第32話 淹れたてのコーヒー
屋上にて黒崎颯人の提案に乗らざるを得なかった俺は、とりあえず屋上で出会った黒痘の魔女なる幼女を連れて帰宅していた。しかして、現在俺の家には麻里奈を含め、計七名がリビングにて集合していた。さらに言えば、みんながみんな納得のいかないという顔つきなのが目立つ。
確かに、勝手に決めて黒痘の魔女なんていうとんでもない問題児を連れてきたから、俺に対して不満を持つのはわかるが、何も俺の家の空気を悪くすることはないだろうに……。
黒痘の魔女も自分のせいで空気が悪いことに自覚があるようで、借りてきた猫のように静まってしまっている。これはどうにかしなくてはいけないと思い、俺はリビングにてコーヒー豆を挽いていた。
「あぁ……落ち着くわぁ」
空気が悪く、居心地もよろしくない。自分の家だというのに、安らぎは一体何処なるか。嘆きたくなる気持ちを落ち着かせ、俺はただひたすらにコーヒー豆と向き合っていた。
だが、とうとうその空気にも耐えかねた麻里奈が号令を上げる。
「それで? どうするつもりなの、きょーちゃん?」
「どうするって?」
「その
「別に手伝ってもらおうなんて最初から考えてねぇよ。俺が勝手に守るって言って、事実好き勝手にそうしただけだしな」
「ねえ、きょーちゃんわかってる? 相手は不老不死を殺してきた実績のある黒崎颯人だよ? しかも、由美ちゃんも一緒なんて……勝ち目なんてあるわけないよ」
「いや俺、そっち系の話、一切わかんないし」
挽いた豆をドリッパーにセットしたペーパーフィルターに落として、お湯の温度を調べながら、我ながら脳天気なことを言ったと思う。黒崎颯人がとんでもない人間だというのは肌で感じたからよくわかる。けれど、麻里奈が言う世界の話は、本当にわからないのだ。というよりも、俺はつい先日までただの高校生だったのだから、知らないほうが正しいわけだ。
だからといって、今回のことがチャラになるのかと言えば、知らなければ仕方ないで終われないのが現状である。そんな状況で、自宅でのんびりとコーヒー豆を挽いているなど、誰の眼から見ても論外だ。というか、誰がどう見ても現実逃避してるようにしか見えない。
麻里奈はそんな俺に憤慨したようで、大きな怒声が響いた。
「きょーちゃんの命に関わることだよ!? もうちょっとしっかりと考えてよ!」
「びっくりした。急に大きい声出すなって。お、ちょうどいい温度だ」
「きょーちゃん!!」
ちょうどいい温度にまで下がったお湯を使って、丁寧にコーヒーを淹れていく。お湯を吸って膨らむ豆の粉末を見ながら、俺は手に持ったポットをキッチンに置いた。
もちろん、麻里奈の言いたいことは十分わかっているつもりではある。正直、俺にだって勝機がないことくらい理解できていた。けれど、俺にはなさねばならない理由が存在する。たとえ、それが自分勝手な理由だったとしても、そこに俺が示した正義があるのなら、突き通さないわけにはいかない。
――――なにより。
「守るって言っちまったからな」
「え?」
「黒痘の魔女。けったいな名前があったとしても、見た目は幼女だ。1700歳のご高齢でも、俺に助けを求めてきたときの顔は……本物だった」
そう。どれだけの罪があったとしても、俺にあんな顔で助けを求める黒痘の魔女が、何の理由もなしに大量殺人なんて犯すとはとても俺には思えなかった。そりゃ、俺は警察や探偵じゃないから、犯罪者の気持ちなんてこれっぽっちもわからないし知りたいとも思わない。犯罪心理なんて世間では話に出ることもあるが、それだってさっぱりだ。
だけど、これだけははっきりしている。俺が黒痘の魔女を助けたいと思うのは、絶対に間違いじゃないってことだ。
蒸らしたコーヒーの粉末にお湯を追加していき、丁寧にコーヒーを抽出していきながら、俺は目の前で俺のことを心配してくれている麻里奈への話を続ける。
「何の確証もない。もちろん、俺の考えが正しいと決まっているわけでもない。だけどやっぱり、理由も聞かずに
「……理由になってないよ」
「理由ねぇ……じゃあ、あれだ。せっかく舞い降りたかわいい幼女をイケメンクソ野郎に渡したくなかったとか、そういうやつだ。きっとな」
「そんな……そんな理由でなんて……認められるわけ無いでしょ……っ」
いや、あながち間違ってはいないんだが…………。
まあ、確かにそんなことのために命を賭けるなんて、麻里奈にはわからないだろうな。当然、俺も理解したいとは思わない。でも、結局俺が黒痘の魔女を助けたいと思ったのは、目の前の幼女を渡したくないと思ったことと大して違いはないんじゃないかと思うんだ。
俺の体は、死ぬことができないらしい。いわゆる不死の体だ。タナトスに確認を取っていないから定かではないが、きっと不老なのだろう。つまり、俺は不老不死の体を手に入れたということになる。
では、不老不死は人間と言えるのだろうか。そもそも、生物として成り立てるのだろうか。もしも、人間ではなく、生物としても認められないのであれば、俺はこれから何として生きていけばいい。そういう不安に駆られないでもない。
俺がこう考えているということは、俺以上に生きている黒痘の魔女は一体どれほど不安なことだろう。
