第16話 雷の降る頃に

「まあそう鳴くものじゃない。俺としては、お前が本気になってくれたことに多少の喜びはあるんだぞ?」


 怒号を前にして、黒服はそう言ってみせた。黒服にとって、俺の存在とは言ってみればその程度のものなのだろうということが見て取れる。神様であるがゆえに、強すぎる力を持つがゆえに、それに立ち向かう俺は、とても小さく、遊び程度の存在にしかなりえないのだ。


 そんなことを知っても、俺の足は止まらなかった。怒りによって突き動かされているからか、それとも目の前で麻里奈が涙している理由を知りたかったからか。俺の心が前に進む意思を止めなかったのだ。

 やがて、俺の目の前に黒服の存在が大きくなる。これから始まるであろう戦いに心を震わせているようで、黒服の表情が緩んでいた。逆に、俺の感情は高ぶることをやめなかった。

 黒服の前に立ち、俺は黒服に問う。


「麻里奈を返してもらいに来た」

「そうだろうとも。お前ならそうすると信じていたぞ、擬人神アイヌラックル。生娘の戯言に憚れず、周囲に惑わされることもなく、この場所までやってくると思っていた」

「言葉を選べよ、神様。お前に信じられるなんて虫酸が走るぜ」

「お前こそ言葉を選べ。今、お前の前にいるのは、生粋の神だ。頭を垂れて懺悔しろ」


 瞬間、天を割るような音とともに、青白い光が落ちる。それに気がついた麻里奈が俺を守るように飛び込み、ややタックル気味に俺にぶつかった。そのおかげもあって黒服が放ったと思われる雷撃は回避できたが、タックルされたダメージは確実に残った。

 押し倒されるように地面に飛んだ俺たちは、多少のダメージを負いつつも、顔を見合わせるはめになる。


「やるなら一言ないと受け身取れないんですが……」

「……して……」

「?」

「どうして、来ちゃったの……?」


 目が合ったかと思いきや、すぐに俺の胸に顔を埋めてしまった麻里奈の、消え入りそうな言葉が微かに耳に届いた。震えた声色は、必死に何かを隠しているのがわかって、俺はそれが涙なのだと気がついた。同時に、麻里奈を泣かせたのが黒服ではなく、俺なのだとわかると、とてもやるせない気持ちになってくる。

 それでも、自分の言葉に嘘をつかないように、俺は麻里奈の頭を撫でながら言うのだ。


「お前が、助けてくれって気持ちを込めて手紙を書いていたのがわかったからさ。来ないわけにはいかないだろ?」

「……違う。違うよ、きょーちゃん。私は……私はただ…………」

「どういう思惑があったとしても、どうしようもない現実を叩きつけられたとしても、自分に嘘をつくべきじゃない。そう教えてくれたのは、お前だぞ麻里奈?」


 俺を育てたのは、俺の両親ではない。放任気味だった両親に代わり、何もかもを教えてくれたのは、間違いなく麻里奈だった。俺にとって、両親が立てた家訓より、麻里奈が教えてくれたものの方が価値あるもので。どちらかを選ぶ羽目になったとき、俺は迷わずに麻里奈を選ぶだろう。

 無論、この婚約で麻里奈が幸せになるのなら、悔しくも認めるだろう。こんなふうに殴り込みに来ることもなかったのかもしれない。でも、あの手紙はそんな体のいいものじゃなかった。


 手紙から感じられたのは、悲しい気持ちだけだったんだ。


 そんなのはもう、無視できるはずがない。俺の大切な人が奪われようとしている。悲しみの中に沈もうとしている。俺にとって、それは絶望よりも更に濃い闇である。もちろん、許せるはずがないのだ。


「悲しいなら泣いたって良いんだ。苦しいなら俺を頼ってくれよ。何もできなかった俺だけど、きっと助けてみせるから。頼むから、俺のために自分を犠牲にしようだなんて考えないでくれ」

「どうして……それを……だって、手紙には――」

「ばーか。何年一緒にいると思ってるんだよ。両親の考えていることより、よっぽど麻里奈の考えていることのほうがわかるっつーの。たまには俺に格好つけさせてくれよ」


 言って、俺は麻里奈抱えながら立ち上がる。そうして、腰の抜けたらしい麻里奈を地面に座らせると、土煙の舞う先へと足を進めた。

 土煙の先で、悠然と立っていた黒服と目が合うと、黒服がニヤついた顔で俺に言う。


「再会の挨拶は済ませたか」

「わざわざ待ってたのか。やっぱり、案外暇なんだろ、お前」

「そう言うな。今生の別れになるやもしれないんだ。挨拶くらいはさせてやるさ」

「すまないな。まだ、死ぬわけにはいかないんだよ」


 飛び出す俺に、先程の雷撃が放たれる。それをどこからか現れた裸のダーインスレイヴがか細い腕の一薙ぎでいなす。想定外のことに対応しきれていない黒服の懐に飛び込んだ俺は、渾身の拳を黒服の顔面へと叩き込んだ。


