第25話 事件三秒前の校門

 清々しいほどに寒い朝だった。布団から出ようなど、一瞬たりとて考えられるはずもないほどに、激震するがごとく凍える朝に、俺は何の罰か学校なんて言う場所に登校していた。

 いや、登校日なのだから、学校へ行くのは当たり前なのだろうが。如何せん、学校へ行くのが億劫で仕方ない。黒いアスファルトに白化粧が施されるように霜が降りている。その上をサクサクと歩いていく。吐く息は白く、どれほどの寒さなのかを物語っていた。


 俺の隣を歩く麻里奈も、相当寒いのだろう。マフラーで顔の半分を隠し、何枚も重ね着をして歩いていた。ただ問題なのが、麻里奈の手が俺のコートのポケットの中に入っていることで……。


「あの、そろそろ温まったのでは……?」

「じゃあ、カイロくれる?」

「いや、それは断固拒否する。手袋がない俺には、カイロが唯一の生命線だ」

「もぉ! 私だって寒いんだよ!?」


 そう、これはイチャラブなどではない。俺も麻里奈も、家に置いてあった手袋が何故か破れており、なおかつカイロが最後の一つしかなく、取り合いになった結果、こういうことになってしまった。非常に嬉しい状況――ゲフンゲフン。由々しき事態だ。

 しかしながら、麻里奈の毛糸の手袋に穴が開くのはわかるんだ。むしろ、元から穴だらけまである。けどな。どうして、防塵防風防寒の手袋が破れてるんだ? え、なに嫌がらせ?

 大方、親父が仕事で使ったせいでああなったのだろうが。そうなったのなら、せめて一言くらい言ってほしいものだ。じゃないから、こういう周りの視線が痛い事態になる。やめてっ、そんな目で俺達を見ないで!


 文句を言っていても始まらない。というか、歩き始めた時点で俺は諦めの境地に入っていました、はい。

 なんとも言い難いが、一つだけ声を大にして言わせてくれ。麻里奈の手ってすべすべなのな。うるさいわっ。


 ここだけの話。お互いにポケットに手を突っ込んでいるため、ふとした拍子に手が当たる。しかもかなりの頻度で。かなりの頻度で!! そんなんだから、幾度となく麻里奈の手の感触を楽しめているわけだ。もうね、死んでも構わない! むしろ、今のうちに殺して! 周りの殺意がナイフばりに痛いから!


 大抵、こう嬉しいことがあると、次の瞬間には地獄めいたことが起こることを知っている俺は、いつ死が迫ってきても良いように心の準備をしておく。


「けど、あれだな」

「ぅん?」

「麻里奈が身の回りのことに目が行っていないなんて、珍しいなって思ったんだよ」

「あー……まあ、忙しかったし」

「忙しかった? 生徒会で?」

「いやぁ……あはは」

「?」


 煮え切らない答えだ。どうも歯がゆさがある。

 こういう場合、麻里奈は何かを隠していることが多い。直近で例えるなら、神格を有する存在……いわゆる神様との婚約事件然り。そうして、こういうときの麻里奈は後々良くないものを内包している場合が多いのだ。


 そのことがわかっている俺は、ふと思いついた先日の事件を思い返して、麻里奈を問い詰める。


「まさか、また神様と結婚しようだなんて思ってるんじゃないだろうな?」

「へ? いやいやいやいや! もう結婚は当分良いかな……」

「正確には結婚などしていない。そうだろう、生娘?」


 急に割り込んできた声に驚いて、俺と麻里奈は声の方を見る。すると、そこには黒いスーツを身に纏ったいかつい男性の姿が。右腕がないのか、男性の右裾はポケットに袖口を入れられて風になびいている。男性の名は、カンナカムイ。雷神にして龍神のハイスペックな神様である。そして、現在では麻里奈の守護神なるものになっているようだ。

 そんなカンナカムイを目に映した俺達は、胸を撫で下ろすように息を吐いた。


「びっくりさせるなよ……」

「そうだよ。不審者に声をかけられたかと思っちゃった」


 不審者扱いをされたことに怒ったのか、カンナカムイの額に青筋が立っている。バレないように吹き出したのは内緒だ。


「ったく。朝からくっつきすぎだ。食うぞ、御門恭介」

「いや、言うなら麻里奈にだな……」

「生娘が寒いと言っているんだ。暖を取らせるのが男というものだろうが」

「いや、まあ……そうなんだろうけどさ……」


 ぐうの音も出ない。確かにカンナカムイの言う通りなんだけどさ。なんだったら、普段から身の回りのことをしてくれる麻里奈のために、俺は少しでも恩返しをしなくちゃいけないんだろう。けれどだ。けれど、寒いんだ。凍りつきそうなんだ。このカイロは……このカイロだけは譲れないんだよぉ!


