第7話
奈々美の漫画読書部の話と、推小研に漫画本を置く提案がかなり後ろ向きに検討される事が決まり、話が一段落したので、俺は本題に入るのを促す事にした。
「所で、そろそろ、グループ・ワークの話に入ら無いか? 松原のせいで、余計な時間を使って仕舞った」
「そうだなあ……」
そこで、奈々美が思い出した様に発言する。
「何で私のせいなのよ? ……あ、そうだ。委員会活動は良いとして、所で、社会科の特別授業の、今度の研究課題のテーマって何?」
それはそうだが、所属委員会の仕事をきちんとやら無いのは、別に良く無い。
全く良く無いのだが……今日はもう、奈々美の学校生活にまつわる議論をしている時間は無いので、それに付いて言及するのは止めて置こうと思う。
「しょうの無い奴だな? それなら、ついさっき、言っただろう。そうだ……なあ、有栖川。折角だし、ちょっと、そこのホワイトボードに、俺達の議題である研究テーマを書いてくれ無いか?」
「うん。じゃあ、そうしよっかなあ」
有栖川は席を立つと、ホワイトボードの前に移動し、そこにあったサインペンを握り、言う。
「今回の課題のテーマは、これかな」
ペンのキャップを外すと、有栖川は大きな読み易い字で、そこに板書する。
真っ白なホワイトボードの真ん中に、『クリスマスと縁遠いもの(事物)』と言う文字列が、でかでかと書かれた。
それを見た奈々美は、驚いた様に口を開ける。
「え? クリスマス?」
俺は指摘した。
「良く見ろ。クリスマスじゃ無くて、クリスマスと縁遠いものだっ」
「あ、そっか……。そう言えばさっき、そう言ってたものね。本に夢中になってて、すっかり
お前の耳を童話の中の王様みたいなロバの耳にしてやろうか、と言う
「じゃあ、松原は、このテーマを見て考え付いた事を、思うがままに述べてくれ無いか?」
そう聞いて、奈々美は腕組みをして首を
「うーん、クリスマス……。クリスマス……。クリスマスと言えばジングル・ベルよね……」
「まあ、そうだが」
すると、奈々美は、初夏に聴くには懐かしいあのクリスマス・ソングを口ずさみ始めた。
「ジングル・ベール、ジングル・ベール、鈴が鳴る~。今日は、楽しい……」
「おい、誰がジングル・ベルを歌えと言った、誰が!?」
「いや、そこのクリスマスと言う文字を見ていたら、何と無く、つい。キャハッ」
奈々美は『クリスマスと縁遠いもの(事物)』と大きく書かれた、ホワイト・ボードの方を指す。
「何がついだ。松原、お前はそんな季節外れの歌何か歌って無いで、早く質問の答えを考えろ」
て言うか、奈々美の方はどうか知ら無いが、いっこうに研究テーマに関する話の進ま無いこの状況に、俺は全然楽しく無い。
歌を歌って気分が良くなって来たのか、奈々美はニヤニヤした顔で応えた。
「何でよ? 良いじゃ無ーい」
「駄目だっ。この部室では、静かにしていろ。どうしても歌いたければ、この部室の外で歌うんだな? この夏の青空が、松原、お前を待ちかねているぞ?」
「何よ青空って、もうすぐ夕方じゃ無いのぉ! それにそんなの嫌よ!? 誰かに聞かれて変な目で見られたら、恥ずかしいじゃなーい!」
「じゃあ、歌を口ずさむのを止めて、静かにしてるんだな」
「チッ、分かったわよ……」
そこでようやく、奈々美は椅子に座る。
「弾圧により愛する歌を封じられ、沈黙を強いられている可哀想な私……」
「お前は何、悲劇のヒロインを演じているんだ。そんな下ら無い事をしている暇があったら、早くクリスマスと縁遠いものに付いて、思い付いた事を語れ」
「待ってよ。クリスマスと縁遠いもの、クリスマスと縁遠いもの……」
そう俺に指図を受けた奈々美は、左手を顎の下に当てて思案し始めた。
「うーん……。うぅっ……頭が……!」
「急に頭痛を
奈々美まるであの黄色いポケモンの一種の様に、両手で頭を抱えている。
その様子を見て、有栖川は言う。
「これは、
「何それ?
「大体、合ってるかな。
有栖川、お前は何をいきなり、妙な事を言っているんだ。
「へえ、そうなの。型があるとか、まるでインフルエンザみたい。……すみれって、時々、妙にそう言うのに詳しいわね。看護師にでもなるの?」
有栖川はそんな風に、笑いながら明るい声で言う。
「それは、あんまり考えてはい無いんだけどなあ。中学生の時、私がイギリスに留学する前に、
出たな、帰国子女アピール。
有栖川本人が、自らとりわけそれをアピールしている訳では無い事は分かっているのだが──。
他の奴はどうだか知ら無いが、俺は有栖川のこう言う話振りを聞くと、何か気持ちがざわめくと言うか、イライラするのである。
それは、緩やかなこの学校のスクール・カーストの中で努力してその地位を手に入れた俺の心に、優等生としての……。
優等生としての、何だろうな?
自分のライバルへ向けての対抗意識が
兎に角、何だか自分を否定された様な、怒りにも似た妙な気分を覚える。
それにしても、留学経験があるだけで何だか育ちが良さそうに聞こえるのだから、俺もいつか、外国に留学してみたいもんだな。
アメリカとかに。
ふと気付くと、有栖川と奈々美は、すっかり別の話を始めている。
「じゃあ、ウィルスや細菌に付いても、色々知っているのね? 詳しく知りたいから、ちょっと、教えてよ」
「うんうん。私自身もそう言うのに興味あって、自分で色々勉強してるから、教えちゃおうかなあ」
おい待て、と言い掛けて、俺は2人の表情を交互に見ると、椅子の背もたれに崩れる様に寄り掛かった。
今の奈々美と有栖川は、すっかり、これから始まるおしゃべりタイムへの意欲で燃え上がっている。
疲労して
こんな風に、会話が本筋から逸れて脱線し、延々と無駄話とも言える無関係なお喋りに興じるのは、親しい友達同士で組んだ俺達のグループの、もはや運命なのかも知れ無い。
先生が急用で授業をする事が出来ず、
「人体を
俺はそうした2人の会話を眺めていて思う。
これは、俺と有栖川の共通の知り合いである、あの女医さん、つまり、
俺自身は医者になろうと思った事は無いが、時々、あの先生の語る医学に触れていると、これまで病気や怪我を根絶し様として奮闘して来た人類の英知について、思いを馳せる事もある。
確か、長らく人類を苦しめて来た
人類の歴史は人間同士の戦いでもあったが、それは同時に病気、特に風邪やペストと言った感染症との戦いでもあった訳だ。
以前、そうした医学の歴史を俺に語ってくれた風祭先生の専門はと言うと、これは救急医療と整形外科、心理療法、それから、医療行為上で不必要な痛みを除く為の麻酔科と言う事になっている。
麻酔科の認定医となるには幾多の麻酔経験が必要だそうだが、先生は過去の経験に付いて多くは語ら無い。
その事に付いて、先生の方では、医師は法律業務に携わる弁護士や行政書士などと同じく守秘義務があるからなどと言っているが、それが先生の過去を覆い隠す為の、
風祭先生も、有栖川と同様、良く言えば洒落っ気があると言うか、悪く言えば何だか人を小馬鹿にした様な語り口で喋る所があるが、流石にれっきとした医師だけあって、実に幅広い知識経験をお持ちの女傑である。
全く、奈々美には先生の爪の
そんな物があればだが。
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