第57話 ものさし

 ファーストでフリー客につく。

 バサついた白髪頭の小汚ないオヤジで、ここらでは見ない顔だ。

「いらっしゃいませ。こんばんは」

「……」

『マズい!臭う!』

 ひねくれ者というのは、ついた瞬間にひねくれ者の腐敗臭がするのだ。

 それでも、仕事だと割りきり対応する。

「お飲み物はどうなさいますか?水割りでいいですか?」

 テーブルには飲み放題の粗悪なウイスキーを注ぎたしたボトルがセットしてある。

「……どうしようかな……」

「ほかの物になさいますか?」

「……いや、それでいい。薄めでね……」

「飲んでこられたんですか?」

 顔にうっすら赤みがさしている。

「……いや、もう一軒寄らなきゃならないからそんなに飲めないんだよ……」

 会話が噛みあわない。

 時間潰しに入店したのだと言う。

 ついでに話しおわりがわかりづらい。

 目つきや間合いがねちっこく気味が悪い。

「……ここはそんなに……大丈夫なんでしょう?」

「ん?」

 料金を気にしているのだと思った。

「セット料金(1セットの基本料金。店により40~60分程度)が安いなら一杯どうぞ」

と言葉が続くのだと思った。

 だが

「すぐにヤれるんでしょう?」

ときた。

「何をですか?」

 私はすっとぼけて水割りを作った。

 粋な枕詞もなく、不馴れなら不馴れなりに様子をうかがう可愛げもなく、ついた早々に下世話だ。

「俺セフレを探しにきたんだよ」

「へぇー。そうなんですかぁー」

 グラスをコースターに乗せながら、私はしらじらしく答えた。

「で、君はセフレになってくれるの?」

 銀色のマドラーをアイスペールに戻したばかりだ。

 それで腐った声帯を突っついてやろうかと思った。

「は?なるわけないじゃないですか」

「セックス嫌いなの?」

「嫌いなわけないじゃないですか」

「ならなってよ!」

「ならねーわ!」

 私は苦笑した。

「なんで?」

「『なんで?』じゃねーわ!」

「体に自信がないの?」

 論点のすり替えが奇跡的にナンセンスだ。

 オヤジになるまで誰にも指摘されずに生きてきたのか?

 そんなにも人間関係の乏しい人生を送ってきたのか?

 あてつけているのか?

 神経発達症なのか?

 面倒だが、とりあえず教示することにした。

「は?水商売だからですよ。体が使えるなら性風俗のほうが割がいいでしょう。それができないから水商売をしているんです」

「なんで水商売だと体が使えないの?」

「お客さんに会話とお酒を提供するのが“仕事”だからです!なのでそれ以外の“仕事”はしません!」

 わざと“仕事”という言葉を多用して距離を置く。

 お前とは男女の可能性は皆無だと断罪する。

「……すごく変わってるよね。そんなやり方じゃやっていけなくない?」

「大丈夫ですよ!このやり方で〇〇年やってきてますから!理解力の高い方にだけついてきていただければ充分なので!」

「……〇〇(日本屈指の歓楽街)の子は誘うとすぐに外で会うよ。店でお金を使うと店にお金が落ちるからもったいないじゃない!」

「あー。直引き(客と嬢が店を介さず直接会うこと。金銭の授受や肉体関係をともなうのが常)ってこと?」

「……」

 直引きの意味がわからないらしい。

「〇〇の子は“パパ持ち”が多いからね」

『てめーに囲える器量あんのかよ!?』

「……」

 日本屈指の歓楽街で遊んでいるとアピールしたいのだろうが、はったりもいいところだ。

「考え方は人それぞれじゃない?水商売をナメてる子ならすぐヤれるだろうね。頑張ってお店に通ってね!」

「通う気なんてないよ!」

「は?じゃあそれ誰得なの!?」

『自己中で頭悪い=セックス下手で小汚ねー貧乏人のひねくれ者のオヤジと誰が好きこのんで寝んだよ!?』

 思わず冷笑してしまう。

 だが、ひねくれ者にはそうされた意味がわからない。

「水商売だからヤれないとか風俗だからヤれるとか君おかしいよ!たとえヤれなくても『ヤれない!』とか客の期待を失くすようなことは簡単に言わないほうがいい!」

 簡単になど言っていない。

 食えない雑魚だから意図的に言っているのだ。

 私だって、相手の人間レベルに合わせて出方を変えているのだ。

 そんなこともわからないのか!

「端から水商売を馬鹿にするから言われるんでしょう!」

「なんで『馬鹿にされた!』って思うの?それがおかしいんだよ!」

「『おかしい!』って思うのはあなたの主観でしょう!真面目に水商売をしてる子からすればセフレ云々言われたら『馬鹿にされた!』って思うのがあたり前なんだよ!」

「……なんかすごく頑固だよね。考えが凝りかたまってるっていうか……」

「は?私が?あなたがじゃなくて?」

 再度、冷笑してしまった。

 開いた口が塞がらない。

 論点をすり替え、さらに相手を攻撃することで自己防衛する様は、ひねくれ者がひねくれ者たるゆえんだ。

「……君とは価値観が合わないというか……。ものさしがまったく違う!」

「そうね!まったく違う!」

「……気分が悪いからこれ以上話さないで!」

「わかりました!」


 以後、二十分。

 私は石になった。

 酒を作り、灰皿の交換をする以外は身じろぎひとつしなかった。

 ひねくれ者が煙草を咥えたのでライターを近づけたが、顔を背けられ、セルフで火を着けられた。

『てめーの貧弱で狂ったものさしなんかひと思いにへし折ってやるわ!』

 沈黙に耐えかねたひねくれ者は忙しなくスマホをいじった。

 私はひねくれ者を睥睨しながら観察した。

 それが、ひねくれ者にさらに負荷をかけると知っていたからだ。

『ざまあみろ!無礼者の小心者が!てめーの言動が招いた負荷はてめーで背負え!』

 私には、こういう類いの人をとことん追いつめてしまう悪い癖がある。

 過去に散々、似たような人に感情を搾取された経験があり、重なってしまうからだ。

 謝ることは、ひとつ大人になることだ。

 私は、己の未成熟をあかの他人にぶつける大人のふりした子どもが大嫌いだ。

 しばらくして席を立ったひねくれ者は、フロアに立っていたボーイに、私をチェンジしろと力なく訴えていた。

 

 以前にも同じようなことがあった。

 そのときのひねくれ者も私に

「話すな!」

と命じたので、素直に石になって差しあげた。

 あとで店長に聞いたのだが、そうやって新人や気の弱い嬢を泣かせては楽しんでいたそうだ。

 勝手が違う私に、ひねくれ者がうろたえる様は愉快だった。

 ひねくれ者は己の言動に責任をもてない根性なしだ。

 喧嘩を吹っかけるなら相手を選ぶべきだが、見る目がないなら、酒はおとなしく飲んだほうがいい。

 




 

 


 

 



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