第2話「大蛇の槍」

◆第5節 都さくらと大蛇の槍◆


「ちょっといいかな?」


 一同がレイについて話し合う中、私の隣に座るかえでが手を挙げた。


「なに?」


「あのレイって奴の正体に繋がるかもしれない情報なんだけど……あいつが使ってるの、多分妖術だと思う」


「えっ、そうなの?」


「うん。かなり複雑な術式みたいだけど、あたしたち妖狐と同じ気配がする」


「じゃあ、レイも妖狐ってこと?」


 私はかえでに尋ねた。


「うーん、そういうわけでもなさそうなんだよね。妖術なのはほぼ間違いないんだけど、制御の仕方が違うというか……」


「制御の仕方……」


「あたしたち妖狐は、頭の中で術式を組み立ててそれを使う。喩えるなら、暗算をしているイメージ。だから直感的に術を使える代わりに、複雑な術式は扱いづらい」


 そう言うと、かえでは私が手にしているバインダーファイルを手に取った。


「で、お姉ちゃんが使っている魔法は、紙の上で術式を組み立ててそれを使う。喩えるなら、計算式を紙に書いているイメージ。だから複雑な術式でも扱えるけど、融通が利かない」


 この辺りの話は、かえでから魔法を教えられた時にも少し聞いた。現冥境は複雑な術式で構成されているから、彼女の妖術では分解できないということだったはずだ。


「それに対してレイの妖術は……計算機を使っている感じなんだ。複雑な術式なのに、手軽に素早く扱えている、みたいな」


 確かに、レイは現冥境に手を触れただけで分解していたし、私が魔法を使う時みたいに呪文らしき言葉を言っているようにも見えなかった。


「つまり、どういうこと?」


「妖術を扱うための生き物として生まれた、とでも言えばいいのかな。すごく人工的な感じがするんだよ」


 人工的……レイは誰かに作られた、ということなのだろうか。でも、誰が何のために……?


「妖術ってことは……七星のあの式神で封じられるんじゃないかな?」


 臨さんの体を借りているソラが言った。


「あっ、確かに!」


 そういえば、七星は妖術を封じる式神を持っていた。黒くて丸い式神で、あれを出している間はかえでの妖術も私の魔法も使えなかったのだ。


「よし……行こう、七星のところへ」


 私たちは、七星に会うために雲天山へと向かった。


 ──


「こっちこっち」


 かえでは軽い足取りでスイスイと駆け上がり、私たちを待っていた。彼女と一緒に生活し始めてから慣れたつもりでいたけど、こういう時に人間ではないのだということを思い出す。


「あれ?」


 私と一緒に最後尾を歩いていた皆美さんが、突然後ろを振り向いた。


「どうかしましたか?」


「いや……今、後ろに誰かいたような気がして……」


 私も後ろを見てみたけど、特に誰もいない。


「気のせいかな……」


 ──突然、キャウーンという高い声が聞こえた。犬か何かの悲鳴のような声だ。


「七星!?」


 かえでが慌てた様子で走り出し、私たちもその後を追う。するとそこには、槍を持ったレイが立っていた。


「レイ!」


「はろー。……遅かったね、ちょうど今終わったところだよ」


 見ると、レイの足元には黒いキツネが転がっている。あれは、七星の本来の姿……?


「お前、七星に何をした……?」


「君たちが考えた通り、七星の惑神は僕にとっても邪魔でね……排除させてもらったよ」


 淡々と言い放つレイに、かえでが見たこともないような表情で怒りをあらわにする。


「よくも……よくも七星を!」


 かえでが式神・鎌鼬を出現させ、目にも留まらぬスピードでレイに攻撃を仕掛ける。が、レイの姿が消えたかと思うと、かえでの後ろに立っていた。


「ぐっ……」


「かえで!!」


 かえでの背中に、深々と槍が突き立てられる。直後にかえでは力なく崩れ、そのまま地面に横たわった。


「そんな……かえで!かえで!!」


「さくらちゃん下がって!」


 直後に何かが弾けるような音がして、レイが素早く体を反らした。


「おっと」


「くっ……避けられた!」


 どうやら、皆美さんが手にした銃みたいなものでレイを撃ったらしい。


「安心して。殺してはいないから」


「え……?」


「この大蛇おろちの槍は、突き刺した相手の魂を切り離して封じ込めることができるんだ。今、かえでと七星は体を動かすことができないし、周りで起こっていることもわからないけど、死んだわけじゃない。僕の目的が達成されたら、きちんと元に戻してあげるよ」


