第15話 俺による、俺を救う戦い
玄関を出ると、そこにタナトスの影があった。ダーインスレイヴの手を引く俺は、その姿を捉えて立ち止まる。タナトスの方も俺を視認して、少し呆れるような物言いの顔になった。
「行くのかい?」
「……全部わかってたな?」
「質問に質問で返すのは礼儀知らずというものさ。仮に、僕がすべてを知っていたとしても、君の行動は変わらないはずだ。その前提を前にして、僕は君に問うている。本当に、行くのかい、とね」
「行くさ。来ないでほしいっていうのがあいつの願いだったとしても、俺は行く。たとえ、お前がすべてを知っていたとしても、俺は今、麻里奈を助けに行く」
言葉が交わされる。されど、道を開けようとしないタナトスは、それでは足りないという顔だ。一体、幼馴染を助けるのにどれだけの決意をしなければならないというのだろう。
宙を浮くタナトスは、いつにもまして真剣な顔だ。むしろ、出会ってこの方、見たこともないほどに真面目だ。それほどまでに切羽詰まっているということだろう。俺が、麻里奈に会いに行くのはタナトスには不利益になっているようだ。
理解しているつもりだった。俺は今から神様と喧嘩をしようっていうんだ。しかも、タナトスが与えてくれた切り札である左目は未だに未完。着床を待たずして、その機能を使おうとしている俺に、タナトスが疑念を持つのは当然の話だろう。
それでも、俺は行かなくちゃいけない。助けてほしくないって言うやつが、助けてほしいと願っているなんて自明の理だ。それが、神様との婚約で世界を守ろうとしているやつのことならなおさらだろう。
麻里奈の行為は贄としてのそれだ。自分の犠牲で誰かを助けようなんて、思い違いなんだ。それを正そうとする俺の行為も、やっぱり思い違いなんだろう。誰かの決意を揺るがすのは悪なんだろう。それでも、俺にとってのこの結末は最悪で、許しがたいものだった。
わかってる。選択肢のない人間に、俺のような行為は迷惑でしか無いことなんて。だから、これは俺のお節介だ。認められない現実に対するわがままなんだ。
麻里奈を助けるだなんて言っておきながら、その実は俺の勝手な想いで麻里奈の決意を
それでも――。
「それでも、俺の決意は変わりはしない。俺は、あいつを助けるよ。麻里奈は覚えていないだろうけど、昔にそう約束したんだ。これが俺の勝手な行為だと思われたって構わないさ」
「その約束に意味はあるのかい? 裏切るのが人間の
「なあタナトス。お前が俺に与えた左目は、こういうときのために使うものじゃないのか? それとも、お前にとって麻里奈は普通の人間じゃないっていうのか? もしもそうだって言うなら、俺は今、左目をえぐり取るよ」
そう言って、俺は自分の左目を覆うように左手を添える。それを見ても動じないタナトスの目には、薄っすらと暗くなる。それが殺気だと気がついたときに、俺は左目から手をどけて、一段と怖いタナトスに向かって言葉を使う。
「タナトス。俺は麻里奈を助けに行きたいんだ。自分の犠牲で誰かを助けようっていうのは間違いだ。現実の人間はもっと自分勝手なはずなんだ。他人より家族を、家族よりも自分を大切にするのが
「………………君は愚かだ」
静かに、タナトスはそうつぶやいた。
その後に、やれやれと首を振るタナトスの表情が、少しほころんでいるのを見て、俺はなんとなしに微笑んだ。きっと、タナトスにはこうなることがわかっていたのだ。それでも、どうしてこうなったのかを見極めたかったのではないかと思う。そうして、合点がいった言葉で、タナトスにとっての疑問はなくなったように感じた。
「その左目の使い手としては最低だ。でも、僕が望んだ人材としては君以上の人間はいないだろうね。やっぱり、僕の目は間違っていなかったわけだ。君は最低で最高だっ。…………わかるかい? 君は今、
