第49話 世界を取るか、金を取るか

 《極東の最高戦力イースト・ベルセルク》と呼ばれる颯人と、日本が誇る生ける伝説の神埼紅覇、さらには仰々しく紹介された俺がいた和室は、息が詰まりそうなくらい締まり返っていた。しかし、神埼紅覇に連れてこられた茶室は、別の空気を孕んで静まっていた。

 心地の良い静けさの中で、俺は早々に済ませておきたい怒りを颯人へとぶつけるのだ。


「おま、お前なぁ!? あんなふうに俺を紹介すると、余計な噂までたつだろうが!!」

「あんなふうに? あぁ、神埼生徒会長が正妻だってやつか? ……なんだ、愛人だったか?」

「ちっげーよ!? そもそも、俺達はそういうのじゃない。違う、そうじゃなくて俺がお前を完封したみたいな言い方のほうだが!?」

「おい。誰がお前に完封されたって? 負けはしたが、完封はされた覚えはないぞ」

「お前が怒るの? ねえ、お前が怒るターンなの……!?」


 俺と颯人が軽めの言い争いをしていると、部屋の奥で存在を大きくしていた神埼紅覇が、飲んでいた茶碗を置くと小首を傾げて訪ねた。


「なんだ。孫娘が夫婦めおとになったと聞いて、少し嬉しかったのだが。違ったのか……」


 普通、かわいい孫に悪い虫がついたら反対するのでは!? なんで、しゅんとしちゃうの? え、もしかして悪く思われていない?


 齢百四十と聞いた神埼紅覇はとてもそれほどに見えないほどの姿で、歳に合わぬ態度になる。

 まあ、そもそも不老不死なんて言う存在がいる時点で、年齢と見た目が合わないなんてことは克服できるわけだが。

 少なくとも嫌がられていないからと言って、本人の意見を無視するように育てられていない俺は、麻里奈に誤解を解いてほしいと視線を送る。だが、視線のさきに写ったのは、何故かムスッとした麻里奈だった。


「……えっと、麻里奈さん?」

「なに?」

「その……怒ってます?」

「どうして?」

「もしかしなくても怒ってますよね!? え、なに、俺なんかした!?」


 ツンとそっぽを向いてしまった麻里奈は、苦笑いの由美さんに頭を撫でられながら俺の方を見ようとしない。視線を颯人へと戻すと、バツが悪そうに颯人までも視線をずらしていた。

 一体、何がどうして麻里奈が怒っているのかはわからない。しかし、颯人の態度を見る限り、俺と颯人の会話のなかで、何かしら怒らせるワードがあったのだろう。未だ以てそのワードはわからないが、それよりも空気が変わったことに気がついた。


 しかも、空気を変えたのは神埼紅覇だった。


 スイッチを切り替えるがごとく、会話に一区切りを入れたかのように、茶碗から茶をいただくと、息を吐きだして本題を切り出す。


「《常勝の化け物》……それとも、御門恭介と呼んだほうがいいだろうか」

「どちらでも構いませんが。なんですか?」

「貴殿は私の所有する校舎を見事に二度も崩壊寸前まで追いやってくれたわけだが。というよりも、点検で改装が必要になったわけだが。それについてはどう思っているのかな?」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

「無言は許されないわけだが。さて、姿、年齢共に子供な貴殿には非常に酷な話だとわかっているが、大人の世界――つまり戦いわたしたちの世界では落とし前という言葉があるんだけれどね」


 それはつまり、被害を出した戦いに参加したから、謝礼を払えということだった。

 さらに驚いたことに、これが冗談の類の話ではないということだ。神埼紅覇の目はこの話を笑い話では済まさないというふうで、とてもじゃないが逃げられる状況でもなかった。

 ただし、俺に助け舟を出そうとして、麻里奈が声を上げる。


「待って、おばあちゃん――」

「孫と言えど、この話に口を挟んでいいものじゃない。たとえ、お前を助けようとした戦いであっても、お前が参戦した戦いであっても、この話に口を挟んでいいのは当事者だけだ。わかったら、そこにお茶請けがあると思うからそれでも食べて待ってな」

「…………」


 一瞬で沈没させられた助け舟を見ながら、俺は頭の天辺から汗を流していた。滝のように、あるいはゲリラ豪雨がまさに俺の頭の上で巻き起こっているがごとく、俺の焦りは絶頂を期していた。


