第31話 正義と正義

 今、俺はとんでもない状況に追いやられている。目の前で初めて明かされた俺の立場に加え、その先に控えるのは俺を殺すと言った黒崎颯人だ。


 確かに、俺は生き返るため、麻里奈に無意味な荷を負わせないためにタナトスと契約した。しかし、その内容はあくまで神の番狂わせを起こせというもので、どう解釈しても神々と人との間を取り持てなんていうものではなかったはずだ。つまり、俺は見事に騙されたということになる。

 けれど、その事実を知らされた黒崎颯人は、先ほどとは打って変わって空気が違う。どう違うのかと言われると、とても言葉には言い表せないが、気持ち柔らかめな空気になったというのが近いかもしれない。何が黒崎颯人をそんなに変化させたのかと言えば、当然タナトスの言葉なのだろう。


 果たして、世界の守護者とやらは、黒崎颯人とどんな関係があるのか……?


「テメェが言う通りなら、世界はあいつが正しいと言っているって……? 世界規模で人類を殺害して回った黒痘の魔女が生きていい存在だと!? ふざけるのも大概にしろ、死神!!」

「そう怒らなくてもいいじゃないか。別に僕が正しいと言ってるわけじゃあるまいし。ただ、御門恭介くんはその子が生きているべきだと思うんだろう?」

「……へ? いや、俺はただ……理由も聞かずに殺そうとするやつの元に手渡したくないだけだけど」

「そんな理由で……テメェは大量殺人犯を養護するのか? その罪は一体どうなる!?」

「だから、殺さなきゃいけない理由があったかもしれないだろ? 事故だったかもしれないし、苦渋の決断だったかもしれない。話も聞かずにこんなちっこい女の子に乱暴するのは良くないだろ」

「……そいつは見た目はガキだが、歳は1700を超えるぞ。このロリコンが」

「ちがっ……は!? おま、俺より遥かに年上なの!?」


 いや、不老不死とは聞いていたけど、よもや四桁のご高齢とは……。


 俺は驚いて裾を掴む黒痘の魔女を見た。すると、か弱い声で黒痘の魔女は言う。


「じ、実際は二百歳くらいよ。だって、ずっと封印されてたんだもん……」

「ふ、封印……?」


 いや、二百歳だったとしても、俺より歳上なのは間違いないんですけどね?


 次々と訪れる新事実に腰を抜かしていることもできず、俺は改まって黒崎颯人を見た。そうして、自分の中で考えを整理する。


 俺はこの子を助けたい。もし大悪党であっても、殺人狂だったとしても、助けてと呟いたあの時の黒痘の魔女は、あの悲壮に包まれた幼女の姿は俺には無視できないものだったから。これで騙されたのなら、俺が文字通り命を賭して止めればいい。

 しかし、それを黒崎颯人は許さないのだろう。悪化する前に切除するべきだ。その考えが黒崎颯人なのだ。是は黒崎颯人に……正義は俺に一欠片とて存在はしない。だったら……?


 だったら、こうして黒痘の魔女を助けようとする俺は、一体何だというのだ。


「……はぁ」


 小さく息を吐く。自分で自分に呆れるように、つぶやくように吐き出した。


 つまり、俺はあいつにとっての絶対悪なのだ。アンチテーゼと言ってもいい。俺が守りたいものを、きっと黒崎颯人は全面否定するのだろう。取るに足らない戯言と、己の強すぎる力を以て破壊するだろう。それに歯向かうだけの力が俺にあるか? 自分こそが正義だと言い張れるだけの根拠は? 俺にあるのはエゴだけなのではないのか……?


 そう思って、俺は笑う。あまりにも自分の愚かしさ故に笑いが立ち込める。タナトスを除く一同にとうとうおかしくなったかと思われても、俺は笑い続けた。そして言うのだ。俺がどうしたいのか・・・・・・・を。


「黒崎颯人。あんたは正しいよ。どこまで考えても、この子を守ることに正義なんて無い」

「やっと理解したか。なら、さっさと引き渡せ――」

「だから俺、ちょっと悪役ってやつになろうと思うんだ」


「「「…………は?」」」


 悪役とは、思ってなれるものではない。悪を成し、正義に討ち滅ぼされてから、それは悪として認識される。少なくとも、自分は悪になるという者は唯の一人としていないだろう。しかし、俺はあえてそう言った。否、そう言わなくてはいけなかった。

 悪役になる。すなわち、黒崎颯人との完全な決別である。簡単に言えば、俺は俺の正義のためにお前を倒すと宣言したのだ。


 そうして、俺は裾を引っ張る黒痘の魔女を強く抱き寄せて。


「俺はこの子を守る。それが悪だと言うならそうなんだろうよ。でも、関係ない。俺は俺の正義にともなって動く。間違っても、あんたの正義の言いなりになんてならねぇよ」


 黒痘の魔女の熱が伝わってくる。間違いなく黒痘の魔女は生きている。

 なによりも可愛いのだ。絶対的に可愛いと言える。つややかな髪も、愛らしい幼顔も、幼さゆえの柔らかさも。全てにおいて可愛らしい。

 元来より可愛いは正義とはよく言ったものだ。圧倒的なまでに可愛い幼女は殺されるべき存在か? わけも分からずに殺害されていくさまを容認できるか? 答えは否だ。断じて否だ!! だって…………だって、この子は――。


――――こんなにも可愛いんだから!!!!


