第54話 寂寥感

 フリーの団体客が入店した。

 私は同年代の下座の客につけられたが、上座を確認すると若造だった。

 接待でもないのに近ごろ、このような配席を頻繁に目にする。

 私がウイスキーの水割りを作っていると、担当の客が

「小池君!皆さんにも差しあげて!」

と若造に促した。

「はい!皆さん飲んでください!」

 若造が嬢たちに促した。

 上司と部下の関係なのだろう。

 上司はみずからドリンク(有料)を勧めるパフォーマンスをするでもなく、飲み屋での立ち居ふる舞いを部下にさりげなく教えていた。

“上質な上司に倣った部下は上質な上司となって後進に上質を引きつぐ”

“劣悪な上司に倣った部下は劣悪な上司となって後進に劣悪を引きつぐ”

 その過程と結果が顕在化するのが飲み屋だった。


 上司は先日旅した廃墟について語りだした。

「街や建物はとっくに死んでしまっているのに昔はとても栄えていて人が暮らしてたんだっていう、生活の名残があるわけでしょう。栄枯盛衰というか。そのコントラストがなんとも言えないんだよね……」

「わかります。私もいくつか旅しました。いつか閉山した炭鉱にもいってみたくて。多くの方が亡くなられたんですよね」

「うん。石炭は戦後復興期に国の根幹をなした産業で実入りもよかった。男も女も皆、命がけで働いたんだよ」

「当時の思いが残ってる」

「そう。でも今は……。それが堪らない」

「寂寥感ですかね?」

「そう!寂寥感!」

 いつの間にか、彼はソファーに腰を深く落とし、脚を伸ばして座っていた。

 くるぶしのあたりを交差している。

 客が嬢に気を許したときにする、崩れた座り方だ。


 子どものころ、私は自分の置かれた環境に絶望していた。

 大人になり、自力がつくまではけして逃げだせないのだと悟ると、絶望は募る一方だった。

 それは生命力の塊である子どもからでさえ、生きる気力を奪う。

 このままでは死んでしまうと思った。

 報われない心の叫びを抱えたまま、短い生涯を終えるのか?

 対象となる人物への憎悪を解消しないまま、道連れにするのか?

 いや、私は生きて“負債”を回収したかった。

 だから、折りあいをつけたのだ。

 今日は苦しくても明日は和らぐかもしれない……ならば、一縷の光を探せ!

 明日は和らいでも明後日は苦しみが戻るかもしれない……ならば、浮き足立つな!

 私は絶望と希望の波間をたゆたう小舟になった。

 そこで得た精神安定こそが、寂寥感だった。

 子どものころ、生きのびるすべとして身につけたそれが、今も私にこびりついて離れない。

 だからなのか?廃墟に心惹かれてしまうのだ。


 彼には温情や愛情に溢れた人特有のゆとりがあり、安定した生活者の香りがあった。

 同年代だが、私とはまったく別の人生を歩んできたであろう彼が、いついかにして寂寥感を嗜むにいたったかには興味があった。

「ごちそうさまでした」

「ああ。うん。楽しかったよ。ありがとう」

「こちらこそです」

 つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)に抜かれた私は、すんなり退席した。

 無理じいするような相手ではないと思ったのだ。

『だまくらかしてやろう!金を引っぱってやろう!』

という気持ちには、とうていなれなかった。

 幸福な彼にキャバクラは不要なのだ。

 心の深淵で交流できただけでも充分だ。

 再会できればうれしいが、たまたま地方から出張してきた彼が、今後、店に現れることはないだろうと思った。




 


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