 確かに、麻里奈を助けようとしてカンナカムイと戦いはした。しかも高校で。その屋上で。

 神と戦うこと。龍と戦うこと。それが破壊につながらないとなぜ思えただろう。

 颯人との喧嘩もそうだ。

 何百、あるいは何千年を生きた男との戦いで、なぜ被害が出ないと思えただろうか。


 しかし。

 しかしだ。

 だからといって、俺だけに支払いの義務が生じるとは思えない。


「その顔は、自分だけではないだろうという顔だ。もちろん。ご尤もな意見だ。全面的にその意見は認めよう。だが・・――」


 一息。


「カンナカムイは我が孫の守護神として、副作用的にこの街の守護を担っている。《極東の最高戦力》に至ってはこれまでの世界に対する最大限の貢献に加え、お釣りが出るほどの謝礼を頂いた。では貴殿は?」

「うっ……」


 見れば、カンナカムイは何の話をしているというふうで。颯人は珍しく苦笑いで目を合わせない。

 助けようがない。いいや、救いようがない・・・・・・・


 俺は助けただけだ。その後を何一つとして考えてはいなかった。

 行きあたりばったりな生活のツケが回ってきた。麻里奈でも俺を養護できず、他人に俺を助ける義理はない。つまるところ、詰んだ。

 数分沈黙が続いたあと、再び神埼紅覇が口を開く。


「なので、貴殿には少しばかり世界を救ってもらおうかと思ってな」

「はい?」

「いいやなに。簡単な話さ。世界の終わりが訪れたら、それを排除する。あるいは無力化する。簡単だろう?」


 言うのはな?


 引きつった顔は、大分戻りそうにない。加えて、お茶請けを食していた麻里奈でさえ、言葉を聞いた瞬間に咳き込むレベルの会話だ。

 逆を言えば、颯人なんかは爆笑を抑え込もうと必死にしていたが、そんなやつは放っておいていいだろう。

 苦しい言い訳などいらず、俺は純粋に待ったを掛ける。


「颯人と戦うだけで精一杯な俺が世界を救えると……?」

「世界を救えなかった男に勝った男の言葉には聞こえないな?」

「いや……世界を救えなかったやつに勝った程度で世界が救えるなら、世界なんて終わらないでしょ!?」

「なるほど、面白い話だ。しかし、私がほしいのは遠回しな否定ではないんだ。私の言葉には、はいかイエスで答えるべきだ。そうだろう?」

「…………ちなみに断った場合は、どうなるんですか?」

「断ってくれて構わないとも。無論、その場合は立替費として二百億は支払ってもらうが」


 真顔で言うから怒っているのか、それとも事務的なのか全くわからない。

 ただ、わかることは断ることはできず、了承すればさらなる面倒事に巻き込まれる制約を結ぶことになるということだ。

 どうすることが正解なのかわからなくなっている俺の前に、一つの影が落ちた。


「何を悩むことがあるんだい?」


 宙を浮かぶそれは、ニンマリといやらしい笑顔をした悪戯好きの死神だった。


「君が大好きな幼馴染くんは、この地を離れない。そもそも、世界が終われば彼女は死ぬ。選ぶまでもないと思うけれど?」

「どこから突っ込めばいいのかわからないけど。じゃあ、聞くけどお前は俺が世界を救えると?」

「……? 世界を救える救えないに限らず、世界を救わなければ、君は幸せになれないんじゃないかな?」


 あぁ、つまりはこうか? 世界が救えなければ、非難する人でさえも消え去るから関係ないと。面倒事に巻き込まれるけど、世界が関わった瞬間にその事件には麻里奈も関わっているから、どうせ俺が助けに行くんじゃないのかと。


 …………それは俺に颯人の二の舞になれとおっしゃってるので?


 だが、タナトスが言ったようにどう考えてもそうなるのだ。どうシミュレートしても、俺が必ず渦中に飛び込む。その事件に麻里奈が関わっていれば確定的に。

 なら、俺がここで首を縦に振ったほうが利口なんじゃないかとさえ思えてくる。たとえ、それがタナトスの誘導であったとしても。それで俺が致命的な事件に巻き込まれるのだとしても。


 ああ、それはつまり……。


「いつもどおり行きあたりばったりってことか」

「どうやら、話は纏まったようだな。世界を救ってもらえるかな、《常勝の化け物》?」

「善処はする。ただ、世界が終わっても恨むなよ?」

「もちろん。恨むことすらできないよ。死んでしまえばね」


 再び話を切り替えると言わんばかりにお茶をすすり、そう言えばと何か気がついたように切り出した。


「で、我が孫とはいつ結婚するんだ?」

「もー、その話は終わったんじゃねぇのかよ!?」


 神埼紅覇。

 とてもじゃないが、掴みどころのない老婆である。

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