第51話 待ち人来る

 卒業生代表で壇上へ上がる麻里奈の姿は練習といえどとても綺麗だった。話の内容は明かされてはいないが、完璧を目指す麻里奈のことだろうから最高傑作になっているに違いない。

 それは冬の終わりを物語って。

 それは春の日差しを憂うもので。

 決して、俺なんかには真似できないような素晴らしいものであるのだろう。


 端的に言えば、俺は見とれていた。普段からそばにいるはずの麻里奈を見て、どこか遠くの世界の住人なのではないかとさえ錯覚する。

 あぁ、これがきっと卒業式なのだろう。

 なんとなしに側にいた隣人が、突如として遠くへ旅立ってしまう。よもや、俺がそんなことに胸をざわつかせているなど知る由もなく、麻里奈は足を進めるに相違ない。だって、麻里奈は俺なんかがいなくても完璧で、綺麗で、美しいのだから。控えめに言っても可愛い。


「一体どうしちまったんだろうな、俺は」

「卒業式とは選ばれた人間以外が話す場所ではないだろう」


 心で訴えていたと思ったら言葉に出ていたらしく、隣りにいたメガネを掛けたクラスメイトが注意のようなものをしてきた。ブルブルと頭を横にふると、俺は式に集中するように視線を上げる。

 すると、その先で麻里奈の視線とぶつかった。


 よく見ると、俺に向けて何かを語りかけているようだった。読唇術はうまくないのだが、そこはあらゆる分野で人並み以上に得意な麻里奈が読み取りやすいように、かつ見つからないように口を開いていた。凝視するように麻里奈の口に集中する。

 それによれば、麻里奈はこう続けていた。


「(キョウノバンゴハンワカレエガイイ)」


 今日の晩飯はカレーがいい、か。


 フッと。

 小さく吹き出して、いつもと変わらない可愛い幼馴染に向けて頭を縦に振る。満面の笑みが返ってきて、なんとなく俺も嬉しくなった。

 人は俺たちをバカップルだの、リア充だのと呼ぶらしいが、別に俺と麻里奈はそういう関係ではない。言うなれば、別居中の両親を持つ姉弟のようなものだ。昔から……本当に昔から一緒にいた仲なのだ。マジ生まれたときからずっと一緒まである。


 通常であれば四時間近くかかる式だが、練習ということもあってその半分ほどの時間で解散となった。学校が改装中であること、それに合わせたかのように急ピッチで進んでいた授業が相まって、高校では珍しく全学年が自由登校となっていて、全員が集まるのは卒業式の練習と本番だけであった。

 午後が自由となり、生徒たちは皆、各々の時間を楽しむために足早に式場を去っていく。やがて会場にいるのは役割を持った人だけとなっていた。

 そういうこともあり、一時頃に開放された俺は、スピーチの調整を受けている麻里奈を待っていた。

 その矢先で、妙にニヤついた颯人に見つかって声をかけられている。


「よう、天災へんたい

「その呼び方やめろ。あと、いつからか呼ばれるようになった二つ名的な方の呼び方もやめろよな、特に学校では!」

「おいおいおい。お前ほどの年頃なら、ああいう呼ばれ方をされたほうが喜ぶんじゃないのか?」

「それは中二だ! 俺は高二!」

「大して変わらねぇじゃねぇかよ?」


 そら、何千年と生きていらっしゃれば数年の差なんて秒と変わらないだろうよ。

 やけにこの頃なれなれしいと思ってきたが、もしかして颯人のやつ俺を気に入ってきたり……? いや、それはないか。というか、男に気に入られるのが嫌だ。鳥肌が立つ。

 身の危険を感じて、少し離れて様子をみようとするが、それよりも速く颯人に頭を鷲掴みにされた。


「式中、ずっと浮かねぇ顔をしてたな。見かけによらずシャイなのか?」

「うっせぇな!? というか、俺の顔なんか見て何が楽しいんだよ……」

「そこらへんの普通に可愛い女児を見てるよりは幾分かは楽しいだろうよ。なにせ、俺から見ればあたり一面が幼稚園生だからな」


 それはブラックジョークか何かかな?

