第33話 チンパンジー①

 店は中盤からフリー客でにぎわった。

 私はそこから場内指名(フリー客から取る指名)を取って新規開拓に努めた。

 お見おくりをしてふり返ると

「〇〇(私の源氏名)さん!トイレとかは大丈夫ですか?」

と、つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)に訊かれた。

「大丈夫だよ!」

 スマホをチェックしながら答える。

 指名客からの連絡はない。

「ではフリー団体五名様席お願いします!ドリンク(有料)も出ているのでじゃんじゃん飲んじゃってください!」

「了解!」

 せわしなく席に向かう。

「こんばんは!おじゃましまーす!」

 ソファーとテーブルの距離が近い。

 昨夜、閉店後にボーイが掃除をした際に近づけすぎたのだ。

 私は誰の足も踏まないよう、慎重に客と嬢の隙間を縫って着席した。

“旅の恥はかき捨て”的な席で、ずいぶん下品だ。

「えっ!?駄目なの?」

 写真を撮ろうとしたので注意した。

 シャイな田舎人たちは嬢とマンツーマンではなく車座で話すので

「へぇー!」

とか

「そうなんだー!」

とか相づちを打っているうちに、ちゃっかり二杯頂いて抜けた。

 持って出たグラスをキッチンカウンターに置く前に、つけまわしが迎えにきて

「〇〇(私の指名客)さんがきてます!」

と私のグラスを預かった。

 見ると、いつの間にか私の指名客が来店しており、隣に新人をつけて談笑していた。

 近ごろは私に焼き餅を焼かせたいためだけにヘルプ(本指名の嬢が同伴((買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること))や指名被りの際に手伝いをする嬢)を横づけするので、別段不思議には思わず、軽蔑するだけだった。

「それが……。『今日はフリーで!』って言いはるんですよ……」

「は!?あの、馬鹿」

「何度も確認したんですが……」

 つけまわしが困惑しているので

「わかったよ。どうせあてつけでしょう。仕方ないね」

つけまわしをフロアーに戻し、私は待機席に戻った。


 ふだんなら私の欠勤日(※再三再四伝えているにもかかわらず、いっこうに覚える気がない)に顔を出しても

「〇〇(私の源氏名)ちゃんがいないなら帰る。またくるよ!」

ときびつを返す律儀さだ。

 だから、今夜はわざわざ私の出勤日を狙って、あてつけにきたのだろう。


 この、こじらせ野郎を仮にKとしよう。

 Kは初めこそ上客だった。

 来店前はいつも、前もってLINEや電話をくれた。

『お疲れ様!まだ仕事中!9時ごろいきます!』

「もしもーし!今から三人でいきます!10分後くらい!(連れに)いい子つけてね!よろしく頼むよ!」

 こちらも席や嬢の確保の都合があるので、事前連絡はありがたく

『お疲れ様!今、九州!木曜日出張帰りに寄ります!』

先約もありがたかった。


 Kは毎週、私に会いにきた。

 個人や社用で週に何度も来店した。

「好き好き!大好きー!」

 いい歳したオッサンから乙女チックに詰めよられるのは苦痛だった。

 いつぞや、お見おくりのエレベーターを並んで待っているとき、ボーイが不在になった隙にキスされそうになった。

 私は飛びのいて

「私はそんなに(ほかのキャバ嬢たちのように)安くない!」

と不快感をあらわにした。

 Kは神妙に頷いた。


 それが、いつのころからだったろう?

 Kが私に不満を漏らすようになったのだ。

「男の影が見えるんだよなぁー」

「忙しいからなかなかつき合ってくれないよねぇー」

 来店頻度も減り、事前連絡も途絶えた。

 連絡(営業)をすれば、下らないLINEの往復につき合わされるに終始する。

 うんざりして連絡を断てば、自分の存在を忘れられたと焦り、ふらっと来店する。

 ふらっと来店するので指名が被り、私がほかの指名客と談笑する姿に激しく嫉妬する。

「なんか人気者だね……。今日は同伴だったの?」

「そうだね。お仕事だからね。Kさんは同伴しないじゃない。同伴しますか?私はいつでも空いていますよ」

 私が電話に出なかったので詮索を始めたのだ。

 だって、近ごろは電話があったとしても出張先からはがりだ。

 独り酒場で酔い、さみしくて、話し相手が欲しくて、かけてくるのだ。

「俺はこんなに〇〇(私の源氏名)ちゃんのことが好きなのにさぁ!わかってるぅ?」

 こちらは営業中のクソ忙がしい時間帯だ。

 甘えた愚痴につき合っている暇などない。

 来店の連絡だと思い、ほかのお客さんを席に待たせて電話に出る場合だってある。

 営業妨害だった。

 二、三分適当に相づちを打ち

「呼ばれたから切るね!」

と強制的に会話を終了させた。

 そんなことが続き、私はストレスフルだった。

 あやをつけられるだけなので、以後、営業中のKからの電話には出ないと決めた。

『お疲れ様です。もう休んだかな?今夜は満員御礼でした!疲れたので私も休みます。お休みなさい』

 こちらの仕事が終わってから、あるいは翌日の朝、あるいは翌日の昼、あるいは翌日の夜、Kの拗ね具合に応じ、こちらの仕事の合間をぬってLINEで返信した。

『まったく。無駄に手がかかる』


 Kと談笑していた新人が空のグラスを持って抜けた。

 ドリンク(有料)をふる舞う紳士っぷりは健在だ。

 つけまわしが次につける嬢を呼んで説明している。

「ふだんは〇〇(私の源氏名)さん指名なんですが……。今日はフリーなので……」

 言葉に詰まっている。

「今日はフリーなので営業してもらってかまいません」

とは、私の手前、言いづらいのだ。

 それにKは常連客だ。

 ファーストでついた新人以外のキャストは皆、事情を知っている。

 新人は団体席よりもピン席のほうが周囲に合わせるプレッシャーもなく、マイペースに話しやすいだろうとつけられたのだ。

「えっ!?フリーで入ったの?なんで?最低だね!ちょっといじめてくるわ!」

 ふだんから私と組んで仕事をしている勝手知ったる嬢が参戦した。


 延長の段になり、つけまわしが交渉するともなく交渉している。

 私の手前、むしろ1セットで帰すのがミッションだ。

 つけまわしがちらりと私をふり返って頷いた。

『なるほど……』

 予想はついた。

 つけまわしが戻ってきて私に言った。

「『延長する』って言うんですが……。〇〇(私の源氏名)さんをつけろと……」

「そんなことだろうと思った。わかった!つくよ!いじめてやる!」

 参戦していた嬢がグラスを持って抜けた。

 すれ違いざま

「いじめておいたよ!頑張って!」

と私に耳打ちした。

「ありがとう!」

 私は臨戦態勢でKの席に向かった。

 

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