 なんとも男らしさの欠片もない言い分だが、実際そうなのだから仕方あるまい。

 譲れない一線で揺れていると、麻里奈が妙案を思いついたと言わんばかりに俺の背後に回って……。


「じゃあ、こうすれば良いんじゃない?」

「「なっ……」」


 俺の両方のポケットに手を突っ込んだのだ。もちろん、片方のポケットにはカイロなんてない。冷え切ったポケットの中にひんやりとする麻里奈の手が入ってきて、カイロでぬくぬくするポケットの中にも同じく麻里奈の手が侵入してきた。

 後ろから抱きつかれるような形になって、驚きで硬直する俺とカンナカムイ。それを知ってか知らずか、麻里奈は寒いんだと言うように俺の手に指を絡めてくる。目に写らぬところで行われるそれに、俺は妙にこれまでにない恥ずかしさを感じて、意識せずとも顔が熱くなる。しかも、麻里奈の胸は思った以上に大きいのだ。つまり、後ろから抱きつくようにされると、胸が当たる。超当たる。てか柔らかい。超柔い。……揉んでいい?


 やがて、恥ずかしさからくる熱で、ポケットの中まで温かくなると、俺の耳元で麻里奈がささやくように言った。


「はぁ、あったかい……」

「おわぁ!? わかった、やる! カイロやるからポケットに手を入れるな!」

「え? でも、今のでもあったかかったよ?」

「違う! いや、違わないけど、そうじゃなくて!」


 もはや周りの視線云々ではない。わかるな? あのままでは前かがみで学校へ登校しなくてはいけなくなる可能性がある。それは……男としてやばい。

 危険察知の斜め上を突き抜ける感じで天然な麻里奈は、俺に対して体のガードが緩すぎる。非常にありがたいけど、こういう場所では迷惑だ。ぜひともお家でやってもらいたい次第でございます。むしろ、お願いしちゃう。


 そんな俺と麻里奈の行動を終始を観ていたカンナカムイの青筋は我慢の限界を物語る。

 そうして、そっと指を前に指したかと思うと……。


「良いから早く学校へ行け、貴様ら!!」

「な、何怒ってるの、カンナカムイ?」

「生娘、貴様は少し常識を知れ! 御門恭介、貴様もだ!!」


 いやまあ、怒る理由は多分にわかりますが。今のは俺のせいではありますまいよ、雷神様?


 しかし、これ以上にカンナカムイの前で何かをすれば暴動が起きると思ったので、俺は麻里奈の手を引いて学校へと向かうことにした。いつもなら冗談の一つでも言われるところだが、今日の麻里奈はどうにもしおらしい。


 大胆だったりしおらしかったり……一体、麻里奈に何があったんですかね。まあ、文句を言われるよりはマシなんでいいですけど。

 そして、俺達は時間ギリギリに校門へとやってきて、そのまま校内へと入ろうとする。が、そこで俺達の歩みは停められた。


「生徒会長が遅刻ギリギリとは、どうにもたるんでるな」

「……あんたは?」


 背後から遅刻が云々言う声が聞こえ、生徒会長という言葉から俺たちのことを言っているのはわかったのでそちらを見た。そうすると、そこには黒いコートを肩に羽織った学生と、綺麗な女学生の二人が立っていたのだ。


「人の名を聞く前に、自分の名を名乗れよ。常識も知らないのか」

「……」

「まあいい。ちょうどいいところに生徒会長を見つけたんでな。……おい生徒会長。御門恭介ってやつを探してる。さっさと俺の前に突き出せ」


 何やら上からものを言う青年だが、麻里奈の知り合いらしい。いや、知り合いと言ってもあんまり仲がいい感じの知り合いではなさそうだけれど。


 それにしても――

 非っっっっ常に、面倒なことに巻き込まれる三秒前なんですが、これは!?

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