虚構の王冠

第23話 北極圏から

 死とは一体なんだろう――。


 それは偶発的に訪れる絶望か。

 それは必定で起こる運命の時か。

 それは天が与えた人への罰か。

 はたまた、世界が見据えた人の有効期限なのだろうか。


 青年は《死》成るものを知っていた。

 人に忘れられ、誰の記憶からも消え去る恐怖を、身をもって知っていたのだ。


 しかして、青年は思う。

 誰もの記憶から消え去っても肉体が滅びない永劫の死は、神が与えた栄光のあかしか、あるいはおのが自身に課した惨めな嘘なのか――。






 北極の氷の亀裂に作られた監獄が存在する。海の上に浮かぶ氷である北極は、南極と比べ温かいものではあるものの暖房施設などが必要である半面、たとえ逃げられたとしても極寒の海を超えなければならないという脱走防止を兼ね備えた自然である。

 その場所に作られた監獄は、氷の亀裂に作られているため、すぐ下は川のように海が流れている。このことから、その監獄を知る者たちはギリシア神話の冥府に流れる川からちなんで《コキュートス》と名付けた。


 今日日きょうび、その脱走困難とされた監獄から逃走者が出たという。


「頭の固い爺どもめ。だから、投獄じゃなくて封印にしろって言ったんだ」


 黒いコートを着込んだ高校生に見える青年は、不機嫌そうな顔でそう言った。

 青年が見下ろした先には、本来《コキュートス》があって然るべき場所であった。しかし、彼の瞳に写っていたものは、直径500メートルはあろうかという円状の空洞だった。

 当時、《コキュートス》には百数名の大規模殺人を犯した犯罪者たちが秘密裏に収容されていた。非人道的な実験すら行っていたため、この施設の存在自体を隠蔽する法案が国連の裏で行われていたことを青年は知っている。

 その国家機密を超えたシークレットデータのすいたる《コキュートス》が、なんと一夜にして消え去った・・・・・という。原因は不明で、青年はその原因究明のために派遣された人であった。


 青年の名は黒崎くろさき颯人はやと。見た目は高校生だが、その力と知識から《極東の最高戦力イースト・ベルセルク》と呼ばれ、今回のような有事の際に国連総合議長の最高特権で呼び出すことのできる、世界に四人しかいない《選ばれし者》の一人である。


 黒崎颯人は白い息を吐きながら、ポケットに入っているカイロを握りしめた。


「わざわざ見に来るまでもなく、こんな事ができるのはあのガキしかいねぇだろうが。ったく、無駄足踏ませやがって、コロがすぞ」

「まあまあ、そう怒らないでよ、ハヤちゃん」


 寒さと眠気と苛立ちから怒りを沸々とさせる黒崎颯人に、陽気な声で話しかけた女性がいる。右手には白い湯気が立つ紅茶らしきものがあり、どうもそれを渡しに来たようだった。

 陽気な女性は黒崎颯人の義姉、黒崎由美ゆみである。見た限りではモコモコとしたコートに包まれてぬくぬくとしている。その様子を見て、黒崎颯人は行き場のない怒りを息として吐き出した。

 そうして、差し出された紅茶を受け取り、少しずつそれを飲み始めた黒崎颯人は、もう一度大きな空洞を見下ろした。


「生きてると思う?」

「あのガキが自殺するように見えたか?」

「違う違う。あの子と一緒に収容されてた人達の方だよ」

「……十中八九喰われただろうな。救いがあるとすれば、無辜むこの民が喰われなかったことだろうよ」


 言って、もう一口紅茶を飲む。あのガキという言葉について黒崎由美は言及しない。いや、その内容を詳しく知っているようだった。

 調べなければならないことも調査が終わり、うんざりする寒さから早く開放されたいと考えるようになる頃。二人は紅茶も飲み終わり、次なる目的に困り果てていると、何やら思い出したように黒崎由美がモコモコのコートから一通の手紙を取り出した。


「それは?」

「そう言えば、神崎かんざき家の御使いからお手紙もらってたの忘れてたよ」

「神埼家直々に? いつの話だ?」

「ん~、ニューヨークで国連の議長さんに頼まれた直後だから……三日前くらい?」


 よくもまあ、大切そうな手紙を忘れられたものだ。呆れた顔の黒崎颯人は密かにそう思いつつ、差し出された手紙を読み始める。達筆で書かれた内容はとても平和なものではなかった。だが、興味深い単語をいくつか攫って黒崎颯人は微笑む。


「……へぇ?」

「なにか面白いことでもあった?」

「ああ。どうもきな臭いことになってるみたいだぜ」

「きな臭い?」

「どうも日本で新しい不老不死が現れたらしい。しかも、早くも神様を倒したとか書いてあるぞ」

「神様を……すごいね、その子」


 言う割にすごそうに思えない顔の由美をそのままに、黒崎颯人の顔は見るからに楽しげなものだった。

 最後まで手紙を読み進め、綺麗に折りたたんでいく黒崎颯人。それを横目に、由美は機材の片付けを済ませていた。そうして、移動する準備が整った二人は、確認するように互いを見合う。


「新しい仕事だ、姉ちゃん」

「じゃあ、次の目的地は――」

「ああ、日本だ。新しい不老不死を殺す。ついでに、俺達の目的のガキもどういうわけか日本に深い因縁があるみたいだしな」

「それで。新しい不老不死の人の名前は?」

御門おかど……恭介きょうすけっていうようだぞ」

「御門、恭介……どっかで聞いたことあるような……まあ、いいや。じゃあ、帰ろうか」

「ああ、北極は寒い」


 言うなり、二人は荷物を手に歩きだす。その先に軍用ヘリが停車しており、それに乗り込んで日本へと向かうようだ。


 そうとは知らず、件の御門恭介は下校の途中で、可愛らしい幼女に出会っていた。

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