第1話「二つの世界」

◆第1節 衣谷臨と鬼門◆


 8月1日。いつものように森でのトレーニングを終えて帰ってきた私は、喫茶こもれびの店内に入り、闘也と皆美のいる席に着いた。


「おはよー」


「おう、おはよう」


「おはよ、リンちゃん」


 テーブルの上には、闘也の宿題が広げられている。既に夏休みの宿題を終わらせた皆美は、その横でゲームをしながら時間を潰していたようだ。私は意味もなく、店の中を見回す。父さんと優にぃがカウンター越しに談笑し、樹さんはコップを食器棚に片付けていて、窓際の席では陣さんがノートパソコンに向かっている。……なんて平和なのだろうか。


 ここ2週間ほど、私はあまりにも現実離れした体験をしていた。ある日突然この街の伝説に語られる妖狐・空狐ソラに憑依されたかと思ったら、300年前の人が作った現世と冥界を繋ぐ扉・現冥境を巡る事件に巻き込まれたのだ。でも、「レイ」と名乗る正体不明の人物の介入によって現冥境による危機は防がれた……というより、すべてはレイの仕組んだことで、現冥境の中に閉じ込められていたソラの魄(妖狐としての力みたいなもの)を手に入れるためにやったことらしい。その去り際、レイはこれから私たちの前に「茜鬼アカネ」という敵が現れると告げた。1000年前にソラが倒したという鬼の名前だ。レイの目的はわからないけど、嘘をついているとは思えない──そう考えた私たちは、アカネとの戦いに向けてトレーニングを始めたのだった。……とはいえ、今となってはそれも日常。こうして家に帰ってくればゆったりとした時間が流れていて、私の居場所はここなのだ、と再確認させられる。


 ──でも、そんな時間は唐突に終わりを告げた。私たちの視界に飛び込んできた、一羽の金色のトビによって。


「うおっ!?どっから入ってきた!?」


 優にぃが立ち上がり、驚いた様子でトビを見上げる。トビは店内を飛び回った後、私たちのテーブルに降り立った。間違いない、こいつはレイの式神……願いの机を探しに行った私たちにその場所を教え、現冥境が開いた時もレイと共に現れた、あのトビだ。


≪はろー≫


 頭の中にレイの声が流れ込んでくる。ソラとの会話ともまた違う、奇妙な感覚だ。


「……何の用だ」


 私が何かを言おうとするより先に、ソラが口を開いた。レイを警戒しているらしい。得体の知れない相手が自分の力を持ち去ったのだから、当然といえば当然か。


≪そんなに怖い顔しないでよ。僕は君たちに情報を与えに来たんだから≫


「情報?」


 皆美が聞き返した。そういえば、今このトビはどこまでの範囲でテレパシーを送っているのだろうか?店内の人たちは全員がトビに注目して黙っている。私が父さんの方に目を向けると、「それが喋ってるの?」とでも言いたげに指を差したので、無言のまま頷いた。


≪そうだな……まずは警戒を解くために、君たちの質問に一つ答えよう。いろいろと気になることがあるだろうしね≫


 レイの考えが読めない。私たちの敵なのか、それとも味方なのか。私たちに助言を与えてくれることはあるけど、味方として信頼できる相手かと言われると微妙だ。ならば一体、何を尋ねればいいのだろうか……。


≪……それでいいと思うよ≫


 ソラが私の思考に介入してきた。


≪え?≫


≪今、僕たちは何の情報も持っていない。だから、臨が今一番気になることを素直に尋ねるので十分だと思う≫


≪でも──≫


 そこで、私はあることに気がついた。このトビは、最初からずっと私の目を真っ直ぐに見つめている。レイが話しかけているのは、私かソラなのだ。決定権は私にある、ということか……。


