第20話 神罰

 空を駆けるうねる巨躯を目の当たりにして、いかに自分がちっぽけであるのかを知らしめられた。カンナカムイの龍化とは、いわばそういうことを示している。人は、遥かに巨大なものを前にしたとき、体がうまく動かなくなるという。恐怖から来る精神的な動作不良は、もはや逃れられないことだとも。


 日は沈み、街は静寂の中に安寧としている。もしも、カンナカムイが本気で大暴れを起こせば、幸せを営む町並みは一瞬にして絶望へと叩き落とされるだろう。人々の喚きが街に巣食い、終わりを告げる業火は容易く街を飲み込むに違いない。

 でも、俺は勇者じゃない。まして、英雄になんてなれるはずもない。俺は麻里奈のためにここに立ち、そしてカンナカムイと戦った。本当にちっぽけな存在だ。


「だからって、麻里奈の望みまで無下にしたら、それこそ男の名折れだな」


 麻里奈は言った。生きてほしいと。そのために神の嫁になるのだと。

 麻里奈が全て俺のために動いたのなら、俺もそうしなくては理に適わない。他人の信念を捻じ曲げて、決意を溝に捨てたのなら、そのけじめはつけなくちゃいけないはずだ。

 

 真っ直ぐに見つめる先には、カンナカムイが異形の形相でこちらを見ていた。感じられる覇気は嫌でも心臓の鼓動を早まらせる。本能が戦ってはいけないと告げるのを無視するのに、幾ばくの時間を有したけれど、俺は今、本気のカンナカムイと対峙しているのだ。


「この姿を見て、逃げなかったことだけは評価しよう。俺の右腕をもぎ取ったのも称賛に値する。だがな……神に敵うなどという思い違いは万死に値する……ッッ! 人は皆、神の下に平等でなければならない。たとえ、人と神を繋ぐ存在であったとしてもだ!!」

「それはテメェらの考えだ。人類おれたちには関係ねぇよ」

「その考えが、人類を滅亡させるとなぜ気が付かない! 人間が生きるには、平等であるべきなのだ!」

「平等であってたまるか。俺たちの生き様が、想いが、勝ち得た栄光の数々が……平等になんてなるわけないだろ!! 不平等でも良い。傷ついたって構わない。でも、他人に明日を決められるのだけは駄目なんだ。平等で、みんなが等しく幸せな世界なんて、プライドのない明日は人類おれたちには生きられない」


 巨大化した龍の姿のカンナカムイと戦えば、学校もろとも街が危険だ。しかし、戦わずにこの場を収めるには俺たちはもうやりすぎてしまった。お互いに剣を引くことはできない。それこそ、プライドが許しはしないのだから。

 ならばどうするか。俺が取る行動なんて決まりきっている。

 無理無茶無謀のオンパレードであろうとも、一撃のもとにカンナカムイに絶対的な敗北を与えなくては、俺の勝利とはなりえない。

 麻里奈も一人で立ち上がれるほどに回復は進んでいるが、一向に逃げる気配を見せないし、街の人達もカンナカムイに気がついている様子はない。俺がこんなにも話をややこしくしたのだから、けじめは付ける必要がある。


 ああ結局。ただの高校生だったはずの俺が、おとぎ話に出てくる英雄の役を演じないといけないのか。


 俺は右手に収められたダーインスレイヴを握りしめるが、振り上げようとはしなかった。けれど、明らかにカンナカムイのほうに動揺が走る。


「……誰だ、貴様?」


 俺の横に現れたのは平均的に育った可愛らしい中学生の姿をした少女が原因のようだ。近くだからこそ感じられるが、彼女は普通の人間ではない。その彼女が、もの悲しげに告げた。


「あなたはやりすぎてしまった。今や正義は彼のものにあります……『』主様」

「まさか……まさかッッッッ!!」


 彼女は先程俺が簒奪した雷神の神格が擬人化した人だった。

 それに気がついたカンナカムイは疾走するが、空を泳いでいただけあって距離がある。対して、雷神の神格たる彼女は青白い光を放つメダルを体内から吐き出した。そのメダルが俺の手に渡る。