「さっきまで日和ひよってたやつがよく言う。決まりだ。テメェは二度と目が覚めないように、念入りにコロがしてやる」

「やれるもんならやってみな。俺だって、ただでやられてやるわけじゃないぞ」


 言って、俺は左目に左手を添える。そうして、左目――つまるところ《終末論》を起動させると、左目の虹彩が変わったことで黒崎颯人は目の正体に気がついたようだ。憤怒に濡れた顔で、俺を睨むと憎たらしそうに呟いた。


「虹色の虹彩……カインの忘れ形見か。死神、テメェ余計なものを与えやがったな」


 つい先日は紫色の虹彩だった左目が、着床を以て虹彩が変化し、起動すると虹色に変わったのだ。そして、起動した《終末論》には新たに2つの能力が開放された。従来の未来視に加え、遠視、透視能力が備わった。だが、それが有用かと言えば覗きくらいにしか使えないだろう。……使ったことはないが。

 いまいち戦力となりえないかもしれないが、麻里奈曰く魔義眼を起動すると、高度な魔義眼であればあるほど内包されている魔力なるものが高く、起動することでそれらの魔力が溢れ出し、威嚇程度にはなるとのことだ。しかして、その程度で黒崎颯人が止められるかと言えば、そうでもなく……。


「だからどうした。眼一つで何ができる。高が十八年も生きていないテメェが、俺を倒せるとつけあがるなよ?」

「……やっぱり駄目ですよね」


 威嚇にはなる。だが、相手は選ばなくてはならない。完全起動した《終末論》の未来視でさえ、追いきれない素早い攻撃の雨あられが見えそうだ。こうなったらどうにかして切り抜けるしかないと、決意を新たにした矢先に、俺と黒崎颯人を止める存在が現れる。


「はいはい。二人共、喧嘩は良くないよ~」


 などと柔らかい声が聞こえる。さらに、柔らかい感触が俺の顔面いっぱいに広がったかと思うと、目の前が真っ暗になってしまった。

 一体全体どうなったのかわからないでいると、すぐにその正体が黒崎由美のおっぱいであることを察した。俺は今、黒崎由美に抱かれていた。わけのわからないことだと思うが、されている当人である俺がまずわかっていない。一瞬にして俺の目の前がおっぱいになったのだ!! やっふー、おっぱい万歳!! オールハイルオッパイ!!


「……姉ちゃん。何してるんだ?」

「え? いやぁ、なんだかこうしたほうが止まるかなぁって思って」

「そりゃ人の動きを止めるんじゃなくて、人の思考を止めるんだ。……はぁ、色々と調べ直さなきゃいけないこともできたし、何よりそのガキを殺したがってるのは俺たちじゃない。御門恭介に託すっていうのも一つの手かもしれないな」


 などと、呆れた黒崎颯人からはもう先程までの臨戦態勢は伺えない。危機は去ったと言うべきか。同時に俺も黒崎颯人を睨むことをやめ、互いに和解の挨拶でも交わそうかというときに、ふいに黒崎颯人がニヤついたように俺を見る。


 その顔によくよく見覚えがあった俺は、はてどういう顔だったかと思いだそうとするが。程なくしてその顔の正体を思い出す。


「でも、ただでとは言えない。お前は日本の代表に命を狙われ、そのガキは世界から削除を願われた。そんな奴らを唯で生かしたら、俺の立場がない。だから証明してみせろ。お前の正義が、俺の正義よりも尊いってことを」

「……どうやって?」

「難しい話じゃない。どうもお前は神様と喧嘩をして勝ったらしいじゃないか」


 あぁ、思い出した。黒崎颯人のニヤケ面に見覚えがあると思ったら、あの顔はタナトスが傍迷惑な悪戯を思いつた時の顔にそっくりなんだ。とても嫌な予感がする。

 つまり、黒崎颯人の次に開かれた口から飛び出す言葉は自ずと決まってくる。拳を突き出した黒崎颯人がとんでもないことを言い出した。


こいつで決着をつけよう。最後に立っていたほうが正義だ。ほら、人間らしい決め方だろう?」

「んなむちゃな……」


 喧嘩で決着をつけるって、いつの時代のヤンキーだよ。てか、もちろん手加減とかしてくれるんですよね?


「ごめんね。ハヤちゃん、君とその子を殺すって言った手前、引っ込みがつかないから何か理由が必要なんだよ。あっ、でもだからって手加減をするってわけじゃないと思うから、君も全力で戦ってね。じゃないと、ハヤちゃんが勝っちゃったら……わかるよね?」


 死ぬんですね。間違いなく俺と黒痘の魔女がなぶり殺されるってことですよね!? とんだ世紀末もあったもんだなぁ、おい!!

 あーもーわかったよ!! やればいいんだろ、やれば!?


 投げやりになった俺は、ひどく嫌な顔で黒崎由美を退かすと、大きくうなだれながらつぶやく。


「わかったよ。もう勝手にしてくれ……」


 一体、どこで俺の平穏は瓦解してしまったのか。ニヤニヤと何が楽しいのかわからないその原因タナトスを見上げながら、舌打ちをするのだった。

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