「……君の、目的は何?」


 その言葉は、ほとんど無意識に私の口をついて出た。


≪目的か……『僕の“マスター”をこの世界に召喚する』、でいいかな?≫


「マスター?それはいったい──」


≪おっと、質問は一つだけだよ。それに、そろそろ時間みたいだしね≫


「時間?」


≪間もなく鬼門が開いて、この世界に茜鬼アカネが現れる。君たちはそこに向かわなければならない≫


「それはどこに……」


≪1000年前、ソラとアカネが戦った場所だよ。知ってるでしょ?≫


 ソラとアカネが戦った場所……森の奥にある、あの石碑の場所だ。


≪急いだ方がいいよ。放っておいたらどこに行くかわからないからね≫


 そう言うと、金色のトビはふわっと飛び上がり、店の天井をすり抜けてどこかへ消えた。


「……行こう、二人とも」


 私は立ち上がり、闘也と皆美の顔を見た。二人もすぐに状況を理解し、私に続いて立ち上がる。


「待って!臨!」


 呼び止めたのは、優にぃだった。


「何があるのか知らないけど……無茶はしないでね」


「……大丈夫、この日のためにトレーニングをしてきたんだから」


 私はそう言って、店を後にした。この街に語り継がれる、空狐の伝説……今から私は、それをなぞることになる。


「あっ、いたいた!」


 森に向かう途中、聞き覚えのある声に呼び止められた。声の主は、白狐のかえでちゃんだ。“姉”のさくらちゃんと陽介さんも一緒にいる。


「森に行くんでしょ?」


「そうだけど、どうして?」


「さっきあたしたちのところに金色のトビが現れてね。森に行けって言われたんだ」


「俺もだ。あのレイとかいう奴に従うつもりはないが、嫌な予感がして来たらそこでこいつらと一緒になった」


 どうやら、レイはこの3人にも声をかけたらしい。援軍だろうか。それともまとめて巻き込むつもりだろうか。いずれにせよ、私たちはレイの言う通り動くよりほかにない。「茜鬼アカネが現れる」ということは嘘ではないのだろうから。


「待ちたまえ」


 機械を通したような声が聞こえて振り向くと、そこにはシカマスクが立っていた。


「シカマスク!」


「私も同行しよう」


 怪人シカマスク……彼はこの間の現冥境の時にも私たちの前に現れた。今回も力を貸してくれるというなら心強い。もっとも、相手は人間ではなく鬼だから、どの程度戦えるのかは私にもわからないのだけど……。

 そんなわけで、一番詳しい私を先頭に、闘也、皆美、さくらちゃん、かえでちゃん、陽介さん、シカマスクの7人で森の奥へと向かった。


「ここだよ」


 私は、空色の狐の伝説が刻まれた石碑の前で立ち止まった。まだ「鬼門」とやらは開いていないようで、森の中はいつも通りにクマゼミの鳴き声が轟いている。


「──来る!」


 かえでちゃんが叫ぶ。直後、私たちの目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。それは、つい昨日樹さんがタイムマシンに乗ってくぐった時空の歪みそっくりに見えた。ゆらゆらと揺れる水面のようなものの先にぼんやりとした人影が現れ、徐々にくっきりと見え始める。そして、ついにその人物はこちらの世界に姿を現した。


「……え?」


 思わず変な声が出る。出てきた人物は、「鬼」という言葉から想像するものとはあまりにもかけ離れている、普通の人間の女の子だったのだ。


「この人が、茜鬼アカネ……?」


 闘也が困惑した表情でこちらを見る。私は「そんなわけはない」と否定しようとしたが、言葉が詰まる。私の中の何かが、「彼女こそが茜鬼アカネである」と訴えてくるのだ。

 鬼門から現れた少女は数歩進んで辺りを見回し、私を見て止まった。何かを考えているようだ。


「お前……ソラなのか?」


 不思議そうな顔をしながら、私に問いかける。


「えーっと……半分くらいは」


 私は答えに困り、とりあえずそう言ってみた。ソラは黙り込んだままなので、私が答えるしかなかったのだ。


「そうか……なら話が早い」


 そう言うと、少女はこちらを向いて身構えた。その姿がゆらりと歪んだかと思うと、全身が茜色の肌をした鬼の姿へと変貌した。こいつもかえでたち同様、人間の姿に化けられるらしい。アカネは腕を大きく振り上げ、私に迫ってくる。