「どうして……どうしてこんなことをするんだ」


 臨さんが言った。


「僕だってこんなことがしたいわけじゃない。けど、僕の邪魔をされると困るからね」


 レイが落ち着いた様子で答える。


「君たちが僕にアカネを引き渡してくれれば、全部すぐに終わるんだよ」


「ふざけやがって……!」


「よせ、アカネ!」


 レイに殴りかかろうとしたアカネを、臨さんが制した。おそらくはソラの意志だ。


「レイの目的がわからない今、一番やられたらまずいのがお前なんだ」


「くっ……!」


 もしあのままレイに近づいていたら、かえでや七星と同じ運命を辿っただろう。とはいえ、七星もかえでもやられてしまった今、こちらからレイに対する有効打もない。


「よくわかっているね、ソラ。ついでに教えておくと、僕の目的は君たちにとって不利益になるものではないよ」


「なに……?」


「君たちが協力してくれればこれ以上の犠牲を出さずに終わるし、君の魄も、かえでと七星も元に戻る。僕の目的が達成されても、君たちには何が変わったかはわからないだろうしね。つまり、おとなしくアカネを引き渡すことがお互いに得ってことだよ」


 レイは、私たちに交渉を持ちかけているんだ。このまま戦いを続けるか、それとも終わらせるか。……レイの言うことが本当ならば、確かにおとなしく従った方がいいように思える。けど……。


「レイ……“マスター”って何?それを召喚すると何が起こるの?」


 臨さんが、揺るぎない声でそう尋ねた。


「悪いけど、それは教えられない」


「そうか……じゃあ、僕たちも君の提案には従えない」


「ふふっ……やっぱりそうなるかぁ」


 レイが懐から扇子を取り出したので、私はとっさに腕で顔を覆った。


「じゃあね。君たちが後悔しないことを祈るよ」


 扇子を扇ぐと、またしても旋風が起きる。私は、せめてレイを見失わないように腕の隙間からその姿を凝視したけど、やはり一瞬で見えなくなった。


「くそっ!」


 陽介さんが叫んだ。……あれ、陽介さん、あんなところにいたっけ?


「今、時の剣こいつを使って奴を止めようとしたんだが、ダメだった……あいつ、時間が止まった世界でも平気で動いていたし、旋風も止まらなかった……」


 なるほど、陽介さんは時の剣を使ってレイを捕まえようとしたのか。でも、どうやら効果はなかったらしい。


「なあ、こいつらどうするんだ?ここに置いておくわけにもいかないだろ」


 闘也さんが、地面に倒れたかえでと七星を見て言った。


「では、こっちは私が運ぼう。そっちはお前に任せる」


「わかった」


 アカネがかえでを抱き上げて背負い、闘也さんは七星を担ぎ上げる。


「あ、じゃあ二人とも私の家に……」


 そんなわけで、かえでと七星は私の家に連れて帰ることになった。ソラが言うには、妖狐は体の中で妖力を循環させて生きているので、飲まず食わずでも大丈夫らしい。とはいえ、このままずっと放っておくわけにもいかない。二人を元に戻すためにも、レイと戦わなくては……私は決意を新たにした。


◆第6節 岡崎皆美と幽魔◆


 さくらちゃん、ついでに家の近い陽介さんと別れて、私、臨、闘也、アカネ、翔太さんの5人は喫茶こもれびへと戻ってきた。これからどうするか……まずはそれを話し合う必要がある。


「かえでも七星も、レイにやられた……」


「邪魔だから……って言ってたな」


 私たちは、レイの妖術を封じる目的で七星の力を借りようとした。でも、レイはそれを知っていた……千里眼でも持っているのだろうか。


「レイの狙いはアカネ……それは間違いないんだよね?」


「うん、あいつはソラと戦っている私を背後から仕留めようとした。私をこの世界に招いたのも、おそらくは私を倒すためだろうね」


「アカネが来ることを私たちに伝えたのは、レイが仕留めやすいようにアカネの気を引くため……なのかな?」


「卑怯な奴め……」


 アカネが拳を握り締める。もしも翔太さんがいなければ、アカネは背後から近づくレイにやられていたかもしれない。


「でも、わざわざそんなことをするってことは、レイはアカネと正面から戦うのを避けてるんじゃない?」


「確かに……不意打ちを仕掛けなければ勝機がないとも考えられるな」


 アカネは幽魔の中でも桁外れに長く生きていて、破格の強さを持っているらしい。さすがのレイも正面から戦うのは避けたいのだろう。


「……そもそも、幽魔って何なの?ソラからは『人間の悪しき心から生まれる』って聞いてるけど」


 私は前から気になっていたことを尋ねた。


「大きくは間違っていないけど……まあ、ソラは1000年前の認識で止まっているから仕方ないね」


 アカネは臨の方をちらりと見て、話を続けた。


「幽魔っていうのは、生物の持つ精神エネルギーが自我を手に入れて実体化したもので、強すぎる意志や感情から精神を守るために切り離されて生まれる。だから人間以外からも生まれるし、正の感情から生まれることもある」