 生まれてこの方素手の喧嘩なんてしたこともなかったが、怒りに身を任せると、存外何でもできるものだと思って殴り飛ばした黒服を見ていた。対して、地面に倒れ込んだ黒服は短い間を開けて笑いを起こす。

 そんなに俺に殴られたことが面白かったのか、黒服は立ち上がるや堂々と声を高ぶらせる。


「かつて、ここまで面白いことがあっただろうか!! 神と戦いを起こしたことはあれど、よもや人間に……一介の小僧に手傷を負わされるとは――いやはや、どうにも世界は面白い!!」

「そうかよ……ったく、全然ダメージになってねぇじゃねーか」


 ここにきて、平和な日常を恨みたくなる気持ちを抑えて、俺は拳を前に構えた。

 俺の左目には限定解除された能力が備わっている。といっても、解除された能力はたった一つで、敵の攻撃気道の先読みだ。しかも、数秒未来の攻撃なので、雷が武器な黒服にはほとんど意味を果たしていないと言えるだろう。しかし、攻撃を致命傷にしないようにするという意味合いであれば、十二分に強みになり得る。


 あとは、体が黒服の攻撃に追いつくかどうか、か……。


 苦虫を噛み潰すような思いで黒服を見る。

 どうにも分が悪い。ダーインスレイヴの武器化は未だわからず、本来対神武装として用意されたものであっても、武装化しないダーインスレイヴの出力は神様には遠く及ばない。

 俺についても同じだ。死ねない体とやらが一体どういうものなのかはわからないが、腕力を含め筋力の増強もない今の俺では、先程の攻撃が限界だろう。

 対して、黒服は人一人を容易く焼き焦がす雷撃と、俺の腕力では傷つかない体を持っている。戦力差は明白。絶望的な戦況と言える。


 こんなことなら、タナトスからほか二つの武装もぶん取って来るんだった……。


 嘆く俺を他所に、黒服の反撃が始まる。

 天から三柱の雷撃が落とされる。未来視で落下地点を捉えていた俺は、遅れながらもそれを避けるが、雷の速度を避けきるのは難しく、最後の雷撃で足を貫かれた。

 全身を走る熱が意識を焼き切ろうとする。加えて、体が雷撃に耐えられずに宙に飛んだ。なんとか意識を保たせた俺は、落下の衝撃に耐えるべく、硬直気味の体で受け身を取る。


「くッ……ってぇな、おい」

「きょーちゃん!」


 駆け寄る麻里奈に支えられながら、俺は痛みが和らいでいくのに気がついた。しかも、それが麻里奈のせいではないと悟ると、俺は先程貫かれた足を見て驚愕する。

 炭のようになった足が、見る見るうちに瑞々しい足に戻っていく。これが、死ねない体の謂れだと気がつくと、自分という存在が嫌になってくる。


 本当に、人間じゃなくなってるのかもしれないな。神々の世界に行ったとき、麻里奈が怒った理由が何となくわかった気がするよ。


 でも、そのおかげで今、自分はここにいられるのだと考えると、やっぱりタナトスには感謝するしか無いだろう。この体がなければ、俺はとっくに死んでいたはずだ。

 しかし、それがわかったところで戦況に変わりはない。結局、俺が不利なことが変わらないのだから、このままではジリ貧だ。

 しかして、麻里奈が苦しむ俺に告げる。


「私に考えがあるの」

「……それは自分を犠牲にするようなことじゃなくてか?」

「こうなったら私も戦うよ。私が使える最大の攻撃……破神の弓を使う」

「よくわかんないけど……俺はどうすればいい?」

「三分時間を稼いで」

「きっついなー……まあ、やってみるか」


 痛みが大分よくなってきた頃合いだ。俺は立ち上がり、動けるかどうかの確認の後に、俺が立ち上がるのを待っていたであろう黒服に目をやる。


「俺を倒す算段はできたか、擬人神?」

「ったく、俺の名前は御門恭介だ。擬人神んなもんになった覚えはねーよ」


 未だ本気を出したとは思えない黒服相手に、三分間の時間を稼ぐ地獄の始まりである。

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