第36話 それでも死にゆく世界は止まらない

 黒崎颯人は知っていた。不幸に泣く悲劇の少女を助けようとする者の末路を。救われることのない者を救う意味を。そして、決まって最後に訪れる絶望の苦情を。


 俺は望んでいたのだ。いや、信じていたというべきだろう。すべての人間が出来るうる限り平和で、平凡で、平等の倫理の中で過ごす権利を持ち合わせていることを。だが、その幻想はやはり幻でしかなくて。現実はいつだって、死神のごとく絶望をまとってやってくる。


 俺は負けたのだ。勝ち目のない戦いに、圧倒的なまでの敗北を送りつけられた。黒崎颯人は、神様なんて比にならないくらい強くて、その上で冷徹だった。自分の正義のみを信じぬき、他人の正義を一切の例外なく否定する。自分の味方以外は、すべてが敵である世界を生き抜いてきた黒崎颯人に、高が学生が手出しできるようなことは微塵とてありはせず、俺がそのことに気がついたときには、すべてが後の祭りであった。


 全身が沈んでいくような感覚の中で、俺は絵に描いたような真っ暗な世界を漂っていた。

 そこが、意識の本流であるのは、少しだけ理解できていた。なぜなら、俺の意識とは真逆に景色が構築されていく様をまじまじと目の当たりにしてしまったから。


 これは……どういうことだ?


 見たこともない場所。空気は気味が悪いほどに透き通っていて、まるで川の流れでさえも作られたかのような何もかもが偽物な街。その真中で俺は今、道に迷っていた。

 笑顔で歩いてくる親子が俺を目にして、満面の笑みで頭を垂れる。いや、それだけではない。すれ違う人皆がそうしてくる。困惑する俺に答えを与えるように、一人の女声が耳に届く。


「何してるの、颯人?」


 ……颯人?


 振り向いた俺の目に写ったのは、とてもきれいな女性だった。この世界のありとあらゆる美を否定するような美しさで、でもそれはまるで暴力のような綺麗さで。

 その女性が口にしたのは『颯人』という、とても聞きたくない単語だった。それと同時に、俺は考えたくもない仮設が浮かび上がる。


 俺が迷い込んだ場所は、もしかしたら黒崎颯人の記憶の中なのではないか……と。


 もしもそうだったとすれば、目の前の女性が口にした言葉の意味がある程度理解できる。俺が今、俺ではなく黒崎颯人(・・・・)なのだと考えれば、すべてのピースがきれいに並ぶんだ。


「いや、俺がやったことは正しかったのか。いつまでも考えるんだ」


 俺の口から……いや、颯人の口から颯人の言葉が聞こえる。やはり、俺は黒崎颯人になっているようだ。しかも、俺の意志とは関係なく体が動き始める。というよりも、初めから体の操作権は俺にはなかったようだ。そこでようやく、ここが黒崎颯人の記憶の世界である確信を得た。


 美しい女性に手が伸ばされる。そうして、髪をなでながら、頬をなで、心配そうな顔の女性に対して言う。けれど、美女の瞳は時間を追うごとに悲壮に彩られ、理由を知らない俺は、何故という言葉だけが頭に浮かんだ。


「俺は|また(・・)、お前が生きる世界を守れないんじゃないかって」

「……それは仕方ないよ。破滅の未来を救うことは、並大抵なことじゃないでしょ?」

「それでも、俺はお前を守るよ。次は必ず、お前が笑って過ごせる世界を作ってみせる。だから――」


 待っていてくれ、美咲(みさき)


 颯人の表情はわからない。でも、微笑んだのだと思う。とても……そう、とても悲しい瞳で。

 そして、それはやってきた。大きな地震である。地面は割れ、木々が折れ、まるで統率の取れていた世界が悲鳴をあげるように崩れ去る。その中で、颯人と美咲と呼ばれた美女は決して離れないようにお互いの手をとっていた。だが、美女は程なくして奈落の先で冷たい土砂に抱かれて絶命した。


 次に目が覚めると、同じく目の前に美咲と呼ばれた美女が立っていた。殆ど変わらない会話の後に、今度は太陽が崩壊し、その余波で地球が万遍なく焼き焦げた。

 その次も、その次も、そのまた次も。何度繰り返したかわからない幾重もの世界の終わり。その最後に、颯人は美咲と呼ばれる女性に約束をする。『次こそは、必ず守るから』と。