≪臨!代わって!≫


 ソラがアンクレットから私に乗り移り、アカネの放った拳を素早く避ける。刹那、ドンという音がして地面の土が飛び散った。今の攻撃を喰らっていたら、飛び散るのは私の肉片だっただろう。


「みんな下がって!」


 私の声で、闘也たちが距離を取る。この相手は、7人がかりで挑んでも勝てるかどうかわからない。むしろ犠牲が増えるだろうと考えたのだ。


「ソラ……随分と衰えたね」


 アカネは地面に刺さった腕を引き抜くと、間髪を入れず攻撃を繰り出してきた。ソラはその動きを的確に見切り、紙一重のところで回避する。だが、このままではいずれ私の体力が尽きるだろう。その前になんとかして有効打を与えなければ……!


「アカネさん!後ろ!」


 そんな声が聞こえたかと思うと、アカネが振り向き、大きく飛び退った。同時に、鋭い刃が私の目の前を横切る。


「あっちゃー、外したかー」


 刃は、長い棒の先端に付いていた。これは、槍?そして、その柄を持っているのは……。


「レイ!」


「はろー」


 案の定、とでも言うべきだろうか。私の前にいるのは、右半分が狐、左半分が鬼を模った面をかぶり、黄色い浴衣を纏った人物……私たちをここに呼び出した張本人だった。


「何者だ……?」


「僕?僕はレイだよ。君にソラと戦う機会をあげたじゃないか」


「レイ……?お前が……?」


 アカネとレイが、数mの距離を空けて言葉を交わす。


「ふむ……これだけ警戒されていたら厳しそうだ。今日のところは引き上げるとしよう」


 そう言って、レイは鬼門の方へと歩み寄った。


「その前に、不安の芽は摘み取っておかなくちゃね」


 レイの伸ばした手が鬼門に触れると、鬼門は素早く収縮し、元通りに閉ざされてしまった。


「あっ……!」


「まあ、後のことはそっちに任せるよ。じゃあね」


 浴衣の懐から扇子を取り出して扇ぐと、その体が旋風に包まれた。私たちが風圧に耐えるために顔を背けている間に、その姿は忽然と消えていた。あの時と同じ去り方だ。


「……一つ、確認させてほしい」


 私たちが呆然と立ち尽くす中、アカネが口を開いた。


「お前は、本当にソラなのか?」


 さっきもされた質問だ。今度はソラが私の口を通じて話し始めた。


「あー……話すと長くなるんだけど、今の僕は力を失って、この子の体を借りているんだ」


「そうか……」


 失望したような声でそう言うと、アカネの姿は鬼門をくぐってきた時と同じ人間の少女に戻った。


「アカネさん!」


 見知らぬ少年がアカネに駆け寄った。先程の戦闘中、アカネに注意を呼びかけた声の主だ。


翔太しょうた……どうしてここに?」


「アカネさんがこっそりどこかに行くから……!」


 見たところ、この少年はアカネの知り合いらしい。ということは、鬼門の向こうから訪れた人間なのだろうか。


「それより、僕たちが通ってきた穴が……!」


 少年が鬼門のあった場所を振り返る。この二人がどのようにして鬼門を通ってきたのかはわからないけど、レイに閉ざされたことで帰れなくなってしまったようだ。


「……二人とも、一緒に来てください。みんな、帰るよ!」


 私は彼らから事情を聴くべく、喫茶こもれびに戻ることにした。残念ながら既にシカマスクの姿はなかったが、今ここにいる人たちだけでも話をまとめておこうと思ったのだ。


◆第2節 兵藤陽介と来訪者◆


 俺はまた、この喫茶店を訪れている。この間の七星の一件で散々な目に遭った時と大体同じ顔ぶれで、だ。……が、今回は見知らぬ顔が2人いる。鬼の少女と、その付き添いらしき少年だ。


