言えないな」
強盗たちは焦れていた。老人がなにを対価としようとしているのかを、彼らはまだ聞けていなかった。
「で? じいさんはなにが望みなんだ?」
「君らのこれからの稼ぎを貰おう。月々君たちの稼ぎの一パーセントをワシにくれればいい。月二十万しか稼げてないなら、たったの二千円だ。年金やら国保より良心的だろ?」
強盗たちは顔を見合わせる。思ったよりハードルの低い要求だった。
条件を呑んだ男たちは老人から今後について念入りな幾つかの忠告を受けて邸宅をあとにした。
たしかに、老人は群衆の憶測通り平穏無事に生活を続けていた。しかし、この邸宅のどこを探しても肝心の骨董品や絵画などはどこにもない。
端的に言えば、老人の話は大部分が嘘だった。当選金額を美術品に費やしてなんかいないし、当然ながら宝を守るための設備も造ってない。
当選した金額のほんの一握りは、たとえば信頼の価値ある友人や家族に、もしくは門扉の赤いライトと鍵に、あるいは、ありもしない宝の山を探しに入りこんだ暢気な盗人のための監視カメラと彼らを捕らえる罠と牢屋に捧げられた。
自分の邸宅に色んな車を出入りさせたのも、ほとんどはフェイクだ。実際に罠や牢屋を担当する業者もいたが、ほとんどはここでなにをするのか知らないしわかりもしないだろう。
老人は当選金額の大部分を資産運用に回している。今まで通っていた賭博場に老人はもはや通っていない。
ここ最近出歩いているのは、ほとんどが娯楽のためだ。散歩をしては美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見るのに時間と金を毎日費やしていた。貯金もあるし、年金もあるし、資産運用による儲けもあるし、それになにより、ギャンブルの楽しみもある。
宝くじに当選した際、老人は新しいギャンブルを思いついていたのだ。
それは、宝物があると風の噂を聞いた間抜けな強盗が家に来るかどうかの賭け。
罠に引っかかってくれれば、開放を条件に彼らから今後の儲けを掠め取れる。そもそも宝などどこにもないのだから、仮にトラップにかからないで逃げられてもたいして痛手ではない。家を隅々まで調べたところで宝は見つからないが、「きっとどこかに隠してあるのだろう」と強盗は考えるに違いなかった。逃げられても捕らえられても、宝物が本当は存在しないことに気付く者はいない。不在の証明は悪魔の証明であり、証明不可能なのである。
この賭博場において胴元は老人であり、盗人たちは当たるはずのないギャンブルに人生そのものを賭けているのだ。
老人は今日も自室で、なにを開くこともできない鍵を弄んでいる。その鍵はセキュリティシステムに繋がっているわけでもなく、ただただ、門扉の赤いランプのオンオフを切り替えることしかできない。
人の興味は尽きない。人は見聞きしたことを、喋らずにはいられない。それら習性は、自分が負けを前提に賭け事を楽しむことと似ていると老人は昔から思っていた。
思わぬ幸運に恵まれた老人は思いついたのだ。己が風の支配人となり、街の者には文無しと思わせ、盗人には狙い所と思わせる方法を。
順風満帆。すべては彼の思う壺だった。
老人は小さく呟く。
「どこにもないお宝を盗みに誰かが来てくれれば、残高は増える一方だ」
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