第36話 絡み酒

 私は特別優秀な人間ではない。

 ただ、特異な環境を生きてしまった経験値があるだけだ。

 優秀なら、キャバクラという魑魅魍魎が跋扈する劣悪な環境で、いつまでも働きつづけることなどしないだろう。

 むしろ、ほかの方法が見いだせない分、劣等なのかもしれない。

 だが、どうも私は自信がない男たちのコンプレックスを誘発し、対抗心に火を着けてしまうらしいのだ。

 自信がない男たちだからこそ、私程度の凡庸な女が相手でも、負かされた気になってしまうのだろう……。

 そして、私は売られたケンカはたいがい、買う。

 その不条理を、その低次元を、当人にお伝えすることで自省という機会を得てほしいからだ。

 余計なお世話だけれど(笑)。

 先日もそんなフリー客についた。


「こんばんは。いらっしゃいませ」

 あいさつした座りしな、

「君は水商売にはふさわしくない感じの人だね」

と開口一番、断じられた。

「ふさわしくないとはどういう意味でしょうか?」

「いろんな意味だよ……」

「いろんな意味とはどういう意味でしょうか?」

 黙る、アホ面のジジイ。

『闇討ちみてーなことすんなら、相手の応酬も想定しとけ!気まぐれに人をなじんな!脇があめーんだよ!』

「初対面の人間を一瞬で判断できるんですか?」

 さらに黙る、アホ面のジジイ。

『お前が水商売に明るいようには見えねーし、判断を急ぐのは浅はかだし、見ずしらずの人間に対して失礼きわまりねーっつーの!』

「お酒どうなさいますか?ウイスキーの水割りでよろしいですか?」

「しょうがないから!それでいいよ!」

『何がだよ!?お前がケチだからだろ!ハウスボトル(客席に備えてある焼酎やウイスキーなどの飲み放題のボトル)の安酒が嫌なら有料ボトル卸せよ!』

「あー!眠い!いつもは十時には寝てるのにさ!」

 顔見しりの客引きに誘われたからと、恩を着せる。

「皆さんそうおっしゃって上がってきてくださるんですよ。ありがとうございます」

「そんなことないよ!そんなことあるわけがない!」

「ん?いやいやいやいや。実際、皆、○○(客引きのあだ名)さんを慕って上がってきてくれるからさ」

 面倒になり、ぶっきらぼうに答える。

 会話のキャッチボールがまったくできない。

 これまでの会話の返しのすべてが否定形だ。

 少し考えればわかることだが、キャバ嬢が会話の発展にもならない嘘を、わざわざつく必要があるだろうか?

 人の話を素直に聞けないのは心の病なのだと思う。

「朝は何時に起きられるんですか?」

「七時!」

「十分な睡眠時間ですね」

「全然!十分じゃないよ!」

「途中で目が覚めちゃう?」

 敬語を使うのが惜しくなる。

「そう!眠れない!寝不足!」

「なるほど。それは辛いね」

『やつあたりすんなって!キャバ嬢は心理カウンセラーじゃねーんだ!心療内科いけや!』

「君は?この店は長いの?」

「そうですね。長いですね」

「へぇー!じゃあお局さんだ!新人いじめてんじゃないのぉー?」

 人格が不安定で扱いが面倒だ。

「いーえ。今どきの新人は昔と違って(礼節も向学心もなく)自由ですからね」

 諭すように答えた。


「それ珍しいですね。新発売ですか?」

 見たことのないデザインの電子タバコを咥えているので、訊く。

「そう。煙草吸うの?」

「やめました。その分酒量が増えました(笑)」

「お酒好きなの?」

「好きです!一杯頂いてもいいですか?」

「……しょうがないなぁ……」

 もったいつけやがる。

「いいですか?」

「……いいよ」

「ありがとう!」

 軌道修正できたかのように思えた次の瞬間、

「その代わりその分サービスしてよ!」

「サービス?サービスってなんですか?」

「ここはそういう店なんだからさ!」

 お触り云々のシモの話だ。

「そういう店?そういう店ではないな」

 まったく、私を失望させるのがうまいジジイだ。

「そんなふうに怒られてもさ……」

「ん?怒ってはいませんよ」

 私は事実を伝えたまでだ。

 健全な精神構造なら、己の不案内や品のなさを素直に恥じるべき場面だと思う。


 ボーイがドリンクを運んでくる。

「それ何?」

「赤ワインです」

「赤ワインーっ!?」

「頂きます!」

 グラスを軽く合わせる。

「氷頂きますね」

 私は眼前のアイスペールの氷をトングでつまんだ。

「ただなんだから!お好きにどうぞ!」

と言う客がほとんどだが、礼儀上、ジジイに断りを入れてから氷をワイングラスに移した。

 ウイスキーと混ざってしまっては失礼なのでマドラーは使わない。

「氷!?ワインに氷入れるの!?」

 ジジイが食らいついた。

「はい。冷えたのが好きなので」

「それは駄目だよ!」

 ジジイが激昂した。

 私に一矢報いたいのだ。

 強引に怒りを絞りだしたかのような幼稚さが、奇妙で滑稽だった。

「なぜです?おいしいですよ。飲んでみますか?」

 ジジイにグラスを差しむける。

『食わずぎらいの頭でっかちが!』

「嫌だよ!赤ワインも日本酒も常温で飲むのが常識なんだよ!」

『陳腐だな。キャバ嬢の私が知らねーとでも思ってるんか!?』

「物によるんじゃないですか?品種や産地によって飲み方も変わりますからね……」

「駄目だよ!」

「なぜです?飲む人の自由じゃないですか?」

「絶対に駄目!」

『法律で決まってるんか!?お前はだだっ子か!』

「私はソムリエなんですがワインは品種や産地や甘味酸味渋味などの度合いで飲み方も変わるんじゃないですか?逆に物によっては白ワインを常温で飲むのもありですよ。ワインには(お前が知らねーだけでだいぶ前から)暑い時期に氷をたくさん入れて飲む“かち割り”という飲み方があるんです。キャバクラで出している(安価な)グラスワインには“かち割り”がよく合います。日本酒をロックで飲むのも(お前が知らねーだけでだいぶ前から)一般的ですよ。味覚は人それぞれなので要はおいしく飲めればいいんです」

『いちゃもんつけんならとことん勉強してからこいや!無学のひねくれもんが!』


「あーもう!それなら駄目だ!ほかの人に変わってもらわないと!」

 私が焦って詫びるとでも思ったのなら究極の甘ちゃんだ。

「わかりました!そうしましょう!でもせっかく頂いたので……ごちそうさまでした!」

 私はグラスを一気に空け、さっさと退席した。

 キャバ嬢をなめ腐ったひねくれ者に迎合するつもりなど一秒たりともなかった。


 金を払っているからいかなる言動も許されると思うのは客の甘えでしかない。

 私はキャバ嬢だ。

 客をもてなして楽しませ、ときに優しく包みこむのが仕事であり、甘やかすのは管轄外だ。

 それは無粋な飲み方を奨励するようなもので、客(男)を駄目にし、店を衰退させてしまう。

『どうにでもなれ!』

とは思えない。

 衰退の一途を辿るキャバクラの可能性を、

この期におよんで、まだ、信じている……。


 











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