 その約束は、果たして守られることはなく、果てのない終わりの連鎖はとうとう颯人の心へし折ってしまう。颯人はただ、一人の女の子を守ろうとしただけだ。そのためだけに颯人は、世界をも守ろうとしているのだ。


 あぁ、そうか。


 ありとあらゆる世界の終わりを見終えて、俺は思う。

 颯人がクロエを殺そうとする意味を知った。出会うことがわかっている女性を守るために、颯人は世界を殺す因子の尽くを殺し尽くすのだ。たとえ、それが不老不死と呼ばれる、絶対に死なない存在であっても、颯人はやはり殺すのだろう。

 そうしなければ、颯人の約束はいつまでたっても叶えられることはない。報わることは絶対にありえない。そこに世界の終わりがある限り……。


 簡単な話だったのだ。黒崎颯人は不器用だった。不器用だから、誰の手も借りようとはせず、世界という大きな存在を敵に回して、世界を守るのだ。その先で、残酷なまでに非情な世界を生きる大切な人を守らんがために。


 俺は間違った。

 クロエを救うだけでは、世界の破滅は逃れられない。世界の破滅を停めるには、颯人でさえも助け出さなければならなかったのだ。

 そうと決まればやることは決まっている。まずはクロエを無害にするところから始めなければ。そして、その方法もある程度わかった気がする。あとはこの意識の世界から脱却する、それだけだ。


「……ちゃん。…………きょーちゃん!!」


 聞き慣れた声が耳に届く。

 同時に意識の覚醒が近いことを悟って、俺は安静に目を閉じた。すると、激しい騒音と爆発音とも取れる様々な音が入り混じり、その中で再び俺を呼ぶ声が聞こえた。


「起きて、きょーちゃん! きょーちゃん!」


 ぼやける視界を動く懐かしささえ思わせる声に向けて、俺は手を伸ばす。その先で、マシュマロのように柔らかく、お餅のような弾力のそれを掴み取って、俺は一言つぶやいた。


「あ~、現実だ」

「って、きょーちゃん!? 良かった、目が覚めたんだね……」


 この際、胸のことをとやかく言わない幼馴染は、やはり強いと思う俺は麻里奈に膝枕をされた状態で力強く頷いた。上半身を起こし、現状がどうなっているのかを確認する。視線の先で元気に暴れまわるクロエと颯人が俺の覚醒に気がついたようだ。


「ちょ、アタシが大変な思いしてるときに、エッチなことしてないでくれる!?」

「馬鹿な……こんなに早く回復するはずが――あの駄神の仕業か……っ!!」


 颯人はまだしも、クロエのほうは俺を労ってくれてもいいんじゃないですかね……? まあ、状況が状況だし、そうも言ってられないと思うけどさ。

 どれだけ眠っていたかはわからないが、クロエの可愛らしい姿にいくつものかすり傷があるから、それなりに気絶していたのだろう。


 双方から憎まれ口を聞かされるが、俺はやれやれと首を振って、未だもって重い体を無理やり立ち上がらせて軽口を言ってみせる。


「まあそう言うなよ。言ったろ? 俺は生きるってさ」

「あんたねぇ……」

「……テメェ」


 クロエは呆れ、颯人は憎むように俺を見る。双方の争いが一応停まったことを確認して、俺は少しづつ前に進み出す。

 これは俺の戦いだ。クロエの戦いを俺が引き継いだ。颯人の人生を俺は目の当たりにしてきた。俺が戦わなければ、二人の辛さを知る俺が今、前に進まなければ、この先俺は、|大切な人(まりな)でさえも見捨てることになる。


「なんだか、きょーちゃん。少し大人になった?」


 背後から麻里奈の言葉が聞こえる。

 俺は振り向かず、麻里奈だけに聞こえる声量で返す。


「何いってんだよ。俺は高校生だぜ? 大人になる年頃じゃねぇか」

「いや、そうじゃなくて、雰囲気が――うん。いってらっしゃい」


 何かを言いかけて、麻里奈はやっぱりやめたようだ。話が通じないとかではなく、きっとそれ以上何も言わなくてもいいと判断したに違いない。

 俺もそれ以上は特に話をしようとはしなかった。ただ、最後に一言告げて歩き出す。


「ああ、いってくる」

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