第26話 風紀委員の長

 黒いコートを肩から羽織った青年は言う。御門恭介を自分の前に速やかに叩き出せ、と。

 そして、当人たる俺は額に嫌な汗を滲ませていた。もちろん、青年がどんな人かなど知らないし、麻里奈が俺のことを青年に売り飛ばすとも思えないから、その心配はしていない。ただ、俺が懸念するのは高飛車というか、唯我独尊のような麻里奈が、黒いコートを羽織った青年を目にしてから顔色が悪いということだった。


 一応、俺は麻里奈に二人が誰なのかを知るために小声で聞いてみた。すると、麻里奈は悟られないように最小限の動きと声で俺にささやく。


「(コートを羽織ってるのは、この高校の風紀委員長さんの黒崎くろさき颯人はやとくんで。その隣は風紀副委員長さんの黒崎由美ゆみちゃん。二人共、私と同じ高三だよ)」

「(高三? てか、風紀委員なんて初めて聞いたんだけど……)」

「(まあ、実際に活動はしてないし。というか、本人たちはあんまり学校に来てないし……)」

「(どっちが風紀を乱してんだよ……)」


「相談は済ませたか? さて、俺と姉ちゃんのことを知った上で聞くが、おいガキ。ずいぶんと生徒会長と仲がいいんだな。名前は?」

「いや――」

「嫌だとは言わせない。なんだったら実力行使もいとわないが?」

「……」


 え、何この人超怖い! 実力行使って、暴力ですよね!? 暴力ダメ、絶対。


 風紀を守る人間が暴力に働きかけるなど、前代未聞の事態である。だが、話を聞く限り、俺の本名を名乗っても面倒なことには変わりない。どうやってこの場面を乗り切るべきか……。

 空気が張り詰める中。麻里奈が一歩前に出て会話に参戦する。


「話に出たきょ……御門恭介だけど。簡単に引き渡すことはできないかな」


 危うく普段の呼び方が出そうになるが、なんとか言い直せた。

 しかも相手にはバレていないようだ。


「できない? つまり、知ってはいるんだな」

「……まあ。私はこれでも生徒会長だからね」

「なら、即刻俺に引き渡せ。お前が思っている以上にそいつは――」

「仮にも私の――私の家の高校の生徒を引き渡すなんてできないよ。相応の理由と大義名分がなくちゃ」

「……ちっ」


 舌打ちをするなり、黒いコートを羽織った青年、黒崎颯人はコートのポケットから一通の封筒を取り出して、その中身を広げた。

 その紙には俺と麻里奈が通う高校の校章が薄く大きく印刷され、その上から細々と文章が書かれていた。距離的に読み上げることはできないが、それを考慮した黒崎颯人は単純化した文面を告げた。


「新たなる不老不死、御門恭介を抹殺せよ。これが理由だ」

「そ、そんな! デタラメだよ!」

「はぁ……これはお前の家が決めたことだろ、神崎生徒会長?」

「……まさか、そんな……」


 なんだか不穏な空気になってまいりましたが、大丈夫なのでしょうか。遅刻するとか言い訳して校内に逃げ込んじゃダメ? あぁ、ダメですわ。麻里奈を黙らせた黒崎颯人が俺をずっと見ていらっしゃる……。


 逃げ場は無い。もしかしたら、黒崎颯人は最初から俺のことを知っていたのかもしれない。観念するしか無い。そう考えた俺は麻里奈の横から顔を出して自分の本名を告げようとするが……。


「……!? おい、麻里奈!?」

「行くよ、きょーちゃん。彼らに関わる必要はない」

「で、でもよ……?」

「いいから!」


 強く強く。強引な腕力で俺の腕を引っ張る麻里奈は、どこか焦っているようだった。その理由がわからない俺からすれば、麻里奈の行動は異常なものだった。しかし、その理由はすぐに分かることとなる。

 麻里奈に引っ張られて数歩歩いたかというとき、瞬時にして黒崎颯人が目の前に現れた。表現するなら、とてつもない速さで先回りをされたような感覚だ。だが、それすら避けるように麻里奈が足を進めるが、その麻里奈目掛けて目で追うのもやっとな速度の拳が放たれたのだ。そうして、その拳をなんとか抑えた俺は、睨みつけるように黒崎颯人を見つめる。


「テメェ……今、本気で麻里奈を……っ」

「……こいつは殴られても仕方のないことをしでかした。こいつの言う、御門恭介を連れてくる理由と大義名分を示した俺に対して、逃げるなんていう愚策をろうしたんだ」

「だからって、暴力を振るうのか!? 相手は女の子だぞ!」

「関係ない。正義執行の邪魔をするやつは、すべからく悪だ。悪の蔓延る場所なんて、この世界の一辺たりとて有り得ない」

「……テメェ!!」

「お前はそうは思わないのか、御門恭介・・・・?」

「…………!?」


 こいつ、やっぱり最初から俺のことをわかって……!!


