第52話 料理ときどき女心
家に帰り着くなり、晩ご飯の準備に取り掛かる。
いつもなら、料理は麻里奈が全面的にやってくれるのだが、今日はカレーということで俺も手伝うことになった。
「とりあえず、人参から始めるか」
俺と麻里奈が一緒に料理をするのは珍しくない。というより、硬いものを切るときにふらっと呼び出されることがある程度だが。
手を洗い、腕まくりを済ませた俺は、洗い終わった人参を受け取って切り始める。
人参は皮に栄養があるのだと、昔から麻里奈に言われているため、皮むきも面倒なのでそのまま乱切り。
さらに、ピーラーで皮を剥いたじゃがいもは芽が残っていないかを確認してから同じく乱切りにする。そして、耐熱皿に切ったじゃがいもを乗せて、大さじ一杯の水をかけてラップをしてレンジで加熱。
玉ねぎは茶色い皮を剥いで、くし切りにする。
大量の大根おろしを用意して野菜の下準備は終了。
野菜を切っている間に、麻里奈が奥のガス台で安売りしていた鶏肉の細切れを気持ち多めのバターで炒め、表面の色が変わったところで皿に上げる。
バターが香るフライパンの中に、玉ねぎを加えて炒め、透明感を帯び始めたところで人参を加えて中火で焦げないように五分ほど加熱する。
レンジで加熱していたじゃがいもは若干固めかちょうどいい固さで加熱をやめて、硬すぎる場合は時間調節して何度かレンジで加熱する。
予め鍋で熱湯を作っておくか、湯沸かし器でお湯を用意する。熱湯750mlの中に下ごしらえした材料全て投入する。
十分ほど茹でてから、火を止めて市販のカレールーを溶かし、インスタントコーヒー小さじ1、牛乳一回しを加えて混ぜる。均等に混ざったと思ったら、大量の大根おろしを流し入れ、弱火で加熱しつつ混ぜ合わせる。
十分ほど煮込めば麻里奈と俺が作るいつものカレーの完成である。
月一でカレーを作る我が家では、カレーに関しては手際がいい。俺も麻里奈も作業がわかっているため息の合った動きができるのだ。
しかし、その様子を見ていたクロエ、クロミが呆れた顔で言うのだ。
「「なんだか夫婦みたい」」
「お前らもか……」
「お前らもって?」
「颯人もそう言ってたんだよ。まあ夫婦とまでは言ってなかったけどな」
颯人は確か、俺達のことをカップルだとかなんとか言っていたような気がする。いや、それはクラスメイトだったか……?
ともかく、近頃俺と麻里奈を誤解する人が多くて困る。俺なんかが麻里奈と付き合えるなんて夢のまた夢だろうに。
ふ~んと、興味なさげな返事をするクロエに変わり、クロミが話す。
「質問、ではお二人はお付き合いしていないと?」
「当然だ」
「歓喜、やりました。まだワタシにも勝利のゴングは残されているわけですが――」
「は、はぁ!? ちょ、きょーすけはアタシのだかんね! アンタには絶対あげないんだから!」
いつ俺がお前の所有物になったので?
「疑問、誰一人として主様がクロエの所有物など認めていないわけですが。ぷーくすくす」
「むっかつくわね、ホント!? 外へ出なさい! 今日こそ、どっちが上かわからせてやるんだから!!」
「良いでしょう。受けて立ってやるわけですが。この貧乳娘」
「アンタだって貧乳でしょ!?」
クロエに猫耳猫尻尾が生えたのがクロミだから、体型自体は変わらない。だが、クロミ本人曰くバストサイズはゼロコンマ一ミリほど大きいそうな。
俺の横で果てしない霊峰を持つ麻里奈の前で、よくもまあ
「おい、麻里奈?」
「え……? あぅ、ど、どうしたの?」
「熱でもあるのか?」
言うなり、俺は手のひらを麻里奈の額に触れさせ、もう片方の手のひらを自分の額に合わせる。
体感ではあるが、熱はなさそうだ。いつになくおっとりしているから風邪でも引いたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
「やっ、きょ、きょーちゃん……」
「どした?」
「きゅ、急に触られると……びっくりする」
「? 何を今更なことを……。普段なら気にしないだろ」
「い、今は気にするもん」
なぜ今?