「要するに……心が壊れないための安全装置?」


「そんなところ。怒りのあまり人を殺しそうになった時に、その怒りが幽魔化したって話はよく聞くかな」


「なるほど。殺意の部分だけを切り離してスッキリ、ってことか」


「まあ、切り離された幽魔の方が殺意を持って襲いかかっていくんだけどね」


 納得しかけた私の言葉に、翔太さんが口を挟む。


「……じゃあ解決になってないじゃないですか」


「それを倒すのが、僕たち破魔士はましの仕事ってわけ」


「あんた偉そうなこと言ってるけど、破魔士になってからまだ2週間くらいでしょ」


 破魔士──簡単に言うと、幽魔を退治する専門家らしい。私たちには聞き慣れないものだけど、1000年くらい前まではこの世界にもいたのだという。かつては幽魔と戦うのは汚れ仕事みたいな扱いで、限られた人たちだけが戦っていたらしいけど、翔太さん曰く、現代ではごく普通に受け入れられている職業で、やる気と実力さえあれば誰でもなれるとのことだ。見た目は私たちと同じ人間だけど、生きてきた世界は随分と違うんだな……。


「そういえば、アカネと翔太さんは元の世界に帰れなくなってるけど……それはどうするの?」


 臨が言った。二人が通ってきた鬼門はレイによって閉じられ、戻る手段を失っている。そもそも鬼門が何なのかもよくわかっていないし、私たちだけでどうこうすることはできないだろう。となれば……。


「レイを倒すしかないだろ」


 私が考えていたのと同じことを闘也が言った。彼と同じ意見になるのはなんとなく引っ掛かるけど、ほかに考えられないのだから致し方ない。


「とはいえ、今日はもう遅いし……」


 既に日は傾き、窓の外にはオレンジ色の空が広がっている。最近こんな日ばっかりだな……。


「じゃあ、うちに泊まってもらおうか」


 カウンターに立っていた臨のお父さんが言った。


「え、いいんですか?」


「いいよいいよ。うちは幽霊を泊めていたこともあるくらいだしね」


 幽霊……多分、詩音さんのことだな。


「私は睡眠がいらないから、ここで十分だよ」


 アカネが店の窓際の席に移動する。


「あ、僕もここで。もしも夜中にレイが襲ってきたら、アカネさん一人では心もとないので」


「翔太の中で私はそんなに弱いの?」


「万が一ってことがあるじゃないですか!」


「もしもの時には、私も来ます。ソラも睡眠がいらないらしいし、私が寝ていてもソラが体を動かせるので」


 臨にとって、この店は自宅の一部。何かあればすぐに駆けつけられる場所だ。もっとも、レイが現れてからアカネに槍を突き刺すまでのわずかな時間に間に合うかと言われると不安が残るけど……。


「……わかったよ。レイが来たら呼ぶから、その時に応援に来て」


 アカネは嫌そうな顔をしつつも承諾した。七星とかえでを倒したあの槍は、当たれば終わりの一撃必殺技。どんなに強くても、用心するに越したことはない。そういうわけで、レイを倒すその時まで、私たちは気の抜けない日々を過ごすことになったのである。


◆第7節 陣内広鷹と静かな決闘◆


 鬼門が開いて異世界の二人組が現れてから6日が経った8月7日。俺はある目的を持って喫茶こもれびを訪れていた。といっても、この場所に来ること自体はいつも通りである。俺の目的は、レイの正体を確かめることだ。


 奴が初めて俺たちの前に姿を現したのは、先日現冥境が開いた時。俺はその場に、怪人シカマスクとして居合わせた。そして、奴は扇子を取り出してその場から逃走したのだ。どうやら俺以外の奴らは、レイが扇子を扇ぐと同時に旋風が起こったように見えていたらしい。しかし、俺は違った。奴は扇子を扇いだ直後、高速でその場から飛び去ったのである。なぜ違うものが見えていたのか、考えられる理由はただ一つ。あの扇子は「旋風を発生させる道具」ではなく、「『旋風が発生した』という幻覚を見せる道具」だからだ。