 いやー、その顔を見るに本当にそう見えてるんだろうな。

 あと掴んでる手を離してくれませんかね。さっきから頭蓋骨がメシメシなっちゃいけない音を上げてるんですがね!


 颯人と俺たちでは生きている時間の密度が違う。知っている知識も、おそらくは颯人のほうが上だろう。

 そういう観点からすれば、やはり颯人にとって俺たちは幼稚園生なのかもしれない。ただ、オブラートに包んで、小学生くらいにしてくれないとなんだか悲しくなってくる。ついでに握力で頭が痛い。


 遅れて由美さんがやってきた。

 両手に缶コーヒーを持っているあたり、颯人に頼まれたのかもしれない。それを受け取ると同時に俺の頭から手を離して、無事に俺は自由を手にした。


「おまたせ~って、幼馴染くんもいるんだね」

「どうも、由美さん」

「うんうん。やっぱり、幼馴染くんは可愛げがあっていい子だね。ハヤちゃんとは大違いだよ」

「俺と天災を比べるんじゃねぇ。俺のほうが強いしかっこいいだろうが」

「そういうところが可愛いんだけどね~」


 シスコンなんじゃないかと思わせる颯人の幾度の言動も、今では慣れっこである。

 先日の切迫した関係を思わせない和やかっぷりで会話が進んでいく。話をするにつれて、颯人が本当は周りの人を大切にするやつだとか、由美さんが小悪魔っぽいとか、そういう一面が見えてくる。それがどうも普通っぽくて、むず痒い。


「そういえば、今度入ってくるっていう颯人の妹……? を一人にして良いのか?」

「義妹だ。…………別に一人にするわけじゃねぇよ。長期の外出つったって、度々こっちに戻ってくる予定だ。それにいざとなったらテメェのところに行けって言ってあるしな」

「おい待て。何さらっと面倒事に巻き込んでやがんだ」

「あぁん? 俺の妹を面倒事つったか?」


 ヤダこの人、ほんまもののシスコンですやん……。


 家族大好きマンの颯人に家族の話を振るのはやめておこう。火傷しかしないと思う。

 息を吐きつつ、頭を掻きながら颯人は続ける。


「と言っても、アイツはまだ日本に到着してないんだよな」

「……外国にいるのか?」

「いんや。ちょいと知り合いの豪華客船に住まわせてるんだ。頃合いだと思ってそろそろ引きこもりを卒業させてやりたいと思ったんだが……アイツ、ギリギリまで船にいるとか抜かしやがってよ。全く困った妹だぜ」


 とか言いつつ、顔が綻んでいるあたり、父性がうずいているのか、あるいは俺の妹が可愛すぎてやばい状態なのか。どちらにせよ、颯人の姉妹愛は半端ではない。てか、知り合いに豪華客船持ってる人いるって状況がもう半端ない。

 兎にも角にも、その義妹との顔合わせは入学式が始まる頃でないとありえないとわかって少し安心した。颯人には悪いが、颯人の妹がまともなワケがないので、極力距離をとっておきたいのだ。俺の身の安全のために。


 そうこうしている内に、時間は速く流れていたらしく、すでに三十分もの時間が経っていた。

 同時にスピーチの調整を終えた麻里奈がどっぷりと疲れた形相で歩いてくる。


「きょ~ちゃ~ん……」

「珍しいな。そんなに疲れるような話し合いだったのか?」

「ん~~~~~~」


 ため息のような、唸りのような、そんな返事が帰ってきたかと思いきや俺に抱きついて全体重を預ける麻里奈。いつもなら真面目、優等生、文武両道、美少女で通している完璧主義が麻里奈なのだが、この頃家と外の区別がつかないのか、それとも卒業式で疲れがピークなのか、甘えることが多くなった。

 重い重いとつぶやきながらもそれを支えているが、かといって外では本当に珍しい態度に多少の驚きはあった。


「麻里奈ちゃんお疲れ様」

「ありがと、由美……由美!?」


 どうもこの甘え方は視界に颯人たちが写っていなかったからだったようだ。

 ぴょんと飛び跳ねるように俺から離れる麻里奈に、もう遅いと颯人が言う。


「神埼生徒会長が天災を好きなのは周知だ。存分に甘えればいいじゃないか」

「ち、ちが……っ。別に甘えてないもん!」

「幼児退行か?」

「それも違う! これは……その……そう! 眼の前に抱きまくらがあったら抱きつくでしょ!?」


 それが普段から俺を抱きまくらとして扱っているからでは……? マジ? 俺もう弟とさえ思われてない感じ?