「どっか具合でも悪いのか? 熱はなさそうだったけど……もしかして腹が痛いとか?」
「なに? 生理って言わせたいの?」
「あ、いや……あ、あはは」
バツが悪そうに目を反らす俺に、麻里奈は深い息を吐いた。
一気に機嫌が悪く麻里奈を見て、俺は逃げるように言い訳を吐き捨てる。
「そ、そう言えばもうご飯の時間だし、クロエたちを呼び戻してくるわ!」
「あっ……もう」
足早にリビングから逃げ出すと、俺は廊下を歩きながら女子とはよくわからんと心底悩む。
別に俺の発言……最後の生理についてはデリカシーが無かったにせよ、それ以外は問題なかったはずだ。特別麻里奈を怒らせるようなことも、悩ませるようなこともなかった……よな?
考えれば考えるだけ、自分の発言の何が悪かったのか。あるいは行動の何が悪かったのかがわからない。ふいに、颯人が俺に向けて鈍感と言った言葉が思い出される。もしかしたら、あるいは、本当に、俺は無意識で何かをやらかしたのだろうか。
それにしては心当たりがなさすぎる。もしくはこれが鈍感と言われる所以なのか……?
果たして、答えは出ないまま家の外に出ると、睨み合った幼女が延々とじゃんけんのあいこを繰り返していた。
「……なにしてんだ?」
「見てわからない!? じゃんけんよ!!」
「同意、主様は目が節穴なわけですが」
「いや、そりゃ見ればわかるけどさ。……勝負するんじゃなかったのか?」
もちろん、勝負というからにはクロエもクロミも戦闘すると考えるのが一般的だろう。それで未曾有の被害が出ることはもう少し考えればわかることだが。
「だって、普通に勝負したって、アタシの能力全部持ってるクロミが勝つに決まってるじゃない!」
「同意、有無を言わさず圧勝するわけですが。えっへん」
「なるほどな……それでじゃんけんか」
まあ、妥当なところだろう。というよりも、よくそれでどちらかが上などと決められるものだ。
案外平和に勝負が付きそうで安心してみていると、何度かあいこを繰り返した後、勝敗が決した。
「勝利、これが自然の摂理なわけですが。ふっふっふ」
「どうして……? なんでアタシが負けたわけ!?」
そりゃあ、クロミがグーを出しているところにチョキを出したからなんだが。
ともあれ、幼女二人の平和な戦争はクロエの敗北で勝負がついた。もちろん、負けたクロエが泣き出しそうになったので、抱きかかえてリビングに戻る羽目になったのは衝撃だったが。
二人を連れてリビングに戻ると、ちょうどカレーの盛り付けが終わっていたようで、席についていた麻里奈が俺たちに気づいて笑顔を向ける。
「遅いよ、三人共。ほら、速くご飯食べよ?」
「あぁ、悪い」
「…………ほら、夫婦みたい」
「同意、これは勝てそうにないわけですが」
ぐずりながらクロエがつぶやき、それに同意するクロミ。何度違うと言えば気が済むのだろうか。
しかし、俺と麻里奈が夫婦であると仮定するならば……。
俺は抱っこしているクロエを見て言う。
「俺と麻里奈が夫婦なら、クロエとクロミは娘ってとこか」
「は、はぁ!? きょーすけはアタシのだって言ってるでしょ!?」
「どーすればいいんじゃい……」
結局、クロエが言いたいことは何なのか。
終始わからない疑問を放り出し、作ったカレーを頬張る。まろやかでうまい。というか、安心する。
いつもの味に和まされながら、幸せ気分でいる俺に、笑顔で麻里奈が聞いてくる。
「いっそ、結婚しちゃう?」
「ぶはっっっっ!? ちょ、食事のときくらい平穏でいさせてくれよぉ!?」
「あははは。もう、汚れちゃうよ?」
カレーではなく、合間に飲んでいた水を吹き出した俺にティッシュを持って手を伸ばし、拭い取っていく麻里奈。その仕草が、甲斐甲斐しくてドキッとする。
……ドキッとする?
スプーンを置き、空いた手で天を仰ぐ。
そして、ろくでもない神様しか知らないが、神に願った。
女心が知りたい、と。切実なまでの思いで。
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