「私は茜鬼アカネ……普段は『日下部くさかべ あかね』という名前で過ごしている」


「日下部……?」


「世話になっている人の名だよ」


 どうやら、この茜鬼アカネという奴は想像していたほど凶悪な存在ではないらしい。


「僕は水嶋みずしま 翔太です。一応26歳です」


 26歳!?てっきり俺と同い年くらいかと思っていたが、そんなに年上なのか。顔立ちが若いせいでそうは見えなかった。


「えっと……ここは別の世界……なんですか?」


 翔太さんが俺たちの顔に視線を巡らせながら言った。「別の世界」なんて言われても、俺たちからすれば生まれ育った世界なのだから、その言葉はどこを基準とするかによる。彼自身もそれは理解しているようだが、ほかに言いようもないのだろう。


「多分そうだと思う」


 答えたのはアカネだった。


「さっきの森、異常なほど霊力の濃度が高かったのに、一匹も幽魔がいなかった……この世界には『幽魔』が存在しないんじゃない?」


 幽魔……ソラから聞いた話によると、かつてこの世界に存在していたという怪物のことだったか。あの時は話半分だったが、こうして一般常識のように語られているところを見ると、実在したらしい。


「1000年前、僕はアカネとの戦いに勝利し、この世界から幽魔が消え去った……でも、アカネの世界では違ったということかな?」


「ああ、違うね。私も1000年前にソラと戦ったけど、消えたのはソラ、お前の方だ」


「それって、並行世界ってこと?」


 ソラとアカネの会話に、皆美が口を挟んだ。


「そう考えるのが妥当かな」


 並行世界……つまり、こっちの世界は「ソラが勝利した世界」、あっちの世界は「アカネが勝利した世界」ということか。


「……『こっちの世界』とか『あっちの世界』だとわかりづらいし、呼び名を決めませんか?」


 なんとなく思ったことを提案してみた。


「うん、僕もそう思う」


「なるほどね……1000年間の歴史が違ってるってことは、街の名前なんかも違うのかな」


「この街は涼風市だ。そっちは?」


「私たちがいたのは朝凪市あさなぎしだよ。やっぱり違うんだね」


 1000年前ということは、平安時代か。そんなに前から違うとなると想像もつかないな……相手が日本語を使ってくれていたのが幸いだ。


「じゃあ、こっちの世界が『涼風世界』、そっちの世界が『朝凪世界』でいいかな?」


「なんでもいいよ」


 アカネが適当な返事をする。彼女は元々そこまで呼び名に興味がなかったのかもしれない。

 とにかく、こうして僕たちはお互いの持っている情報を共有し、今後の方針について話し合うことになったのだった。


◆第3節 霧島闘也と二つの世界◆


 俺はここにきて、また混乱に陥っている。この間、レイは「倒すべき敵が現れる」と言っていた。そこにいる茜鬼アカネという人物がそのはずなのだが、彼女は今、普通に俺たちと会話をしている。俺は臨からトレーニングメニューの監修を頼まれた時、彼女を全力でサポートしつつ、本番の時には俺も戦いに加わるつもりでいた。……けど、無理だった。茜鬼アカネを前にした時、俺は全身がすくみ上がり、まるで手出しできなかった。「関わったら死ぬ」──俺の本能が、そう警告した。だが、今の彼女からはそんな殺気は微塵も感じられない。敵というよりは、むしろ協力すべき味方なのではないかとさえ思える。では、俺たちが戦うべき相手は……。


 彼女たちが元いた世界──朝凪世界では、今でも幽魔がその辺にいるらしい。幽魔は一枚岩ではなく、人間と敵対する奴、人間に味方する奴、そもそも関わらない奴など様々だという。かつてアカネは人間の敵として君臨していたのだが、ソラとの戦いを経て「強敵と戦いたい」という願望を抱くようになり、いろいろあって人間の味方についたそうだ。

 そんなある時、彼女の前に現れた金色のトビから「ソラとまた戦いたくはないか?」と持ち掛けられ、鬼門を開くための手段を与えられたのだという。……そう、また金色のトビだ。つまり、茜鬼アカネがこの世界に現れたのもレイの仕業だということになる。いったい何が目的で、あちこちに現れて活動しているのだろうか。