 シカマスクの目は高性能カメラとなっており、俺はそれを通じて外界を見ている。だから必要に応じて倍率を変更したり、見たものを録画したり、暗視カメラに切り替えたり、ターゲットをマークして追従したりできるのだが、「幻術が効かない」という思わぬ恩恵もあった。幻術は対象の脳を騙して幻覚を見せているという。つまり、機械を騙すことはできないのだ。そして、そのおかげで俺は「レイは逃走時に瞬間移動しているのではなく、高速で飛び去っているだけ」という情報を得られた。そこで俺は、もう一度レイと接触して奴の足取りを追う作戦を立てた。


 レイの狙いが茜鬼アカネという少女であることを知った俺は、アカネの行く場所について行くことにした。表立って同行してもいいのだが、「陣内広鷹」として行動すると幻術の影響を受けてしまうため、「怪人シカマスク」として尾行することにした。そして雲天山でレイと遭遇した際、俺は奴に発信機付きのペンキャップを投げつけたのだ。あとは発信機を追えば奴の正体に辿り着けると思ったが、そこまで甘くはなかった。発信機は破壊され、雲天山の中に捨てられていたのである。しかし、幸運なことにわずかながら靴跡が付着していたため、俺はそのデータを“バナナ屋”に送って照合してもらった。レイは下駄を履いているので、靴跡の主はレイに変装している何者か、あるいはレイの協力者のはずだ。小さな破片ゆえ靴の特定には5日も要してしまったが、得られた結果は十分すぎるものであった。


 レイの関係者と目する人物が店を出た後、俺は見失わない程度に距離を取って彼の後を追った。人通りのない道に入ったタイミングでマスクとスーツを着用し、いよいよ声をかける。


「どこへ行く?」


 ボイスチェンジャーを通した俺の声に、彼が振り向く。


「やあ、シカマスク。……それとも、『陣さん』と呼んだ方がいいかな?」


 予想していたことではあるが、彼は俺の正体を知っているらしい。同時に、彼自身も正体を隠すつもりはないようだ。


「君がついて来ていることは知っていたよ。だからこの道に入ったんだ」


 上空から金色のトビが降りてきて、彼の差し出した腕に止まって消える。なるほど、あのトビは偵察もできるらしい。それで俺と一対一で話すためにここに来たというのか。


「ほう……面白い」


 正体を知られている以上シカマスクの口調を維持する必要はないのだが、なんとなくクセでそのまま話してしまう。


「で、何の用?」


「街の平和のため、貴様を倒させてもらう」


「ふーん……まあ、どのみち君の存在は厄介だし、ここで始末しておくか」


 彼の右足首に、黄色いアンクレットが出現する。それがぐんと広がって体を包み込み、レイの姿へと変貌した。これがレイの正体のカラクリ、というわけか。さらに手元から槍が出現して戦闘態勢に入る。あの槍の攻撃は絶対に喰らうわけにはいかない。俺はマスクのこめかみ部分にあるボタンを操作し、槍の穂先をマークした。


「ふふっ……この槍が怖い?」


 ここで挑発に乗ってはいけない。あくまで冷静に、目の前の人物の攻撃に対処しなければならないのだ。

 レイの槍が俺に向けて突き出される。俺は体を右に傾けてかわし、柄の部分を掴んだ。


「いい反応速度だ」


 そう言うと、レイは槍を掴む俺の手を振り解く。手袋を着けているので滑りやすくなっているのは間違いないが、それを踏まえてもあまりにもあっさりと奪われてしまった。こいつは思っているよりも力が強そうだ。

 そのまま槍を回転させ、柄の端で俺の頭を狙う。俺は頭を下げてそれを避けようとしたが、シカマスクの右角に命中したため首に衝撃が走り、折れた角が地面に転がった。シカマスクの角はアンテナの役割を果たすが、この戦いでは必要ない。むしろ首にダメージが入ったことの方が戦闘に響きそうだ。


「惜しいな……」


「ふん、なかなかやるじゃないか」


 俺は一旦距離を取り、レイの動きに集中した。スーツのポケットには缶ビール型グレネードも備えているが、住宅街で使用するわけにはいかないし、おそらくその程度ではレイに勝てない。まずは槍を奪い取って無力化するべきだろう。


「おや、観戦者が来たみたいだ」


 レイが通りの端に顔を向けると、そこには白いヘアバンドを着けた少年が立っていた。あれは、春海烈斗……?