「貴様、貴様貴様貴様…………貴様ァァァァアアアア!!!!」

「気がついたところで、もう――遅ぇ」

「あなたに、正義の名の下に神罰を下します。ご覚悟を」


〈使用権限解除。コードネームド《神罰ver.鳴雷》をインストール――完了〉

〈続いて《神罰ver.鳴雷》の起源解析を開始――完了〉

〈続いて《神罰ver.鳴雷》の存在証明を開始――完了〉

〈続いて《神罰ver.鳴雷》の肉体着床を開始――完了〉

〈全てのタスクの終了を確認。武装化認証コードを開示――以上〉


 手に収まったメダルを親指で空中へと弾く。そして、左目に写った武装化の文言を詠み進む。それに伴って、雷神の神格たる彼女を武装化するための代償として掲示された、使用者の存在する街から一時間電気を奪い去るという恐ろしい対価を支払い、あたりは常世の闇に包まれた。


「正義は我が手に。我が下すは悪を滅ぼす神罰の輝きなり。正しきものは憂いなく、悪しきものに永劫の苦しみを。ここは、正義が住まう楽園であるが故に。――我が魂は願い乞うソウル・ディザイア――」


 雷神の神格たる彼女の体が解け、黒い革のコートに変わって俺に装備される。そして、左手を指鉄砲のようにして、何度も見てきたとおりにカンナカムイへと向けた。そうして、幕を閉じるように俺は全身全霊を懸けた、文字通り最大威力の神罰をカンナカムイへと差し向けたのだ。

 闇の中を走る青白い閃光は瞬時にカンナカムイを射貫き、巨躯から発せられる声にならない悲鳴は大地を揺らし、空に響いた。最後、人型に戻ったカンナカムイがボロボロになった屋上に落ちてきたところで、俺はやっと戦いの終結を感じた。


 時を同じくして雷神の神格たる彼女とダーインスレイヴの武装化が解けて人型へと戻っていく。気絶していたダーインスレイヴは意識を取り戻しており、なおかつ武装化していた二人はどうしてか全裸の姿になっていた。

 ツッコミを入れる余裕すらない俺は疲労困憊の中、落ちてきたカンナカムイの下へと歩み寄った。


「……よぅ。生きてるか?」

「無論だ……と言いたいところだが、如何せん神罰を受けたからな。持ってあと十数分というべきか」

「そりゃあ悪いことをしたな。俺たちの戦いを終わらせるには、こうするしかなかったんだ」

「良い……恨みはせんさ。戦いに敗れるのは、いつだって悪の特権だ。今回ばかりは、俺がその役割を担っただけのこと。貴様はただ誇り、凱旋を挙げよ。それがせめてもの慰めだ」


 ダーインスレイヴが切り飛ばした腕はもう治らない。止血をすれば血は止まるだろうが、失った右腕を接合することは叶わない。それが、ダーインスレイヴが受けた呪いである。そして、その傷を追った中で、カンナカムイは神罰を受けた。もはや致命傷は逃れられないだろう。

 しかし、トドメを刺そうとは思わなかった。いろいろと理由はあるが、何よりも俺の背後でカンナカムイの武器であった彼女が、そうしないでほしいと俺の服を引っ張っていたからだ。


 そして、意外な人がこの会話に割り込んできた。


「ちょっと。話をしてもいいかな?」

「……麻里奈?」

「生娘。俺は貴様と話す余裕は――」

「うるさい黙って。私を出汁に使って、簡単に死ねるなんて思わないでよね。これから散々こき使ってやるんだから」

「……? 俺の命は持って数分だ。そんなことできるわけがあるまい」

「あーもう! わっかんないかなぁ! だ・か・ら! 生かしてあげるって言ってるの!」


「「……は?」」


 俺とカンナカムイの裏返った声が重なる瞬間であった。

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