興奮したように宙を舞いながら、タナトスの叫びは街中に響くように大きくなっていく。その様子に怯えるようにダーインスレイヴは俺の後ろに隠れてしまった。言動はああでも、タナトスは神様だ。しかも、死の神様である。その叫びに、どれだけの威圧があるだろう。
でも、不思議と俺は怯んでいなかった。まるで、自分の中で恐怖が麻痺しているかのように平然としていたのだ。これもタナトスのせいだろうか。それとも、左目のせいだろうか。俺の体はすでに、神様と戦えるようになっていたのだ。
俺はこれから、神様である黒服と喧嘩をするんだろう。麻里奈が望もうが、望むまいが関係なく、俺は俺から麻里奈を奪おうとする黒服と戦うことになる。どのような結果になろうとも、俺に一切の悔いはない。だってこれは、麻里奈を助けるための戦いではなく、俺の勝手なわがままから始まる戦いなんだから。悔いなんてものは、初めから存在しない。
俺が麻里奈を探しに行こうと足を進めると、再びその先にタナトスが立ちはだかった。しかし、今度は邪魔を使用というのではないようで、いつもの笑みに戻っているタナトスは、最後に俺に問うてきた。
「無闇に彼女を探すのは効率的じゃない。僕の質問に答えれば、一瞬で彼女の元まで連れて行こう。今度は、質問で返してくれるなよ?」
「わかったから、早くしてくれ」
「君は彼女を自分の命よりも大切にしているようだけれど、君の言葉通りだったらそれは間違っているんじゃないのかい?」
「あぁ? ……はぁ、わかってないな」
「……?」
「麻里奈の料理はすごく美味いんだ。特に味噌汁なんて絶品だ。掃除だってやってくれるし、洗濯も嫌がらない。毎朝、寝起きが悪い俺を起こしてくれるし、いつだって俺の味方でいてくれる。麻里奈がいなくなったら俺はそのすべてをしなくちゃいけないんだぜ?」
「つまり、良いお手伝いがいなくなるって?」
「違う違う。俺の体は麻里奈がいないと生きていけないようになっちまってるって話だよ」
不甲斐ない話だが、長期転勤が多い俺の両親の代わりに、雑事はすべて麻里奈が行ってくれた。料理はできるようになれと麻里奈に教えられたが、今では当の本人がすべてをやってくれるため、他の男子よりは美味い程度で停まっている。掃除洗濯もできるが、今となっては面倒でしたくもない。
俺にとって、麻里奈はいてくれないと困るを通り過ぎて、いてくれないと死んじゃうレベルだ。むしろ、俺の一部なんじゃないかと間違えたときだってある。無論、言葉にしたら白い目で見られたから、二度と言いはしないが。
だから、これは本当に俺のわがままなんだ。加えて、俺をこういうふうにしておいて、勝手にいなくなろうとする麻里奈への八つ当たりでもある。つまるところ、俺は麻里奈を取られることが嫌なのだ。
「何より、麻里奈のあの体を見せつけられる生活を、いまさら手放そうなんて思うわけ無いだろ?」
予想もしない言葉を受けて、タナトスはキョトンとした顔になり、次には大笑いをしだした。
それにつられて、俺も笑ってしまう。そんな理由で他人の決意を蔑ろにしようとする俺は、やっぱり人間だ。自分勝手なただの人間だった。
「良いよ! 良いよ、良いよ、良いだろう! やっぱり
そういうタナトスの背後に、大きな扉が現れる。どことなく青いたぬきが出しそうな扉で、もしかしなくても、その扉をくぐれば麻里奈がいる場所に出るんだろうなと思いつつ、俺は神様っていうのは何でもありだって思ってしまう。
加えて、俺は捨て台詞のように、タナトスに告げる。
「大げさだな。俺はただ、かわいい幼馴染を取り戻しに行くだけだぜ?」
扉をくぐる。その先で、俺は黒服の姿と、目に涙を浮かべる麻里奈を見つけて、奥底で隠れていたどす黒い感情が一気に爆発するのを感じるのだった。
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