第18話 九条院先輩とお手伝い

 二日間という休日を過ごし、やってきた月曜日。

 

 俺はいつもより早く起床し制服に着替えてからリビングへと降りた。

 

「おはよー、お兄ちゃん」

 

「おはようかおる。いつも早いな」

 

 台所では既に薫が制服エプロン姿という心くすぐる格好で朝食を作っていた。

 

 その姿を見るだけで、登校しなければならないという億劫な気持ちが晴れていく。

 

 嗚呼、神よ……俺はこの光景を見るために生まれてきたのですね……。

 

 

「お兄ちゃん? もうちょっと時間掛かるから顔洗ってきてー」

 

「ん、わかった」

 

 俺は薫に促され洗面所に向かい冷水で顔を洗う。ついでに髪も整えリビングに戻る。

 

「お兄ちゃん、もうちょっと待ってー。あと少しで弁当できるから」

 

「おう」

 

 俺は頷いて席に着くと、用意されていたコーヒーを啜りながらテレビへと目を向ける。

 

 本日も相変わらず事件だのなんだのニュースばかり。高校生としては見ていて面白いものではない。

 

 淡々とニュースを見ていると気が滅入るので、チャンネルを適当に変えていく。

 

 んー、平日の朝だし面白いものもないか。

 

 

「お待たせー」

 

 それから数分経ち、薫が昼食の弁当を作り終えこちらにやって来た。

 

「お疲れ、いつもすまんな」

 

「んー、大丈夫。私がしたくてしてるから」

 

 ニコッと微笑む薫に、俺は涙を流しそうになった。

 

 なんて良い子に育ってくれたんだ……っ。

 

 もう感動で前が見えない。

 

「ほらお兄ちゃん、食べよ?」

 

「あぁ、そうだな」

 

 そんな風に、俺たち兄妹の時間は緩やかに過ぎていった。

 

 

     ◇   ◇   ◇

 

 

「こんにちは、偶然ね」

 

「呼び出しておいて偶然はないでしょ」

 

 時間進んで昼休み。今日も大和やまとと屋上で昼食を摂るはずだったのだが、九条院くじょういん先輩の呼び出しを喰らって図書室に馳せ参じたのだ。

 

 そしてなぜか今、図書室は閉鎖されている。

 

 犯人は俺の目の前にいる先輩なのだろうが、そんなことをする理由がわからない。

 

「で、用件はなんですか?」

 

「手伝ってほしいの」

 

 俺の質問から間髪入れずに答える先輩。

 

 聞くとどうやら今日の昼休み、つまりこの時間に新しい本が届くらしい。そしてその本を昼休みと放課後を使って本棚に並べてほしいと先生から頼まれたのだと。

 

 俺を頼ってきたのは、今日運悪く他の図書委員が体調不良で休んでいるからであって他意はない──と語っていた。

 

 最後の部分は疑わしいが、まぁ先生に頼まれた仕事なら断りづらいし、断る理由もない。

 

 俺はため息を溢して、渋々了承した。

 

 

 記載していなかったが、図書室は校舎の三階にある。そして新しく届いた本は一階のピロティに置かれているらしい。

 

 俺は少しの量かと思ったのだが……。

 

「これは多いですね」

 

「そうね、だからけい君を呼んだのよ」

 

 なるほど、と俺は素直に納得する。

 

 眼下に広がるのは、百を優に越えた文庫やら図鑑といった書籍の数々。これなら友人ではなく俺を頼ってきたことも理解できる。

 

 一体何往復すればいいのだろうか。

 

「慧君、早く運ぶわよ」

 

 本の山を見て億劫になっていると、九条院先輩は平然と本を抱え促してきた。

 

「わかりましたよ」

 

 面倒な用件を引き受けてしまったな、そう若干後悔しながら俺は本の詰まった箱を持ち上げる。

 

 すると先輩が驚いたように目を見開いた。

 

「男子だからと思ったのだけど、そこまで力があるなんて意外だわ」

 

「そうですか? 俺はまだ非力な方だと思いますが」

 

「それで非力なら、この学校の男子生徒のほとんどは非力だと思うわ」

 

 なんて褒めてくるので、俺は少し気恥ずかしくなり先輩をおいて先に階段を駆け上がる。

 

「ちょっとっ、わたしをおいて行かないでよ!?」

 

 そんな声が聞こえたが、俺は無視した。

 

 

     ◇   ◇   ◇

 

 

 結局本を運ぶのは昼休みだけでは終わらず、仕方なく放課後もその作業に費やすこととなった。

 

 折角の薫といられる時間が……くっ、昼休みに終われなかった自分の非力が妬ましい。

 

 なんて愚痴もほどほどに、昼休みと同じように先輩は数冊を抱えて、俺は箱を持ち上げピロティから図書室へ往復すること小一時間。

 

 

「……やっと終わったわね」

 

「そうですね」

 

 んーっと九条院先輩は背伸びをする。先輩の凶悪的な胸が揺れ、先輩に興味のない俺ですら少しの間だけ魅了されてしまった。

 

 やはり胸は男のロマンなのか。

 

 抗えない男のさがを実感していると、ふと先輩からジトーとした視線が送られていたことに気付く。

 

「どうしたんですか先輩」

 

「いえ、慧君も思春期真っ盛りの男子なんだと感心していたのよ」

 

 なんだその言い方は。

 

「だって慧君、わたしの胸に視線が釘付けだもの」

 

「なっ!?」

 

 女性はそういう視線に敏感だと聞いたが、まさかホントだったとは。

 

 俺は咳払いをして視線を逸らし、

 

「すいません」

 

「別に謝ることじゃないわ。だって慧君も性欲お盛んな男子だもの、仕方ないわ」

 

「人を発情期の猿みたいな言い方しないでください、心外です」

 

「そう、ごめんなさいね。この前後輩の男子が『九条院先輩に筆下ろししてほしい』なんて会話をしていたから慧君も一緒なのかと」

 

「ホントに失礼ですね」

 

「だから謝ってるじゃない、悪意はないわ」

 

「それはわかってますよ」とため息交じりに言葉を返す。

 

 まったくこの先輩は、黙っていれば知的な先輩なのに、口を開けば上から目線の発言や下ネタのオンパレード、残念すぎる。

 

 

「それじゃあもう終わりましたし、俺は帰ります」

 

 もう帰ろう、帰って薫に甘えよう。そう考えていると先輩が「ちょっと待って」と声を掛けてきた。

 

「なんですか?」

  

「その……このあと少し時間あるかしら」

 

「帰りたいんですけど」

 

「うっ、その……お礼がしたいの」

 

 お礼、か。つい一昨日聞いたなぁ、そのセリフ。 


 俺はため息を吐き時間を確認する。午後六時前、時間がないかと訊かれればまぁ大丈夫ではある。

 

「どう、かしら?」

 

 先輩は可愛らしくコテッと小首を傾げ、上目遣いで尋ねてくる。

 

 仕方ない、薫に遅れるって伝えとこう。

 

 俺はため息を溢し、ゆっくりと頷いた。

 

 先輩はとても嬉しそうに、朗らかに微笑んだ。

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