「さっき私たちの前に現れたレイは、『“マスター”をこの世界に召喚する』って言ってたよね」


 俺は考え事に夢中で聞いていなかったたが、どうやら臨たちの話題も同じものらしい。俺は一人で考えるのをやめ、話に加わることにした。


「マスターってことは、あいつの上にさらに主人がいる……ってことなのか?」


「あっ、そういうこと!?」


 陣さんが驚いたような声を上げる。


「俺はてっきり、『マスター』ってそこのマスターのことかと……」


 彼はそう言いながら、カウンターに立つ臨の父に目を向けた。


「いや、父さんはここにいるんだから召喚する必要ないじゃないですか」


「ははっ、僕を召喚されてもねぇ……」


 さっきまで張り詰めていた空気が、急に緩んでしまったような感じだ。


「言われてみると、『マスターを召喚する』っておかしくない?普通召喚した方がマスターなんじゃ……」


 皆美が言った。


「今はそんなことどうでもいいだろ。ひょっとしたら『マスター』って名前の怪物とかかもしれないし」


 俺は話を終わらせにかかった。どうでもいいと言いつつ新たな火種を放り込んでいるような気がするが、まあいいか。


「大事なのは『マスター』が何であるかより、そのために彼が何をしようとしているか、じゃないかな」


「え、レイって男なのか?」


「え?」


 せっかく臨が話の方向性を正そうとしたのに、今度は陽介によって逸らされる。


「だって、『僕』って言ってたし」


「それは一人称の話だろ?あの見た目は女じゃないかと思うんだが……」


「そっちだって見た目の話じゃないですか!」


「というか、お前自身も女なのに『僕』って言ってるじゃないか!」


「それはソラがそう言ってるだけで……」


 ……頭が痛くなる。確かにレイの性別についてはよくわからないが、それは『マスター』が何を指しているかよりも関係ないことだろう。そもそも、性別の存在する生物なのかどうかさえ怪しいのだから。


「とにかく、レイのこれまでの行動を整理しましょう」


 皆美のおかげで、再び話が本筋に戻る。


「レイは現冥境を開いて、そこに閉じ込められていたソラの魄を取り出した……七星はレイが魂の鏡を持ち出そうとしているのを見かけて奪い取ったって言ってたけど、全部レイの狙い通りだったのかもしれない」


「……レイは、無限の妖力を持っている」


 皆美の話が終わると、臨が口を開いた。……いや、この感じは臨じゃなくてソラの方だな。


「無限でないにしても、かつての僕を遥かに上回る妖力だ」


「ありえない。そんな膨大なエネルギー、一つの肉体に収まるわけがない!」


 かえでがソラの発言を否定する。


「だったら、かえではあの力をどう説明する?300年前、僕は現冥境を機能停止させるために妖力を使い果たした。レイはそれを、いともたやすく破ってみせた……少なくとも僕よりも強い力の持ち主なのは間違いない」


「それは、そうだけど……」


 かえでが黙り込む。妖力とやらがどういうものなのかを知らない俺には、どっちが正しいのかわからない。


「一つの肉体に収まらないってどういうこと?」


 どうやら、皆美はこの話についていけるらしい。羨ましい限りだ。


「妖力っていうのは、生命エネルギーを変換したもの。エネルギー保存の法則に縛られるし、一つの肉体に無限のエネルギーが詰まってるなんてことはあるはずがないの」


「なるほど……」


「なあ皆美、俺にもわかるように翻訳してくれ」


「うーんとね……」


「妖狐はそれぞれ、妖力が詰まったバッテリーを持ってるわけ。その容量は妖狐によって違うけど、一度に使える分には限りがあって、使いすぎると回復するまで何もできなくなる」


 俺は皆美に尋ねたのだが、なぜかかえでが答える。まあ、結果オーライだ。


「つまり、レイはそのバッテリーがありえないくらい大容量ってことか」


「そういうこと。妖狐の中には尻尾を増やしてそこに妖力を蓄える者もいるけど、せいぜい尻尾1本の数倍程度……そもそも、レイに尻尾はないしね」


「回復するまでって言ったけど、どうやったら回復するの?」


「人間と同じ。ご飯を食べたり、眠ったりすると時間をかけて回復する」


 人間と同じ、か……そんなことを言われてもピンとこないな。バッテリーという喩えのせいか、機械みたいなイメージが強い。……そういや、俺のスマホのバッテリーが弱くなってきてるから交換したいって言うのを忘れてたな。いい加減コンセントに繋いだままゲームをするのも不便に感じていたところだ。……待てよ?


