第22話 平成の世

 目を開ける。間違いなく自分のベッドだということだけを思った。

 眩しい太陽の日差しと、小鳥のさえずりが朝を助長する。加えて言えば、肌寒さで布団をグイッと持ち上げたくなる。しかし、何かがそれを邪魔するようにうまく布団が持ち上がらない。見ると、俺の目と鼻の先に見知った顔があった。


「……」


 絶句する俺は、ハッと息を呑んだ。飛び起きるように上半身を起こすと、目の前にあった人の全体像を舐め回すように観て、血反吐を吐いた。

 俺の目の前で眠っていたのは麻里奈だった。とっさに、最後の記憶にある戦いの行く末を思い返し、状況判断を兼ねた行動だったが、俺の幼馴染はなぜか全裸で俺の布団に潜り込んでいて。それを舐め回すように観たものだから、俺の精神的な部分で大ダメージを負う羽目になった。


 とりあえず、布団が持ち上がらなかった理由が、麻里奈が布団を股に挟んで離さないようにしていたからだとわかると、あまり肌を見ないようにしてベッドから出ていく。

 そうして、とりあえず先ほど見てしまった幼馴染のとんでもないナイスバディを隅に置くために、寝起きの一杯を淹れにキッチンへと足を進める。しかして、その先にいたのは……。


「やあ、お目覚めかい?」

「不抜けめ。あの程度の戦いで二日も寝過ごすとは、擬人神アイヌラックルとしての自覚が足らんぞ」

「あ、ますたぁ! めがさめたんですね!」

「丁度いいところでした。今、モーニングの用意が済んだところです」


 二、三度目を擦ってリビングに広がる景色を見直した。だが、何度目を擦ろうとも目に映る景色は変わらず、耳が捉えた言葉の数々は幻聴にはなり得なかった。


 なので、俺はここがどこなのかをもう一度考えてみることにした。見慣れたリビング。麻里奈が調理をしてくれるキッチン。使い古した部屋を以て、ここは間違いなく俺の家だった。どう間違えようとも神様たちの寄り合い所・・・・・・・・・・ではないのだ!


 クラリと立ちくらみに似たものを感じつつ、俺は頭を抱えて、その面々に対して初めて声を上げる。


「なぁ、いろいろと聞きたいことはあるけどさ。一つだけ聞かせてくれ……なんで、お前たちが俺の家のリビングで、のんびりとモーニングを楽しんでんだよ!?」

「……? 僕は君と契約した神様だよ?」

「愚問だな。俺と契約した神崎麻里奈がこの家にいるからに決まっているだろう」

「わたしはますたぁとひとときもはなれません!」

「仲介がいないと何をしでかすかわかりませんから」


 もうね。なんとなくわかってたけど、神様ってみんなこうなの?


 タナトスに至っては理由にすらなり得ないことを言い出す始末である。これぞまさに始末に負えないというやつだろう。カンナカムイもなにげに人の家の湯呑を使ってお茶を飲んでいるし、ダーインスレイヴは悠々自適にはしゃぎまわっている。名前がいまいちわからない美少女は笑顔で俺にマグカップを差し出してくるし。収拾のつかない事態に陥っている。


 とりあえず、もらったマグカップの中身を見ると、黒い液体が温かい湯気を上げている。匂いからコーヒーだと推測すると、俺はそれを一口頂いた。率直に言えば、美味しかった。美味しかったのだが……。


「いや、そうじゃなくてだな!? あーもう、この際、神様が自分勝手なのはわかったけどさ! 俺に一言いうとかさ! そういうのあるくない!? てか、マジでうめぇな、このコーヒー!?」

「支離滅裂になっているぞ。まったく。俺は本当にこんな男に負けたのか……?」

「はい。右腕の損傷と、一度の心肺停止を確認しました」

「心肺停止はお前のせいだろう、鳴雷なるいかずち

「正義執行です。控えめに言って、大正義、です」

「……なに?」


 いまいちよく覚えていない戦いの最終局面のことを話しているのだろう。しかも、敗北の原因である彼女がカンナカムイをおちょくるものだから、キレやすいカンナカムイは青筋を浮かべ始めている。

