第26話 一之瀬さんと暗い小道

 一之瀬いちのせさんに連れてこられたのは、通路の端、いくつもの店を通り過ぎた人気のない場所。

 

 照明すらない、路地裏のようなその場所は、通路の方から伸びる光でギリギリ辺りを目視できるが、それでも少し離れれば相手の顔がぼやけるほど暗い。

 

 こんなところに連れ出して、一体なにをする気なのか。正直嫌な予感しかしない。

 

 

「それで一之瀬さん、どうしてここに?」

 

「先輩……」

 

 一之瀬さんは静かに振り返り、碧眼を光らせ俺を見つめる。

 

 その眼光に、なぜか俺は身動きが取れなくなっていた。まるで蛇に睨まれた蛙のように。

 

 な、なんなんだ……?

 

 言うことを聞かない体と俺を見つめる一之瀬さんに、ただただ動揺してしまう。

 

「先輩……」

 

 一之瀬さんは俺の手を掴み、小さいながら力一杯俺を引っ張ってくる。

 

 また少し、通路から離れる。音が遠ざかり、更に暗くなる。

 

 一之瀬さんはジッを俺を見つめ、

 

けい、先輩……」

 

 掴んだ俺の手を、おもむろに自らの胸に押し当てた。

 

 掌に柔らかい感触が当たる。

 

 …………………………………………は?

 

 突然すぎる出来事に、俺はしばらくの間固まってしまった。

 

 だがすぐに気を取り戻し、咄嗟に手を払い一之瀬さんから距離を取る。

 

「ドキドキしませんでしたか?」

 

 恥じらっているのか、頬を紅潮させながら一之瀬さんは首を傾げた。

 

 なるほど、暗い小道に女の子と二人っきりで、更に女の子の胸を揉む、か。確かにドキドキする状況だな。

 

 俺は現状を客観的に把握し、一之瀬さんの意図を察する。

 

 旧校舎の屋上に呼び出されたときといい、一之瀬さんの行動は理解に苦しむが……。

 

 取り敢えず俺は一之瀬さんの肩を掴み、更に奥へと追いやる。

 

 一之瀬さんは「せっ、先輩?」と動揺を露にするが、それは無視。

 

 壁際まで移動させると、肩に置いていた手を引き──ドンッ! と勢いよく壁に突き付けた。

 

 いわゆる、壁ドンというやつだ。

 

 一之瀬さんはビクッと肩を跳ねさせ、怯えた表情で俺を見上げてきた。

 

 さすがの一之瀬さんでも、これは怖いみたいだ。

 

 

「どうだ、一之瀬さん」

 

「な、なにが、ですか……?」

 

 震えた声音で尋ね返してくる一之瀬さん。

 

「いつも誘うように挑発してくるけど、もし相手が強引な奴だったらこんなことになるんだ」

 

「わかったか?」と一之瀬さんの目をジッと見つめる。

 

 一之瀬さんは少しだけ目を伏せて、そのあと俺の目を見返してきた。

 

 ポッと頬が赤くなる。

 

「慧先輩なら、いいですよ……っ?」

 

 なにがいいんだ、なにが。

 

「なにもよくないし、俺はなにもしないぞ」

 

「……そんなに私、魅力ないですか?」

 

 赤らめていた顔を青くさせ、一之瀬さんは涙目で尋ねてくる。

 

「んー、魅力はあると思うぞ?」

 

 実際、ナンパ野郎に目を付けられるくらいには魅力はあるのだろう。それに一之瀬さんは天然の銀髪で、容姿もかおるには劣るが良い方だし、街中でアンケートを録ったら十人中八人くらいは魅力的と答えるのではないだろうか。

 

 そんな意見を述べると、またまた一之瀬さんは赤面。赤、青、赤と忙しいやつだな。

 

「その、慧先輩は、私のこと魅力的だと、思いますか?」

 

「どうだろな、わからん」

 

 あくまで一般的に考えれば魅力的という話で、俺個人としては特になにも感じない。

 

 どこかの先輩のように、爆弾を抱えているというのであれば俺でも意識はしてしまうが……一之瀬さんは触った感じ薫よりも少し大きい程度だし、一般男子の劣情を煽るまでは、いかないのかもしれん。

 

 ただまぁ、下着を見せたり胸揉ませたりすりゃ大半の男子は暴走するだろうな。

 

「そう、ですか……」

 

 赤くなったと思いきや、今度は暗い表情で肩を落とした。

 

 もうわけわからん。

 

 

 それから一之瀬さんが落ち着くまで、俺は頭を撫で続けるのであった。

 

 

     ◇   ◇   ◇

 

 

 時刻は四時過ぎ。そろそろ空が朱色に染まり始める頃。

 

 一之瀬さんとのデート(仮)は無事? に終わり、俺たちは駅まで戻ってきていた。

 

 一之瀬さんはあれから喋ろうとせず、ただ哀愁漂わせ俯くのみ。

 

 傍から見れば俺がなにかをして悲しませたようになっているので、是非とも止めていただきたい。

 

 周りの人の視線が痛いし。

 

 

「よし、じゃあもう解散するか」

 

「そう、ですね」

 

 俺の提案に一之瀬さんは賛同して、俺に背中を向けた。

 

 一之瀬さんの背中姿は、まさしく彼氏にフラれて傷心したようだ。

 

 なぜだろう、周りからの視線がより鋭くなった。

 

 俺はため息を吐き、とぼとぼと歩く一之瀬さんを追いかけ捕まえる。

 

「なんですか、先輩」

 

 慰めは不要だと言わんばかりに俺を睨み付けてくる。

 

「まぁ、なんだ、本当に時間が空いてて暇なときだったら、また付き合ってやる」

 

「後輩を手助けするのも先輩の役目だしな」なんて付け足すと、暗くなっていた表情はパァッと晴れ、

 

 

「はいっ♪」

 

 

 一之瀬さんは元気に頷いた。

 

 いろいろ大変だったが、こんなのもたまには悪くない。そんな感想を抱きながら、俺は薫の待つ家へと歩き出す。

 

 かくして、脅迫から始まったデート(仮)は幕を閉じたのであった。

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