『風の支配人』

『風の支配人』(1)

 ある男の邸宅に、このところ多くの者が出入りしていた。大きな門を通り過ぎる車にこれといった統一性はない。トラックもあれば普通の自家用車もあった。

 田舎町では噂話が皆の好物だから、その謎に殆どの者が食いついた。特に悪い噂ともなれば疾風のごとく千里を駆ける。老人がギャンブル狂いであることを、知らぬ者はいなかった。

 そして現状は、ギャンブル中毒の老人の邸宅に、頻繁な車の出入りがあるという状況だ。周囲の人々は想像を巡らせたが、まださすがになにも思い浮かばなかった。

 しびれを切らしたある者が、家主を捕まえて尋ねた。老人は勿体つけながらもこう答えた。

「世話になった友人を招いてる」

 怪しいものだと皆は思った。

 誰も本人の目の前で口にしたことはなかったが、退職後はギャンブル中毒になったろくでなしというのが街の人間の彼に対する共通見解だった。友人を招いてもてなすような殊勝なタイプにはとても見えなかった。

 仕事では優秀な人物だったともっぱらの噂だったが、今の体たらくを見るとそれも話半分に考えたほうがいいようにも思える。彼の息子夫婦が老人のギャンブル依存をどうにか辞めさせようとするのを見ると、誰しもが息子夫婦に同情気味になった。

 彼が世話になった友人を招いてると聞いて、皆が思い当たったのは金の無心ぐらいだった。自分がそれに呼ばれないとなると、むしろ皆ホッと胸をなでおろしたのであった。

 もちろん妙な話だとは誰もが思った。金の無心をするためにわざわざ人を呼びつけるとは、厚顔がすぎるのではないかと。

 数日後、男の家の門扉に妙な鍵穴が取り付けられているのを買い物帰りの主婦が目撃した。鍵穴の上にはライトが取り付けられており、陽が落ちてからは赤いライトが闇夜を必死に切り裂いていた。帰宅した老人が鍵を回してやっとライトは消える。

 噂は田舎を素早く駆ける。

 さすがに周囲の人間もこれは妙だと思い始めた。しかし誰が問い詰めても、男は一向に口を割らない。

 毎日欠かさずギャンブルに出歩く老人を捕まえた一人にしつこく問われて、やっと気だるげに話し出したことはというと、巨大にして至極繊細なセキュリティシステムの一部があの赤灯であるという説明であった。

 そうではない。

 人々が聞きたいのはそういうことではなかった。

 なぜセキュリティが必要になったのか。疑問はその一点に尽きる。

 街の人々は愚かではない。誰しも類推する力を一定まで持っている。ギャンブル狂いの老人が、突然自宅にセキュリティシステムを構築したという情報は、明らかになにかの事実を示しているように思えた。まさに隠すより現るといった状況だった。

 なかば予想はついた。ギャンブルに失敗するのは難しいことではないが、毎日賭け事をしているのだから、成功するのも難しいことではないだろう。

 ただ、街の人々が気になっていたのは、その程度だ。セキュリティシステムを自宅の警備として構築するほどの成功である。どれほどの当たりを彼は引いたのだろうか。

 しつこく問い詰めると、彼の息子の口を割ることに成功した。

「父さん、宝くじに当たったんだ」

 彼が手に入れたらしいのは、もっとも有名なくじのもっとも高額な当選金額だった。

 人々は謎が解消してすっきりした気持ちになった。しかし老人を妬む者はいなかった。むしろ、老人の手抜かりが可笑しくなった。

 なぜなら、いつもと変わらないまま生活すれば誰も気付かなかったものを、セキュリティシステムを構築してわざわざ赤いランプを門扉に取り付けてまで守ろうとしていたら、家に大金が置いてあると公言するようなものだからだ。仕事を退く前は切れ者だったというのはやはり口から出任せだったのだろうと、むしろ憐れむ気持ちになった者すらいた。

 しかし老人は誇らしげですらある。その根拠は、もはや彼が一文無しであるという堂々たる言明にあった。家に入ってきても金など無いから良いと言うのだ。

 邸宅に出入りしていたのは名うての古美術商たちであり、当選金額の半分を文化的価値の高い品々と交換したと言うのだ。

 しかし当選金額のもう半分はどうしたと言うのだろうか。民衆はもはや、少し話が読めてきていた。

「もう半分はどうした?」

 人々はいっそ愉快気に尋ねた。男が返した言葉は、はたして予想通りのものだった。

「セキュリティにあてたんだよ」

 どうやらあの門扉の赤いランプに代表される巨大にして至極繊細なセキュリティシステムが、彼の財産の半分を奪っていったらしい。

 となると、男は当選金額のほぼすべてを失ったということになる。そのまま当選金額をひっそり使っていれば死ぬまで遊んで暮らせたろうに、老人は財宝の山を価値もわからぬ美術品と城壁に浪費したというのだ。もはや老人は民衆の目に幸運にして愛すべきピエロとして映っていた。

 かくして、その男の秘密のギャラリーは平穏無事にのんびりと男の審美眼にさらされているらしい。人々はそのように理解をし、いつしか意識の外にその大事を放っておくことになったのだった。

 そして、残念ながら人の稼ぎをかっさらおうと考える卑小な人間はどこにでもいるもので、どこからともなくやってきた風の便りを受け取った民衆のうちに、どうにか警備をかいくぐってその値打ちの高い美術品を手に入れようと考えるものが出てきた。

 しかし、誰が調査を重ねても、邸宅のセキュリティシステムの全貌が見えてこない。唯一明らかなのは、男がキーを持っていて、門を通る前にそれを穴に差し込んで赤目の番人を黙らせるということのみであった。

 強行突破で品々を頂戴するというのも手の一つではあった。しかし、傷を付け難い美術品が目当てである。しかも総数も種類も不明のままでは、強行突破が賢い策だとは言えない。

 そしてある日強盗はふと気付く。

 彼が自宅の門で鍵を解除するというなら、彼が自宅に帰ったあとに侵入すればいいのだ。老人を脅す形でお宝をごっそり入手すればいい。

 啓示を得た強盗たちはほくそ笑んだ。強盗が成功した翌日には、あの老人は空っぽの宝物庫で嘆くことになるだろう。なにを守るでもないセキュリティに手厚く守護された、空っぽの宝物庫。強盗たちは笑った。

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