「例えば、なんだけどさ……そのバッテリーを充電しながら使う、みたいなことってできるのか?」


「……どういうこと?」


「だから、その……コンセントに繋いだままなら、バッテリー切れが起きることもなくて、実質無限のエネルギー、みたいな」


「闘也、バッテリーってのはあくまで喩えであって、本当にそういう風になってるわけじゃ──」


「いや、あるかもしれない。レイの肉体に無限の妖力が備わっていなくても、常にどこかから妖力を補充しながら活動しているとすれば……!」


 呆れた様子の皆美の言葉を、ソラが遮った。


「でも、そんな妖狐見たことない」


「相手は妖狐じゃない。僕たちとは異なる手段でエネルギーを供給している可能性はある」


「じゃあ、その供給手段を断ち切れば……!」


「レイの能力を封じられるかもしれない」


 どうやら、俺の言葉をきっかけに話が動き始めたようだ。なんだか物凄く気分がいい。このままレイの正体を暴いて、あのムカつく面を剥ぎ取ってやろうじゃねえか。……そんなことを考えつつ、俺はソラとかえで、ついでに皆美が展開するトークに置いてけぼりを喰らうのであった。


◆第4節 空狐ソラと因縁◆


 1000年前、僕はあの森でアカネを迎え撃ち、激しい戦いの末に彼女を打ち破った。けど、思い返してみるとおかしな点がいくつかある。決着がついた時、僕には手応えがなかった。両者の全身全霊を込めた一撃がぶつかり合った次の瞬間、彼女の姿は跡形もなく消えていたのだ。もちろん、僕の妖力によってアカネの体を構成する霊力がすべて消滅してしまったという可能性も考えられなくはないが、それにしても違和感が残る。戦いの後、アカネ以外の幽魔もぱったりと姿を見せなくなったことも気になる。当時はアカネを打ち破れたことで頭がいっぱいだったので考えもしなかったが、そもそもあの時アカネが連れていた幽魔はせいぜい100匹程度。この世界に存在した幽魔のすべて、などということはないはずだ。そして何より、今アカネが目の前にいる。先程は「並行世界」という解釈をしたけど、そもそも並行世界なんてものを簡単に行き来できるのだろうか。事実として、アカネは鬼門を通ってこちらの世界に現れた。けど、そのカラクリは「並行世界」ではないような気がしてならないのだ。

 もっとも、それ以上に奇妙なものがある。アカネそのものだ。僕の知る茜鬼アカネは非常に凶暴で、各地の集落を巡っては人々を恐怖に陥れていた。それがここまできれいに“更生”できるのだろうかという疑問が頭を離れない。さっき戦った時、僕が臨の体を借りていることを聞いたアカネはすんなりと受け入れた。僕の記憶にあるアカネであれば、今がチャンスとばかりに臨ごと僕を殺そうとしたはずだ。「強敵と戦いたい」という願望から人間に味方するようになったと言っていたが、あまりにも変化が激しい。1000年も経ったのだから、それくらいは変わるのだろうか?……今のアカネからは、かつてのような殺意を感じない。「強敵と戦いたい」という彼女の言葉が本当であれば、今の僕は戦うに値しない相手、ということだろう。少し気に障るところではあるが、力を失っている手前、致し方あるまい。

 ──そうだ。アカネと翔太を朝凪世界に送り返すのも大事だけど、レイが持ち去った僕の魄も取り戻しておきたい。現冥境の中に取り残されていたという、僕の力。レイはそれをどうするつもりなのだろうか?「マスターの召喚」とやらに必要なのだろうか?……わからない。レイの目的が僕たちにとってプラスなのかマイナスなのかさえも掴めてはいないけど、僕が元に戻るための手段がそこにあるならば、それは手に入れておきたい。結局のところ、レイと接触する必要があるというのは変わりなさそうだ。……仕方がない。1000年来の因縁の相手ではあるけど、ここはアカネと手を組むとしよう。

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