第32話 ピーナッツ

 頭が上に向かって吸引されたように長い、指名客がついた。

 産道を抜けるとき、スライドして重なった頭蓋骨が元に戻らず、そのまま固定してしまったかのようだ。

 まばらな毛量をカバーするために短髪にして先を尖らせたヘアスタイルが、後ろから見るとピーナッツそっくりだ。

 顧客リストの特徴欄に真っ先に“ピーナッツ”と記入した。


「このまま、いちゃう?」

 つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)が抜きにくるとピーナッツが私を誘った。

 初見で向こうから場内指名(フリーから取る指名)してきたのだ。

 私からはいっさい“おねだり”していない。

「ありがとううございます。お願いします!」

 断るわけにはいかないので、つけまわしに見える高さの顔のあたりで手のひらを地面と平行にし、二度上下させて場内指名のサインを出した。


「じゃあ、ご飯でもいっちゃう?」

 ピーナッツが誘った。

「いいですね!」

「牛タン好き?」

「好きです!松笠切りの!」

「……」

 松笠切りがわからないらしい。

「縦に分厚く切ってあるよ……」

 松笠切りはだいたい分厚い。

「大好きです!」

「近くにいい店があるんだよ!」


 グラスを空ければ次のドリンク(有料)を勧めてくれるので、初めこそ紳士的な印象だった。

「また連絡するね!」

 その日は2セット(※店により1セットは45~60分程度)談笑し、ピーナッツは帰っていった。


 地元と地方や都市部を往来する多忙な脱サラ社長で、なかなかの苦労人だ。

 社員の愚痴が多くワンマンな印象ではあったが、苦労人には他人の気持ちがわかる人が多いので、私は自動的に期待してしまった。

 産学連携の仕事の都合で毎週、上京する。

 その際に店に立ちよると言うのだ。


 その週末の夜、

『来週の〇曜日(平日)、夕方からご飯にいかない?』

とLINEがきた。

 唐突で不親切で情緒がない。

 私は、

『こんばんは。お疲れ様です。夕方とは何時ごろですか?(当然)同伴(買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること)でいいですか?』

と返信した。

 平日の夕方からの同伴なら、昼職との兼ねあいで多忙をきわめる。

 それでも、早めに同伴して早めに入店できれば、時給が稼げるので悪い話ではないと思った。

『初回は商売っ気なしでご飯だけ、ってのは駄目?』

 何をとち狂っているのだ!?

 初回だからこその同伴なのだ!

 どこの馬の骨かもわからないオッサンと、金になるか否かもわからないオッサンと、イケメンでもないピーナッツのようなオッサンと、クソ忙しい平日の夕方にボランティアで飯につき合う余地など皆無だ。

『長いこと水商売をしてきて一度もない事例なので無理ですね』

 厚かましく鈍い人には荒療治が必要なので、冷酷非情に断る。

『じゃあ、その殻を破ってみようぜ!』

 論点も距離感もズレている。

 頭の悪い男だと思った。

 私はピーナッツが玄人に働いた無礼をお知らせしているのだ。

 元々、殻など存在しない。

『〇曜日(平日)は〇時までは仕事で、〇時からお店に出勤ですが、同伴なら融通が利きます』

 大人の常識を突きつける。

『そっか。じゃあ、また(店に)いきまーす!』

 初めから素直に言っとけ!

『ありがとう。お待ちしています。今夜は冷えますのでお体御留意ください』


 次の週、ピーナッツは私にボランティアを要求した日にふらっと来店した。

「いらっしゃいませ。(なんの連絡もなしに)突然くるんだね……」

「突然がいいんだよ」

 ソファーにどかっと座っている。

 仕事で疲れているのはわかるが不遜に見える分、損だと思った。

 それでは落としたい女も落とせまい……。

「ご飯にいきたかったんだね。(LINEでも伝えたけれど)平日は昼職との兼あいで物理的に難しいんだよ。同伴なら入店時間がズラせるから融通が利くんだけど……」

 厄介な子ども相手に辛抱強く説きふせている気分だ。

「この辺のキャバ嬢は誘ったらすぐについてくる手が届く気軽さがいいんだよ……」

 ピーナッツの分際で生意気なことを言う。

「手が届かない気軽じゃないのがここにいたね」

 私は苦笑した。

『安易にキャバ嬢の価値を下げるクソ野郎に誰が好きこのんでつき合うんだ!?』

「前例がないからしない、ってのはおもしろくない。その殻を破るんだよ!」

『だーかーらーさー!殻なんて端っからねーっつーの!私のこと頭でっかちみてーにディスるけどてめぇがだっつーの!てめぇ勝手な我儘のために私に昼職早退しろって言うんか!?キャバ嬢は物じゃねーんだ!ボランティアじゃ右から左には動かねーっつーの!物扱いされた時点で殺意の対象だっつーの!』

「殻というか、大人の事情だよね。平日の夕方に仕事を放ったらかして食事にいくほど非常識でも暇人でもないからね。週末は?週末のアフター(店がはけたあと嬢が客につき合う接待)にすれば?“ついてきてくれる子”もいるんじゃない?」

 他人事で突きはなす。

「アフターなんて嫌だよ!早く帰って寝たいんだよ!それに週末は忙しいんだ!」

 我儘、きわまりない……。

「そう?私は“常連さんとなら”週末はアフターするけどな。翌日が休みならね。プンラス(主に指名客が開店から閉店まで滞在すること。ちんたら飲まれるのはうっとうしいが売上にはなる)してもらって、女の子もたくさんつけるからさ。そのあと皆で居酒屋とかに流れていく感じ。お客さんは途中で電池切れしちゃってお金だけ置いて帰っちゃうんだけどね(笑)」

 店内でも店外でも、それなりの“お支払い”がなければ相手にしてもらえないと暗にお伝えしたのだが、理解できただろうか……?


「今日は1セットだけ……」

 ピーナッツが拗ねはじめたので、ペースをあげてガンガン杯を重ねてやった。

 1セットで2セット分の売上になるなら、ちんたら水かけ論をせずに済む。


 ピーナッツが帰ったあと、お礼のLINEを送ったが返信はなかった。

 見識が狭く浅い男で私とは縁がなかった。

 

 






 



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