第3話
くしゅんっ、と君がくしゃみをしたところで水風船合戦はお開きとなった。僕も君も夢中で、始めたのはお昼だったのに、もう夕日が沈む頃だった。ふたりとも頭からびしょ濡れで、動いていたときには忘れていた寒さが襲ってくる。
「ほっぺも鼻も真っ赤っか」
暑くなって途中で外したマフラーを、君の鼻を覆うようにかけてやる。モスグリーンの、去年のクリスマスに君が編んでくれたマフラー。僕が付けても長いそれはアンバランスで、不思議にもそれがよけいに君の可愛さを引き立たせていた。
「ねえ、一緒につけよ?」
ふたりでも巻けるように長く作ったの。
消え入りそうな声で君は言う。ついには俯いてしまった。普段から可愛いけど、いつも明るく元気な君が、もじもじしながら僕のコートの裾を掴む愛らしさは、格別だった。
部屋まですぐそこなのに、くるくるっと僕と君の首にマフラーを巻きつける。長かったはずのそれは、体を寄せ合って巻くとちょうどよかった。君の心の籠もった温もりと、長時間の外遊びによる冷たさが、僕の首と左半身に優しく寄り添う。手袋を片方だけ外して、互いの指を絡め合った。普段は外でバカップル丸出しの行為を厭う僕だけど、不覚にも今この瞬間だけはもう少しこうしていたい、と思ってしまった。
ふふ。珍しい僕の外でのスキンシップに、君は嬉しそうに笑って繋いだ手をぶんぶん振った。それに併せて癖っ毛がふわりと揺れる。
「あっ!」
君は急に声を上げると、僕の顔を覗き込んだ。
「午前中ね、アップルパイを作ったの。好きでしょう? 一緒に食べよ」
「うん、もちろん」
そうか、それで起きぬけに君からりんごの甘酸っぱい香りがしたのか。
ほんとは甘いものは得意じゃない。なのに、君の作る甘味だけはなぜかいつも咽を通るんだ。
ふと、僕の一番好きな甘味を思い出した。甘くて、酸っぱくて、僕の心を掴んでやまない、僕だけが味わえる甘味。
「やっぱりアップルパイはあとにしよう。今はもっと食べたいものがあるんだ」
「なに? 私に作れるもの?」
もう3年以上の付き合いになるのに、初心な君はきょとんと目を瞬く。
「本気で分かんないの?」
空いてる方の手で、君のおとがいを掴み、軽く上に向ける。
「な、なに…?」
「そろそろ、こういう駆け引きもできるようになってほしいんだけど」
ぷっくりした唇に噛みつく。ひんやりとしたその感触に、そろそろ部屋に戻んないとな、と頭の片隅で思った。君の唇が体温を取り戻すのを待ってから、頬をなぞるようにして耳元に移動する。耳朶をじんわり濡らしたのち甘く囁いた。
「君が欲しい」
君の頬の温度が上昇するのが手袋越しに分かる。やれやれ、どうやら正しく伝わったようだ。
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