「来るな少年!下がっているんだ!」


「えっ……」


「そうだな……まずは彼から片付けようか」


 レイの槍が、烈斗の方を向く。まずい、彼をやられるわけにはいかない。俺はとっさにレイに飛び掛かり、その体を取り押さえようとした。


「──なんてね」


 ガン、という鈍い音がして、目の前が真っ暗になる。その寸前に一瞬見えた光景によると、どうやらマスクのカメラ、もしくは映像信号を送るコンピュータが破壊されたらしい。俺は素早く後転してレイから離れるが、奴の足音が聞こえず、どこにいるのか掴めない。まずい、このままでは俺どころか烈斗まで……!


「……背に腹は代えられないな」


 俺はマスクを掴み、勢いよく脱ぎ捨てた。視界がパッと開け、メガネ越しに明瞭な景色が広がる。レイは変わらず、先程と同じ場所に立っていた。


「じ、陣さん!?」


「自分の正体を隠すことより彼を守ることを選んだか。まさにヒーローって感じだね」


「お褒めいただき光栄だな」


 俺は烈斗の方をちらりと見た。彼は自転車を持っている。あれならばレイに追いつかれる前に喫茶こもれびに駆け込むくらいはできるかもしれない。ならば……。


「聞け烈斗!こいつの正体は──んむっ!?」


 俺の口が、俺の意志に反して閉じられた。これは……妖術か?


「危ない危ない、君がマスクを取っていたおかげで助かった──よっ!」


 レイがこちらに向けて槍を投げる。俺はそれを間一髪のところで受け止めるが、レイが手をかざすと同時に見えない力によって槍が押し込まれ、俺の腹に突き刺さった。


「むっ──」


「陣さん!!」


 俺は烈斗に手を伸ばして「来るな」のサインを出した。その手がゆっくりと力を失い、全身の感覚がなくなって、俺の体が路上に崩れ落ちる。薄れゆく意識の中、自転車に乗って走り去る烈斗の姿が見えた。せめて……せめて逃げ切ってくれよ、烈斗……!


◆第8節 茜鬼アカネと因縁◆


 正直なところ、私は1000年前と比べて遥かに衰えている。幽魔は自身が生まれた時と同じような精神エネルギーを糧として生きる。私の場合、それは「恐怖」だ。遠い昔、まだ人間だった私は「オロチ」と呼ばれる巨大な蛇の幽魔に生贄として捧げられ、命を落とした。その時に感じた死の恐怖が、私の魂そのものを幽魔へと変えたのである。

 以来、私は人間を襲って恐怖を与え、そのエネルギーを食って生きてきた。人々から恐れられれば恐れられるほど、私は強くなる。だからこそ、人間を幽魔から守るソラの存在は邪魔だった。ソラが人間たちの間で英雄として扱われることで、人々の私に対する恐怖心は薄れる。ソラのいる地域だけならまだいいのだが、ソラの噂が広がることで各地の狐が守り神のように扱われ始め、全国に広がっていった。だから私は、ソラを殺すことにしたのだ。


 数日にわたって続いた戦いの決着は、あまりにもあっけないものだった。私が全身全霊を込めた一撃を放った次の瞬間、ソラの姿は跡形もなく消えていたのだ。ソラを殺すという目的を果たした私は、狙い通りに人々から恐れられた。しかし、その心にはぽっかりと穴があいていた。戦う前は「ソラを殺して人々を恐怖に陥れる」というつもりでいたのに、いつの間にかソラと戦うことを楽しみ、心のどこかで「このままずっと戦っていたい」と思うようになったのだ。私は深い悲しみに包まれ、ソラと並ぶ強さを持つ者を求め始めた。

 やがて「人間の味方になって幽魔と戦った方が楽しめる」という考えに至った私は、人間として生活することにした。「茜鬼アカネ」は人々の前から姿を消し、やがて忘れられていった。もはや私に対して恐怖を抱く者はいなくなったのだ。


 「ソラと再び戦える」──金色のトビから伝えられた言葉は、私にとっては願ってもない話であった。そうしてこちらの世界を訪れたわけだが、私は深く失望することとなる。かつて私を死の瀬戸際まで追い詰めた空狐ソラは、完全に力を失って人間の体を借りていたのだ。私の感情は怒りへと変わった。ソラを引き合いに出して私を弄び、その背後から攻撃を仕掛けるような卑怯者のレイに対する怒りだ。


 話によると、奴を倒せばソラは力を取り戻せるのだという。ならば、やることは一つ……。

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