 同じくそう考えた颯人はプハッと笑う。


「苦しい言い訳だな。天災も神埼生徒会長も、お互いの気持ちは気がついているんだから、もう良いじゃねぇか」

「「…………?」」

「……おいおい。マジかよこいつら。おい天災……御門恭介」

「な、なんだよ、改まって?」

「神埼生徒会長がお前をどう見てるか、言ってみろ」

「……? 弟だろ、それか枕?」

「神埼生徒会長は?」

「お姉ちゃんでしょ?」

「もう、なんなんだよ、お前ら……」


 なんだと言われても、俺がどう思っていようが麻里奈は俺のことを弟か枕としか見ていないわけで……。


 でも、なんだか引っかかりを覚えるのは気のせいだろうか。というよりも、俺は何か重大なことを見落としているような……?

 しかし、いくら考えてもそれに答えは得られなかった。というか、答えになりうる言葉を充てがえなかった。

 代わりに、颯人が額に手を当てて天を仰ぐ。


「お前ら、鈍感にも程が有るぞ!?」


 はて、何がでしょうか。


 唸る颯人を抑えるように由美さんが割って入る。

 その表情は少し困ったようなものだったが、俺も麻里奈もわかるはずもない。


「まあまあ、若いってこういうものだと思う……よ?」

「俺のときはもっとスムーズに行っただろ!? こいつら……こいつらよぉ!!」

「落ち着いてよ、ハヤちゃん。昼ドラ見るおじいちゃんみたいになってるよ?」


 なんだかヒートアップしている二人だったが、これ以上は深入りしないことを決め込んだのか、颯人に至っては深く息を吐いて冷静を取り戻す。

 そして、俺を指さして言うのだ。


「いいか。これだけは言っとくぞ。お前ら二人がどうなろうが、今度預ける俺の妹を泣かせたらコロがすからな!」

「え、なに、その捨て台詞。すんごい怖いんだけど!?」


 一体、俺と麻里奈がまだ見ぬ颯人の妹に何をするというのだろうか。

 俺の返事など聞く耳持たぬと、《右翼の天使》を使って由美さん共々目の前から消え去っていった。

 残された俺と麻里奈は、互いの顔を見合うが一体何が鈍感なのかは終始わからないでいた。


「……とりあえず帰るか」

「ついでにお買い物も済ませていっちゃう?」

「そうだな。二人いればカレーの材料を買っても重くないだろうし」

「やった。式中に言った言葉が通じてたんだね!」


 伝わっていなければ頷きはしない。とは口が裂けても言わない。麻里奈を怒らせると数日不機嫌に鳴るからだ。

 そうして、俺達は歩き出す。結婚式場の門を抜ける頃、冷たい風が下半身を中心に抜けていく。それに身を震わせる麻里奈が、すっと手を差し出してきた。


「手、握って帰ろ? 手袋忘れちゃった」

「はぁ? ポケットに入れたほうが温かいだろ?」

「私スカートなんだけど?」


 いや、コート着てるじゃないですか。

 言ったとおり足は寒そうだが、手を握る意味がわからない俺でも、何を言ったところで麻里奈が意見を変えるつもりがないのを悟り、いつものように負けを認めるのだ。

 差し出された手は確かに冷たかった。握った手を引き寄せて、麻里奈は俺の腕に抱きついてくる。


「ったく。歩きにくいだろ……」

「ふっふーん。嬉しいくせに~」


 そりゃあまあ。嬉しいですが、何か。


 寒さは人を駄目にするのか。それとも、季節の変わり目だからか。

 ともかく、いつもと違う麻里奈は、いつも以上に可愛らしく写った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る