 もう一度喧嘩が起きそうな雰囲気が立ち込める。が――。


「やめだやめ。ここでいがみ合っても、俺が負けた事実は覆らない。やるだけ無駄だ」

「あら、逃げるのですか?」

「マジで砕くぞ、このアマ……っ!」

「頼むから、喧嘩は外でやってくれよ? ここでおっぱじめないでくれよ?」


 鳴雷と呼ばれた彼女が嫌に挑発するものだから、怒りの臨界点を突破したカンナカムイが椅子から立ち上がって声を上げた。

 どうして鳴雷がそこまで強気なのかはいざ知らず。ただ、この場で喧嘩を始めようものなら、少なくとも被害は俺の家の全壊は免れないだろうと思った。


「外へ出ろ、鳴雷!! 所有者が変わった程度で、調子に乗りすぎだ!!」

「良いですが、大丈夫ですか?」

「あぁん!?」

「こちらには神崎麻里奈様がいますが?」

「…………わかった。今日はこのくらいにしておこう」

「そうですか、負け犬……おっと、口が滑りました」

「ぐっ……くぅ……ッ!!」


 あー、これは怒りをどうにか飲み込んだ感じだな。


 なんとか一触即発の事態は免れた。しかも、聞いている分には、麻里奈をバックにおけば、カンナカムイは下手に手を出せなくなるという、いらない知識まで手に入れてしまった。

 まさか、鳴雷がそんな切り札を持っていて、カンナカムイを弄くり回すとは思ってもいなかった。どうやら、カンナカムイは自分の神格にもあまりいい印象が無いらしい。そう考えると、少しだけ同情の余地が出てきてしまう。

 そんなこんなで、威厳高き龍神のカンナカムイの弱みを手に入れて、温かいコーヒーも手に入れた俺は、席について旨すぎるコーヒーを味わおうともう一口飲み込もうとした。すると、それと同時に部屋に入ってくる人がいて……。


「もぉ……うるさいなぁ……」

「ぶはっ!? ……ま、麻里奈!?」

「ガハッ!? ……き、生娘、貴様!!」


 勢いよくコーヒーを吹きだした俺と、同じくお茶を吐き出したカンナカムイは目を丸くして入室してきた麻里奈に目を奪われた。

 気持ちよく眠っていたところ起こされたらしい麻里奈は、寝たり無いというふうに目を擦りながらリビングにやってきたわけだが。その姿が……生まれたままの姿だったのだ!!

 確かに、ベッドにいたときからそうだったが、まさかそのままの姿でやってくるとは、長年連れ添った俺でもわかるわけがあるまい。

 慌ててなにか着るものを探すが、リビングにそんなものが落ちているわけもなく、俺とカンナカムイは慌てふためいた。

 そうしてついに、俺とカンナカムイは大きい声を上げるという暴挙に出る。


「頼むから、服を着てくれ、麻里奈!?」

「そ、そうだ、馬鹿者!!」

「…………へ?」


 慌ただしくも楽しい日常が戻ってきた。人数は増えたかもしれない。立場が変わってしまったかもしれない。それでも、誰一人も欠けないという点においてはやはり、俺の戦いは勝利したのだろう。

 ただ、神様に勝ったところで幼馴染が服を着てくれないという困りごとは解決することはなかったらしいが。






 タナトスは慌てふためいている御門おかど恭介きょうすけを眺めながら、一冊の手帳を取り出した。そして、それを静かに開くと羽ペンを虚空から取り出して、最初のページにペンを入れていく。

 その様子に気がついたダーインスレイヴが寄り添ってきて、タナトスに話しかけた。


「なにをかいているんですか?」

「ん? ああ、新しい神話を紡ごうと思ってね」

「あたらしい……しんわ?」

「そう。人と神との間で奮闘する英雄の物語さ」

「むずかしいはなしですか……」

「いいや。なんてこと無い、ただ平成の世で正しく在ろうとする男の物語なだけさ」

「……?」


 興味を失ったダーインスレイヴは、恭介のほうへと向かって歩きだしてしまった。一人となったタナトスは途中だったペンを走らせる。

 題名は書き終えて、ニヤリとタナトスはほくそ笑んだ。


「死を忘れた少年の最後は、一体どういうものなんだろうね?」


 誰にともなく言った言葉は虚空へ溶けて、タナトスの黒い瞳に写った恭介は、とても幸せそうなものだった――。

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