第39話 反面教師
「だー!わかったから!」
イケメン君がテーブルやグラスを倒さんばかりに伸しかかってくる上司を、押しもどして着席させた。
「こいつ明日何も覚えてないんですよ」
声をひそめるでもなく放言した。
敬意や畏怖のかけらもない。
「あー。そうなんだね」
『兄ちゃん。私を味方と見たな!正解だよ!(笑)』
私は苦笑した。
「ああ。どうぞ何か飲んでください」
先ほど、ついて早々にドリンク(有料)を勧めてくれたのは、はたしてこの上司の教えだろうか?
正体不明もいいところだ。
場内指名(フリー客から取る指名)を貰った嬢が、お触りを行使され、くねくねしている。
水商売の価値を下げて衰退させたのは、色営業や枕営業で知力や会話力などの研鑚のいっさいを放棄した馬鹿女たちのしわざであり、それを黙認して目先の金満主義に走った現場スタッフのしわざだと思う。
経営サイドからの売上のプレッシャーに、ハイコストなキャスト育成の道をあっさり捨て、素人に色や枕で稼がせてしまった罪は大きい。
だが、よほどの遊び心でもない限り、優秀な人材が黒服(男性従業員。 黒いスーツを着用している)として長逗留するのは珍しく、入れかわり激しく異業種からの転職組も多いなか、そもそも、彼らにキャストを育成する技量はない。
うるさく注意されたり叱られたりしないので、危機意識や自己管理能力がない女には居心地がいいのだから困ったものだ。
男でも女でも使えないのは腐るほどやってくるので、頭数は揃う。
キャバクラは“人不足”ではなく、慢性的な“人材不足”なのだ。
「嫌なら嫌ってはっきり言ったほうがいいですよ!どうせ覚えてないんで!」
イケメン君がふたまわり年上のくねくね女を諭した。
それでも、くねくね女はくねくねするだけだった。
「私この仕事長いんだよね!」
あるとき、くねくね女が豪語した。
だから、なんだ!?
キャリアがあるなら恥を知れ!
客管理もできずに玄人を名乗るな!
『バーカ!』
私はくねくね女を睥睨しながらビールをあおった。
『誰が助けてやるか!てめぇのケツはてめぇで拭け!』
「ねーぇ!今度デートしなぁい?」
上司がくねくね女の体をゆすって店外(客と嬢が店の外で会うこと。客からすればデート気分だが、嬢からすれば苦痛な無料奉仕。太客((大枚を叩く指名客))が相手なら接待)に誘っている。
「最悪だ」
イケメン君がつぶやいた相手は上司とも、くねくね女ともとれた。
「〇〇(イケメン君の苗字)君は紳士だね。相手が若い女性でも紳士でいられる?」
私は少し意地悪な質問をした。
「年齢じゃなくて。こういう店で“ああいうの”は駄目じゃないですか!?」
「そうだよ!ルール違反!キャバクラは性風俗店じゃない!心得てくれているのね。素敵です。ありがとう」
「いやいや」
まだ、二十代半ばだ。
照れくさそうに笑った横顔が幼かった。
聞けば、独立を視野に入れて動いているのだそうだ。
相手が泥酔しているとはいえ、直属の上司にこれだけ毅然としていられるのだから、近々覚悟を決めるのだろう。
個人主義だと言ってしまえばそれまでだが、上司の醜態を踏襲しないのは今どきの青年の素晴らしさだと思った。
別日の団体客。
「ここは安く飲めるからいいんだよ!」
万年フリー客が、連れに恥ずかしげもなく放言した。
『閑散時に客引きの足元見て値切り交渉してんのはお前だろーが!常連面すんなら正規の料金払ってからにしろや!』
当然ドリンクなど出ないので、嬢たちは三流の下ネタが垂れながされるのを延々と聞かされるはめになる。
客のグラスの酒を補充したり、煙草に火を着けたり、灰皿を取りかえたりするだけで、相づちを打つ気力もない。
隣の部下らしき青年とぽつりぽつり話す。
私のやる気がない質問にも素直に答えてくれた。
さすがに感じとったのか
「コスパの悪い客ですみません」
と青年がこっそり詫びた。
「あはは!そう言ってくれただけで救われた!自分が奢る立場になったらこんな(無様な)飲み方はしないでね」
私もこっそり助言した。
「そうですよね……肝に銘じます」
猿のような上司が人知れず部下に疎ましがられて空中分解するのを、日々、軽蔑と悲哀をもって眺めている。
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