第35話 希望の目覚め

 恭介の頭部が粉砕されて間もなく、黒崎颯人は残されたクロエと麻里奈に視線を向ける。その瞳にはどこか諦めたような感情が垣間見え、しかし足取りはしっかりと死を運ぼうとしている。矛盾した空気を孕んだ黒崎颯人に気がついたのは、麻里奈の方だった。


「何を、そんなに怯えているの?」

「怯えている? 俺が? 何もできない幼女と、へたりこんだ生徒会長を前にして、圧倒的優位にある、この俺が? ありえない話だ。変な期待はよすんだな。もうお前たちに、希望なんてものは存在しないんだから」


 しかして、瞳に宿った感情に変化は見えない。やはり、何を悲しんでいるようなものだった。

 不思議と、麻里奈はそれが気になった。なぜかはわからないけれど、その意味を知らなければならない気がしたのだ。そうして、麻里奈は黒崎颯人の前に立とうとする。へたりこんだ体に目一杯の力を込めて、震えながらも立ち上がろうとする。


 だが、それよりも早くにクロエが麻里奈をかばうように前に立つ。その背中には必死を覚悟したとてつもない覚悟が感じられる。

 驚いた麻里奈はそんなクロエの後ろ姿を見て声を上げた。


「ま、待って――」

「待たないわよ。あんたはきょーすけのところに行きなさい」

「で、でも……」

「あのねぇ……あんたは正直邪魔なの。足手纏なの。わかる? これは不老不死の戦いで、人間が顔を出せる戦いじゃないわけ。というか……あいつが目を覚ましたときに目の前にいてほしい相手は、きっとアタシじゃないと思うし……」


 最後の言葉はうまく聞き取れてはいなかった。けれど、意を決したクロエの行動に答えるべく、麻里奈はもう何も言わずに恭介の下へと進んでいく。へたりこんだ体で必死に這っていく。


 見れば、恭介の頭部は再生が開始されていた。

 通常、不老不死であっても、頭部を破壊されれば、最低でも半日は行動不能となる。しかも、回復速度は死の回数に比例する。死んだ経験が少ない恭介では、短く見積もっても三日は掛かると黒崎颯人は踏んでいた。不老不死を数名知っている麻里奈も、その事実を知っていたため、異常なまでの回復力にいくらか驚きを感じていた。


 だが、これは同時に希望でもあったのだ。


 現状、黒崎颯人をどうにか出来る因子を考えれば、伸び代のある恭介が戦うほうが、クロエが戦うよりも可能性はある。黒崎颯人を止めることができるかもしれないのだ。

 でも、麻里奈は恭介を起こすべきかを悩んでしまう。必要のない傷を負い、無意味な戦いに巻き込み、関係のない領域に踏み込ませることは、本当に正しいことなのだろうかと。昔から恭介を守ろうと努力してきた麻里奈は、心の底では恭介に戦ってほしくなかった。


 麻里奈の背後で爆発音が巻き起こる。その爆風に押されて麻里奈の体は恭介の横たわった体の近くへと落ち、血だらけの恭介が大きく瞳に映り込む。ボロボロの姿になってまで、恭介が戦う理由は本当に正当なものなのだろうか。悩みは肥大し、やがて麻里奈の思考を鈍らせる。

 振り返れば、そこには黒い霧を纏ったクロエが、苦しそうな顔で必死の応戦に出ていた。対して黒崎颯人は涼しい面持ちで着実にクロエを追い詰めているように見えた。


 もうクロエに助けを求めることはできない。しかし、麻里奈には決断を下すこともできない。


 結局、クロエが言ったとおり、自分は足手纏でしかなかった。麻里奈は静かに傷ついた恭介を目にして涙を流す。大切だと思う恭介を傷つけたくはない。出来ることならこのまますべてが終わるまで眠っていてほしい。それが、恭介を救う唯一の手段であるから。


 だが、恭介はきっとそれを良しとしないのだろう。

 そのことをわかっていたから、麻里奈はこうして迷っているのだ。


「きょー……ちゃん……」


 恭介に伸ばす手が震えていた。

 懺悔か、あるいは切望か。麻里奈はもう、恭介の見方に疑問を覚え始めていた。

 ただの幼馴染ではない。ある側面を見れば、絶望から救い出してくれたヒーローであり、別の側面では弟のような、身近に感じる幼馴染。恭介はきっと、悲しむ人が目の前にいれば、特別な力がなくても助けようとするのだろう。いつだって、困っているときは手を差し伸べた幼馴染が、今では逆の立場になってしまったのは、もしかしたら、そういう姿を見せていた自分のせいなのかもしれないと、麻里奈は思う。


 ならば、この現状は必然だ。

 少なくとも、恭介を|神々の世界(こちらがわ)に巻き込んでしまった一因は麻里奈(じぶん)にもある。

 何より、そういう生き方を見せつけた自分こそが元凶だったのだ。


 麻里奈はもう迷わない。吹っ切れたと言うべきだろう。

 自分が見せた正義が今、大切な人が突き通そうとする正義となっている。それを否定することは、先導者として許されることではない。


 麻里奈は恭介の体を引っ張り、回復しきった頭部を太ももに乗せて、頬を撫でる。

 背後では激しい戦闘音が響く。が、それに負けないように恭介の名を叫ぶ。


「起きて、きょーちゃん! 起きてよ……きょーちゃん……」


 この現状を打破してほしい。それでどれだけ傷つくかもわかっている。助けてもらう義理なんて微塵もない。それでも、困っている人を助けた自分の正義が正しかったということを、恭介が今、助けようとしていることが正しいのだということを証明してほしい。

 たとえ、それで未来が閉ざされてしまうのだとしても、ここでクロエを救わないのは、自分たちの正義を脅かすことなのだと。その優しすぎる心を震え立たせて豪語してほしいのだ。

 あの時――カンナカムイと身を固めるという決心をした麻里奈を、無慈悲な正義で打ち砕いた瞬間のように。


 果たして、その思いは帰結する。

 涙を流す麻里奈の胸に、違和感が生じたのだ。見ると、そこには恭介の手があり、不覚にも麻里奈は恭介に胸を鷲掴みにされていた。

 けれど、麻里奈は怒りもせず、恭介の顔を見る。そこには、両目の色彩が異なっている見慣れた幼馴染の顔があって――。


「きょーちゃん……きょーちゃん!!」


 その叫びとともに、ゆっくりと希望が目を覚ました。

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