第14話 儚い世界

「人生とは、儚くも美しいとはよく言ったものだとは思わないか?」

「……それ、今の私には当てつけにしか聞こえませんが」


 夕暮れに沈む高校の屋上。実はそこに神々の世界へと通じる祭壇は建てられていたのだ。

 勝ち誇るように笑みを浮かべる男は、見慣れた黒いスーツを着てはおらず、それに付随した燕尾服を身にまとっていた。その側で控えているのは、白無垢を身にまとっている麻里奈である。

 たった今、神々との婚約を成就させる前段階の最中であった。この儀式で必要なのは麻里奈だけで、黒服はいてもいなくても良かったのだが、何やら予感がすると言って儀式に紛れ込んでいたのだ。黒服と婚約を結ぶというのに、新婦の方には目もくれず、黒服の瞳には一寸たりとも麻里奈の姿など写してはいなかった。


 麻里奈には確信があった。黒服の瞳に写っているのは、見知った男の子だということに。世界一バカで、鈍感で、どうしようもない男の子だと言うのに、彼と一番長く付き合っている麻里奈には、わかってしまう。幼馴染とは、本当に嫌になると、麻里奈は心の中でつぶやいた。

 そうして、麻里奈は白無垢姿で黒服に、さらに近づいていく。瞳に写らないと知っていても、聞く耳を持たないとわかっていても、これだけは言っておきたいのだと、声を大にして言うのだ。


「きょーちゃんなら、来ませんよ」

「……なにかしたのか」

「私は、あなたときょーちゃんを戦わせないためにここにいる」

「ほう……あくまで人類の救済のためではないと?」

「もちろん。人類なんて、絶滅したほうが良いと思ってますし?」


 麻里奈の一言を聞いて、黒服は一瞬驚いたような顔になった。その後、すぐに腹を抱えて笑い出す。その姿を見ても、麻里奈は動じずにただ黒服の行動を見ていた。

 そして、笑いを堪えられるまでに回復した黒服は、未だに腹を抱えつつ麻里奈へと言葉をやる。


「ういやつよな。よもや、好きな男のために神々と婚約を交わすとは。しかも、ついでに滅びても良いものを救うか。ふふっ。もう少し早くに出会っていれば、きっと興味はお前に向けられただろうにな」

「断固お断りしますので。そもそも、きょーちゃんのことをそんなふうに見たことなんて一度もないですし。それに、ただで婚約を交わすわけでもないですし」


 興味が向けられていただろうに、という言葉を経て、麻里奈は黒服が本気恭介を殺すことを決意していることを悟る。ここで、自分が犠牲になったとしても、守りたいと思ったものが守りきれるかという不安を残しつつも、今の麻里奈にはそうする以外に選択肢は残されてはいなかった。


 麻里奈の婚約の理由は二つ。

 一つは恭介を、この神々の世界と完全に切り離すこと。すでに古の罪人の手で作られた魔義眼を手に入れてしまった以上、完璧とは言えなくとも、十年……いや二十年は時間を稼いでみせるつもりであった。

 もう一つは、生物としての自由を手に入れることである。昔から、神々とのシンクロ率が高かった麻里奈は、祖母により修行称して贄としての研鑽を積まされた。その暮らしに自由などはなく、麻里奈にとっての自由とは、神々との婚約を持ってなされる算段であったのだ。


 以上、二つを得るためにとった行動は今、成就の時を間近と迫っていた。残り数刻。それを待てば、麻里奈は晴れて自由に世界を渡り歩ける。多少の制限は課せられるだろう。いずれは黒服の子を成さなければならない。しかし、それまでの間は確かな自由が存在した。


 だが、麻里奈の心はいつまで経っても晴れはしなかった。


「浮かない顔だ。なにか悪いことでもあったか」

「……現在進行系で悪いことなんですが」

「それは失礼した。曲がりなりにも神々と婚約を結ぼうとするような豪胆を持つ生娘だ。婚約成就を今かと待ち望む間は、よほど悪いものだったか」


 まるで何もかもを見透かしたかのような瞳は、やっと麻里奈の姿をくっきりと写した。そこに写った自分の姿を見て、麻里奈はやはり異変を感じる。

 今日この日までずっと願ってきたときが近づいているというのにも関わらず、麻里奈の心は一向にその時が来るのを拒んでいたのだ。理由などわからない。だが、確信を持てるほどに心が、この婚約に待ったをかけるのだ。