淹れたてのコーヒーに一口つけてから、俺は笑顔で麻里奈に言ってやる。正しい、正しくないに限らず、俺が取った行動は……。
「いいんだよ、認められなくて。アイツの言い方に合わせれば、黒崎颯人にとって俺は悪で、俺にとって黒崎颯人は悪なんだ。正義がどっちにあるとかじゃなく、勝ったほうが正義なんだよ、きっと」
きっと、俺が向かう先に本物の正義はない。簡潔に言えば、幼女を取り合う男の醜い争いのようなものだ。そういうくくりで見ると、イケメンが有利そうに見えるのがかなり癪だが。ともかく、俺は黒痘の魔女を守りたいと思った。それが正しいと。自分の正義がそう告げるのだ。
なら貫き通すしかないだろう。自分で自分の行いが悪いと思わないなら、それに負い目を感じる必要はまったくないんだから。
けれど、やっぱり受け入れられない麻里奈は、怒ったように立ち上がる。そうして、スタスタと歩きだしてしまう。さらには捨て台詞を決めて行くまであった。
「もう知らない」
リビングの扉が閉まる音がやけに大きく聞こえた。麻里奈の守護神たるカンナカムイは霧のように消え去り、タナトスも興味なさげに姿を隠す。イヴと
晴れて仲間に見限られた俺であるが、肩をすくめてもう一口コーヒーを飲んだ。すると。
「ね、ねえ……あの、アタシ……」
「気にすんな。喧嘩なんてよくあることだろ?」
「で、でも……」
「そんなに気にすんなら……そうだな。とりあえず自己紹介から始めようぜ。俺は御門恭介。お前は?」
「……あ、アタシは………………」
そう言えば自己紹介がまだだったことを思い出して、話題転換を行おうと持ちかけた。
長い葛藤の末、黒痘の魔女は今にも泣きそうな顔になって叫ぶように言う。
「クロエ! クロエ=アルフェラッツ! わかった!?」
「お、おう……力強い自己紹介ありがとうな。えっと、それで……クロエ? 契約がどうのこうのだけど」
「え、ええ」
「具体的にはどうすればいいんだ?」
「え? えぇっと、アタシが言うのもなんだけど、本当に契約するの……?」
「……? しないのか?」
というか、契約というシステムも俺にはちんぷんかんぷんなんだが。とりあえず、それをしないと助けることができないとか、そのようなことをファーストコンタクトで言われた気がするんですが。俺の気のせいですかね?
俺が小首を傾げていると、クロエが緊張したような顔つきで訪ねてくる。
あまりの緊迫した表情から何を言われるのかと思ったが……。
「まず間違いなく、アタシと契約するとさっきの女の子から嫌われるわよ……?」
「それは困る。あのおっぱいは国宝級だからな。いざ、目覚めのおっぱいがなくなるって考えたら、今日から寝られない」
「いや、問題はそこじゃないと思うんだけど……まあいいや。それでもアタシと契約するの?」
「麻里奈に嫌われるのは勘弁だけど、それを理由にして守れるやつを守らないのは、俺のポリシーが許せないみたいだ」
「……あんたって、ホント変人よね」
「よく言われるけど、出会って間もない幼女に言われると流石に効くな」
などと、緊迫した空気の中で話をする俺とクロエ。最後には笑いがこみ上げてきて、お互いを見ながら微笑んだ。その表情がなんとも言えず可愛らしくて、きっと俺が守りたいと思ったのはそのせいではないかと錯覚する。多分、いや絶対、そんなのは理由ではないのだろうが。
気を取り直して、俺はクロエに訪ねた。
「で? どうすればいいんだ?」
「別に、特別なことはないの。ただ誓ってくれさえすれば」
「俺がお前を守るって?」
「そう。代わりにアタシも返礼を誓わないといけないけど……何が良い?」
「返礼……別に欲しいものは無いんだけどな。うー……ん。じゃあ、全部が丸く収まったら、なんかすごい魔法でも見せてくれよ」
「……そんなことでいいの?」
「ああ。平凡な俺からすれば、とんでもない願いなんだぜ? なんたって、高校生で初めて魔法なんてものを見たかもしれないんだからさ」
なにせ、生の魔法である。普通の学生が魔法なんて見られるはずもなく、誰に自慢できるわけでもないが、男の子なら一回くらいは魔法とかいうものを見たいと思うだろう。いや、むしろ女の子の方だっただろうか……?
驚いたような顔のクロエが、呆れたように頷いたことにより、契約とやらは完了したようだ。それを見計らったかのように、出ていった面々がぞろぞろとリビングに帰ってきた。ただ気になるのは、依然麻里奈がお怒りの様子だったことだろうか。
気まずい空気の中。麻里奈が再び俺の前に座り、目をそらしたまま言うのだ。
「全く。これだからきょーちゃんは、全く」
「あ、えっと、麻里奈さん?」
「なに?」
「いや……あの……あ、あはは?」
「~~っ! きょーちゃんが淹れたコーヒーが飲みたい! それで手助けしたげる!」
「あ、はい……」
まくし立てられるように俺はなぜか麻里奈にコーヒーを淹れていた。それを見ていたクロエを含めた全員は、吹き出すように笑い出す。結局、全員で反抗するはめになるようで、俺としては少しだけ安心できた気がした。
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