第15話 ①消えたハイヒール
『欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい……』
アマゾネスがじっと私の足元を見ている。
相当長い時間、執拗に。
『足に穴が開くわ!』
メンヘラは周知の事実で、かかわりたくないので放置していると、
「なんか、すごい見られてない……?」
勘がいい仲よしの嬢が私に耳打ちした。
その年の冬、私は靴を買った。
ショッピングセンターをぶらついてなんとはなしに靴屋に入ると、変わったカッティングだが無装飾なハイヒールを見つけて一目惚れした。
次の出勤日からそれを履いてフロアに出た。
年末は慌ただしく店の営業が終了した。
年明けの初出勤日、私は常連客と同伴(買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること)した。
「おはようございます!明けましておめでとうございます!」
つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)に粗相のないヘルプ(指名嬢が同伴や指名被りの際に手伝いをする嬢)をお願いして更衣室に着がえに入る。
正しく三度ノックし、間隔をおいて入る。
「おはようございます!あけおめ!ことよろー!」
年末にクリーニング(代は店持ち)を頼んでおいたロングドレスが、透明のビニール袋に包まれて仕上がっていた。
コートを脱いで私の源氏名のシールが貼られたハンガーに掛ける。
履いてきたパンプスを脱ぎ、ドレスを下からスルスルと腰まで上げ、着ていたワンピースを頭から脱ぐ。
腰に引っかけていたドレスを胸元まで上げてストラップを肩にかけた。
仕事用のハイヒールに履きかえようと下駄箱を探す……。
探す……。
探すが、見あたらない。
ほかの共用スペースも探す……。
探す……。
探すが、見あたらない。
『ヤられた!』
客を待たせるわけにはいかないので履いてきたパンプスに履きなおす。
ドレスの裾に隠れて見えないのは幸いだが、パンプスの高さが低い分、丈が余ってつまずきそうになる。
私は左手でドレスをつまんで歩く。
「靴がなーい!」
更衣室から出て、つけまわしに訴えた。
「えっ!?」
「明けましておめでとうございます!お願いします!」
(更衣室に鍵つきロッカーがないため)キャッシャーのオバチャンに貴重品を預ける。
「ヤられたよ!……。もう、つけるよ!」
向きなおって、つけまわしに言う。
「えっ!?ヘアメは?」
「お客さん待たせたくない(※ヘルプがクソだった場合を想定して)から家で(ストレートアイロンを)あててきた!」
「じゃあ、いきましょう……」
客を2セット(同伴セット90分、延長1セット60分)で見おくってキッチンで一服したあと、待機していた仲よしの嬢の隣に座って耳打ちした。
「出勤したら靴がなかった……」
「えっ!?」
うん、と目配せする私。
「いくら探してもない。ヤられたっぽい……」
「えー……。あいつじゃないの……?」
彼女の顔が険しくなった。
手元を見せないのは卑怯だと思った。
それでも、確信があった。
戦闘力0のへっぽこアマゾネス……。
遅刻早退当欠の常習犯で、病弱で酒癖が悪い。
おまけに中年店長と不倫中で店長の客はすべてアマゾネスのつけ指名(※つけまわしと客が親しい場合、つけまわしの推しを暗黙の了解で本指名にしてしまうこと。イロカンや風紀の間柄で作用する )だ。
前の年、グループの会長が見まわりにきて、おもむろに待機しているアマゾネスの前に立ち
「セックスばかりしていては駄目だよ!」
と意味深な忠告をして帰った。
中年店長はグループの経理部長も兼任していたし、後進の育成を怠るどころか、有能なボーイの芽は早くに摘んで辞めさせてしまって席を譲らないので、店は慢性的な人手不足だった。
なので、中年店長にペナルティ(罰金や降格やクビ)を課すのは難しかった。
それで、もどかしくなった会長がアマゾネスにやつあたりしたのだ。
『わぉ!会長、ナイスプレイ!』
嬢たちの前で生き恥をさらされたアマゾネスがいい気味だった。
ところで、あのハイヒール。
セール品の安物だし、あんたのデカい足には合わないサイズなんだけど?
勢いだけで盗んだって、よそで履けねーじゃん!(笑)。
妬ましそうに見てたけど?
単に嫉妬心からなんか?
あんたが一番甘い汁を吸わせてもらってんのに?
いつか、盗まれる前のハイヒールの中に固くなったガムが転がっていたことがあった。
営業中にガムを噛む非常識で行儀の悪い嬢はアマゾネスだけだ。
締まりのない口元からガムをぽろっとこぼす光景が目に浮かぶ……。
いや、どうだろう……?
匂わせて冤罪に持ちこんだだけかもよ?
だとしたら“彼女”じゃない……?
いやいや、疑心暗鬼は身を滅ぼすだけだ。
憐れな女だと切りかえて遠ざけよう……。
そっと更衣室の隅にでも戻してくれればと、大っぴらにせずに猶予期間を与えたが、その後もハイヒールが戻ることはなかった。
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