 心の叫びの意図がわからず、麻里奈は困惑する姿を必死に隠しながら黒服から数歩離れる。

 だが、その実、殆どを見透かしていた黒服は、離れていった分だけ近づいていき、麻里奈の顎に指を添えてそっと持ち上げる。お互いの瞳に互いの姿が写る。麻里奈の瞳いっぱいに写った黒服の顔は、やはり笑みを浮かべているものだった。


「それで隠しているつもりか……いや、まさか理解していないのか」

「な、何がですか……?」

「くっくっく……あの男は、貴様にとってはそんなに大切か。貴様の人生を左右されてもいいほどに守らねばならないものか」

「も、もちろん。きょーちゃんはこっちの世界に来てはいけない人で――」

「そうじゃない。俺が言っているのは、そんな理屈を抜きにした純粋な貴様の気持ちよ。貴様は、強盗にあの男が狙われたら命を張って助けるのか」

「……もちろん。私は、私が死んだとしてもきょーちゃんを助けるよ」


 麻里奈の瞳には確固たる決意が垣間見えた。

 その様子を目に写して、とうとう黒服は大笑いをし始める。笑われようが、バカにされようが、麻里奈はその言葉に恥じを感じなかった。恭介と出会って今日に至るまで、麻里奈は一度たりとてそのことを間違っているだなんて思わなかったし、それが正しくて然るべきだと考えている。

 だから、黒服がどれだけ笑おうとも、麻里奈は動じなかった。


 しかして、黒服の次の言葉を以て、それは瓦解することとなる。


「くくく……貴様は知らんようだから教えてやろう。人は、貴様のあの男への態度を、恋と呼ぶんだ。大分歪んではいるが、まずもって間違いはない」

「………………なっ!?」


 耳まで真っ赤になった麻里奈が、上ずった声で反応する。至極真っ当に、自分が考えていることを他人に言ったのはこれが初めてだ。まして、相手が神様ともなればなおさら。その答えが、まさかの恋という。

 麻里奈も高校生だ。恋バナの一つや二つもしたことがある。けれど、ただの一回とて恭介でそういう話になったことはなかったのだ。完璧な麻里奈が、恭介なんていう平凡な学生を選ぶなど有り得ないというジンクスが、はては自分にまで影響するとは思いもよらなかったのだろう。

 黒服の言葉を頭の中で連呼する麻里奈は、今までの行動や態度を思い出して、もしかしたらと心を揺れ動かす。なかには、だとしたらあの行動は、という部分も含まれていて、恥ずかしさの余り顔が熱くなったのだ。


 結果、麻里奈は神々との婚約を間近にして気がついたのだ。

 自分が、恋をしていたのだという事実に。


 だが、時はもう遅い。別れの手紙を据え置き、神々との婚約は今、成就の時を迎えようとしている。あと数十分で、麻里奈は人間には戻れない。神族となり、神の子を成すのだ。

 一瞬とも思えるような時間の中で、黒服は麻里奈に言った。


「だが、それはさておくとして、貴様は最初に言った言葉を訂正しなくてはならないな」

「……訂正?」

「見ろ。やはり、人生とは儚くも美しいものだ。貴様のようなやつが、まさか二人もいようとは」


 指差された場所は屋上の扉。儀式に際して、立ち入れるのは麻里奈と黒服だけだったはずの場所に何故か、もうひとりの影があった。

 見慣れた背丈。急いでいたのか肩が上下に動いている。にらみつけるような視線は、しっかりと麻里奈を掴んでおり、麻里奈もまた視線を人影に向けたまま離せなくなる。


 来るなと言えば来る。来てほしいと言っても来る。本当に人生とはままならない。守りたいものが、一番来てほしくないときに来てしまうなんて。でも、麻里奈の心は違う答えを出していた。


「どうして…………どうして来ちゃったの、きょーちゃん」


 すっと、涙の一滴が瞳から流れた。麻里奈の心は今、恭介にすべてをめちゃくちゃにしてほしいと願っていた。やっとわかった思いを成就させてみせたいと、儚くも思ってしまったのだ。

 そして、恭介は一歩前へと出て、鋭い視線を黒服へと向けると。


「おい黒服。俺の幼馴染を………………泣かせてんじゃねぇよッ!!!!」


 激しい怒号が屋上に響き渡った。

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