第55話 男の本音
社用の二次会のあと、指名客がしたたか酔って来店した。
「頑張って会いにきたよ!もう駄目だー!お水にしてー!」
団体のフリー客の席から抜けてくると、彼が訴えた。
「ありがとう!よく辿りついたね。少し休もうね」
私はグラスにペットボトルの常温水を注ぎ、彼に差しだした。
「うん」
こくりと幼児のように頷く姿が愛らしい。
紳士的で行儀がよく、私にストレスを与えない彼には親しみがあった。
「けっこう飲んだね」
背中をさすると
「うん」
また、こくりと頷き、照れくさそうに笑った。
機嫌よくしていたと思えば不意に
「あの子。そばで見ると皺だらけだね」
先ほどまでヘルプ(指名嬢が同伴((買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること))や指名被りなどの際に手伝いをする嬢)についてくれていた、ロリ系の嬢を斬りすてた。
「お婆ちゃんみたい……」
あどけなく、口をすぼめる。
“夜目遠目傘の内”とはよく言ったものだ。
私は苦笑するほかなかった。
「ここは相撲部屋ですか?」
周囲を見わたして“小結”の多さを指摘する。
「シッ!そういうことは心で思っても口に出しては駄目!」
私は慌ててたしなめた。
酔って耳が遠くなっている分、声が大きいのでヒヤヒヤする。
ふだんならリップサービス全開でヘルプを誉めてくれ、間違ってもデブだのブスだのババアだの言わないのだ。
だが、男は酔うほどに本音を話す生き物だ。
だから、彼は彼本来の美意識を解放しただけで
「酔わなければいい人なのに」
と言うのは、本末転倒なのかもしれなかった。
若かりしころ、私の先ゆきを案じた初老の指名客から提案があった。
「僕より息子の嫁にどうだろう?家も財産もある。僕ほどいい男じゃないが性格はいい。大切にしてくれると思うよ。しなかったら僕が許さない!(笑)。だから身ひとつでいらっしゃいよ」
悪い話ではなかった。
だが、当時の私はガチガチの非婚主義者だったので、丁重にお断りした。
「気になる男ができたら酒を飲ませて本音を引きだしなさい。それで気に入らなかったら……悪いことは言わない。さっさと離れたほうがいい」
彼は私に説いた。
某中小企業の取締役の一人で百戦錬磨の男性だった。
以後、この教えは私の指針となり、素敵な男性との邂逅にもつながったので、若いうちに教えてもらって本当によかったと思う。
今まで、だらしなくて、愚痴っぽくて、皮肉屋で、言いわけがましくて、詮索屋で、嫉妬深くて、細かいくせに気が利かなくて、意気地がなくて、何よりも自信がない酔っぱらい客を、うんざりするほど見てきた。
だが、それが彼らの本質なのだ。
特定の女性と懇意になればなるほど、彼らは彼らの本質を“素面な日常”に落としこんでいくのだろう。
だが、それも、許しつづけてくれる寛容な女性あってこその話だ。
希少な彼女たちに愛してもらうには、それなりの努力が必要だと思うのだ。
「ありのままの自分を見て!」
と甘える指名客がいる。
そんなとき、私はできる限り我慢する。
高い報酬が約束されるなら、我慢に値するからだ。
無論、それがなければ切りすての対象だ。
キャバ嬢として切りとられた時間や空間だけが、私が彼らに与えられる寛容さの限界だ。
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