 麻里奈を試す、というよりは俺を試していたようなふうに聞こえる。例えるなら、俺の正義の尺を図ったような、そんな感じだ。

 許せない。そんな人を測るような行為に、他人を巻き込むなんてことは断じて正義ではない。けれどなぜだ。黒崎颯人の言い分の全てを否定しきれない。心では間違いだとわかっていても、大本が正しいとでも言うように、言い返すことができないのだ。このもどかしい感覚は一体何なんだ!!


 生まれて初めてな感覚に襲われる。

 これではまるで、俺が間違っているかのような……。


「どれほどのやつかと思えば。やっぱりお前も駄目・・だ」

「なんだって?」

「二度は言わん。よく聞いて噛み締めろ。――お前は悪だ」

「会って間もないやつの言い分じゃねぇな」

「力を持ったやつは、否応なしに平凡を卒業させられる。そうして、正義じぶんたちそれいがいの二手に分けられて、己が信念を貫くために争わされる。どちらに付くか迷うやつが、果たして正義と言えるか? つまりはそういうことだ」

「勝手なことを……」


 だが、言い返すことができない。難しい話だからということもあるだろう。理解が追いつかない。でも、確かに感じられる正しさは一体何なのだ。

 もどかしさが腹の中でうねる。発散できない怒りをそのままにさせることは、どうにも今の俺にはできないようで、ついに俺の拳が突き出された。


「遅ぇ……持ってな」

「なっ……!?」


 怒りが籠もった拳は、黒崎颯人の顔面を叩くために全力で進んでいた。しかし、その速度を遥かに凌駕するような動きで黒崎颯人がそれを避けると、有ろう事か羽織っていたコートを俺の突き出した拳に掛けて、人間の出せる速度とは思えない素早さで俺の顎を殴りあげた。さらに、直立で宙に浮いた俺の鳩尾みぞおちに鋭い回し蹴りが炸裂する。

 そうしてあまりにも強烈な足技で吹き飛ばされた俺を尻目に、俺の突き出した拳に掛けられたコートが静かに黒崎颯人の肩へと収まった。


 まさに一瞬の出来事である。一瞬にして俺は無力化されてしまった。

 俺の体をあんじた麻里奈が俺に急いで駆け寄る。次の瞬間、容態を見た麻里奈が真っ青な顔になった。それほど俺の体がとんでもないことになってるということだろう。残念ながら動かすだけで激痛が走るため自分で自分の体を見ることはできないので確認のしようがないが。


「動かないで、きょーちゃん!」

「ガハッ……一体、何者なんだ、あいつ……」

「教えられただろ? 俺は黒崎颯人。普通じゃない高校生だ。喧嘩を売る相手はよく見極めることだな。まあ、見極めたところで今回は見逃しはしないが」

「待って! せめて治療を――」

「治療? 何を勘違いしてる、生徒会長? 俺は御門恭介こいつを殺しに来たんだぜ?」

「待っ……っ!!」


 トドメと言わんばかりに、黒崎颯人が片足を上げると、その脅威から俺を守るように麻里奈が俺に覆いかぶさる。しかし、その程度で止められる男ではないことは、今さっき攻撃を受けた俺ならわかる。せめて、麻里奈を退かそうと体を動かす努力をしたが、どうにも打ちどころが悪かったようで体がうまく動かない。

 絶体絶命の危機。もう駄目だと思った、その時だ。黒崎颯人の後ろに一人の影が寄ってきた。


「はい、ハヤちゃん。すとーっぷ」

「がっ!? ……………………姉ちゃん!?」


 片足を上げていた黒崎颯人の地面に付いている方の足に、いわゆる膝カックンなるものを食らわせたのは、黒崎颯人が姉ちゃんと呼称した黒崎由美だった。

 見事にコケた黒崎颯人は見上げるように黒崎由美を見ると、打った腰を痛そうに擦る。その様子をパッとだけ見た黒崎由美は、重症の俺の横に屈むとざっと見回してから微笑んだ。


「私の親友の幼馴染くんだ。今思い出したよ」

「……え?」

「まあ、麻里奈ちゃんには大きな借りもあるし、少しお仕事のことは延期してあげる」


 なんだかわからないけど、助かったのか? どうも麻里奈のおかげみたいだけど……。

 超常回復能力を手に入れた俺の体は、徐々に致命傷だった傷さえも癒やしつつあった。だから、動くようになった腕で、俺の胸に抱きついている麻里奈の頭を優しく撫でると、空を見上げながら大きく息を吐く。


「じゃあ、質問。君って、麻里奈ちゃんの彼氏さん?」

「……」


 きっと胸のあたりが痛くなったのは治りきらない体で息を吐いたからで、決して唐突に妙なことを言われたからではないと思う。……思いたい。

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